2021.12.05 

 

2021.12.03

2018年8月に老朽化により倒壊した鷲宮神社(埼玉県久喜市)の大鳥居が再建され、3日、お披露目された。高さ約8メートル、幅約6メートルの鉄製で、倒れたものとほぼ同じ形。人気アニメ「らき☆すた」の「聖地」としても知られる神社のシンボルが、待望の復活を遂げた。
 「らき☆すた」は女子高生の日常生活を描くアニメで、同神社に主人公の双子姉妹の「柊(ひいらぎ)かがみ・つかさ」が住んでいるという設定。07年にアニメが放送されると、多くのファンが「聖地巡礼」に訪れるなど親しまれてきた。

 

2021.12.02

昨年7月に倒れた大杉を保存するため、大型クレーンでつり上げる作業が2日、岐阜県瑞浪市大湫町の大湫神明神社であった。いったん5メートルほど離れた場所に移し、来年1月末にも元の場所で、立て起こされる予定だ。

 

2021.12.02

オオカミ信仰で知られる飯舘村の山津見(やまつみ)神社で、オオカミが描かれた版木や、棟札などが多数見つかった。福島、宮城両県のオオカミ信仰を研究する村田町歴史みらい館(宮城県)の石黒伸一朗館長(63)は信仰を裏付け、神社の歴史をひもとく貴重な史料だとしている。石黒館長が2日、神社で報道陣に史料を公開した。

 同神社は、2013(平成25)年4月に発生した火災で社殿が全焼し、古い奉納物なども焼失した。石黒館長や地元有志は今年7月から10回にわたり、火災を免れた神社敷地内の「虎捕山(とらとりやま)宝庫」を調査したところ、版木や棟札、絵馬など計132点の史料が見つかった。

 石黒館長によると、見つかった版木のうち、オオカミが彫刻された版木は8枚あった。江戸時代後期から昭和にかけてのものとみられ、東北地方で一度に8枚も見つかるのは初めてという。版木で刷ったお札は火災や盗難よけとして使われていたとされ、同神社が三峯神社(岩手県)と並び、東北地方のオオカミ信仰の2大拠点と裏付けることができる貴重な史料という。棟札は、同神社が1797(寛政9)年に再建されたことが記された唯一の史料で、神社の歴史の一端が明らかになった。

2021.12.01

市原市は、巨大な古墳を含む同市海保の土地を民間から無償で取得した。古墳は「海保大塚(かいほおおつか)古墳」と呼ばれ、墳丘の全長は60メートル(高さ約8メートル)もある。市埋蔵文化財調査センターによると、4世紀末の築造とみられ、この時期の円墳としては県内最大級という。この地一帯を治めた有力者の墓の可能性が高く、六角形という極めて珍しい形状をしているなど謎も多い。市は「国指定史跡を目指す姉崎古墳群を構成する主要古墳の一つ」と重要視している。

 土地は大手建設会社の大成建設(東京都新宿区)が1960年代から所有しており、2万5750平方メートル(評価額404万円)を7月29日付で無償譲渡。市は寄付を受け今月1日、表彰状を贈呈した。

 同センターが2017年度に行った遺跡確認調査の報告書などによると、遺跡は通称・大塚山の平坦面に立地。古墳時代前期から終末期まで長期にわたって存続した姉崎古墳群の東南部に位置しており、築造時期は4世紀末ごろ(古墳時代前期末から中期初めの時期)と推定される。古墳の中心部は未発掘のため、墓の主は特定されていない。

 古墳の形状は、六角形2段に円丘が乗り、その上に方形の3段が築かれた計6段で構成。確認調査の結果、築造時は全体が円形の墳丘だったが、江戸時代に土が盛られ、複雑な形状に変わったことが判明した。なぜ六角形にする必要があったのか、理由は不明という。

 地元では、古墳は出羽三山信仰の場として利用され、県指定無形民俗文化財「大塚ばやし」が演じられていた。このことから、同センターは「六角形は信仰と何らかの因果関係があるのではないか」とも推測する。

 

 

気になるよねぇ…このカタチ。

 

絶対意味があるよ。

 

6・6・〇・4・4・4 

 

足してみる。12 〇 12 …22を超えて行け~~~

 

掛けてみる。36 〇 64 …思いつかんっあせる

 

出羽三山信仰に繋がるのなら…現世・過去・未来の生まれかわりの旅。

 

3つの方形は、三山を表してたりするんやろか・・??

 

2つの六角形は…蓮華座?!

 

なんとなくだけど、神仏融合の仏教要素もあるのとちゃうやろか?妄想

 

梵天の護符と何か関係あるのかな??

 

 

 

関東方面では、出羽三山参りを「奥参り」と称し、登拝した人は、神となることを約束された者として、崇められた。
「伊勢参宮」は「陽」出羽三山を拝することは「陰」と見立て

“対”を成すものと信じられ、

一生に一度は必ずそれらを成し遂げねばならない、という習慣が根強くあったようだ。

 

 

 

★大塚ばやし★

市原市周辺は江戸時代初期から出羽三山信仰が大変盛んで、海保地区の人々も毎年羽黒山(山形県)などに参拝していた。行程には数十日もかかったが、海保の男は三山詣でをしないと一人前に扱われなかった。初めて無事に帰還した者は、「行人」と呼ばれ、その証しに「梵天」という御符をもらう。村の者がもつ梵天が増えてきたら、これを埋納する「梵天納め」という行事を行った。梵天納めは約20年に1度程度行ったという。この梵天を納める塚が、海保地区の丘陵の突端にあった通称「大塚」である。以前は漁師の海上からの目印ともなっていた。梵天納めの日は全ての梵天を神輿につけ、練り歩く。行列の前後には山車が6基くらい出たが、この山車の上で演じられたのが大塚ばやしであった。囃子は壮麗さや技法を互いに競い合い、それはにぎやかであったといわれている。

しかし、盛大だった大塚の梵天納めも、大正10年を最後に途絶え、これに伴って大塚ばやしも自然に消滅する運命にあった。しかし、第二次大戦後間もなく囃子連ができ、その後保存会が整えられて、現在は海保神社の祭礼日などで定期的に演じられている。

大塚ばやしは大太鼓1、小太鼓2、笛1、鉦1の構成で、動作が大きく派手なのが特徴である。技法的には神田ばやしの系統を引くものである。「五囃子」「岡崎」「大塚囃子」などの曲目があるが、「大塚囃子」の時には全身を大きくゆさぶりながら3色の房をつけた撥で太鼓を打ち、また時折高く投げ上げる「曲撥」も行う。かつての出羽三山信仰の興隆を今に伝える華やかな囃子である。

 

意識は出羽三山にまで飛ぶ…。

 

山形県の中央に位置する出羽三山の雄大な自然を背景に生まれた羽黒修験道はぐろしゅげんどうでは、

羽黒山は人々の現世利益を叶える現在の山

月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる過去の山

湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す未来の山

と言われます。

 

 

 

三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で「生まれかわりの旅」として広がり、地域の人々に支えられながら、日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを今に伝えています。 旅は俗世を表す門前町から始まり、随神門は神域へと誘う境界です。参道の石段の両側には天を覆うような杉並木が山頂まで続き、訪れる者に自然の霊気と自然への畏怖を感じさせ、心身を潤し明日への活力を与えてくれます。

 

とても、とても心洗われました照れ 心震える生まれかわりの旅