黄泉の国までイザナミに会いに向かったイザナギ。
(出典:http://mythology.wikia.com/wiki/Izanagi)
再会したイザナミに、一緒に帰ってほしいと願うと、
「黄泉の国の神々に相談するから、その間、姿を見ないでね」と言って去ってしまった。
あまりにも戻ってこないので、イザナギは明かりを灯して醜い姿のイザナミの姿を見てしまう。
怒ったイザナミは、雷神やら黄泉軍を送り込み追いかけた。
イザナギは黄泉比良坂まで逃げ、そこにあった桃の実を投げつけて退けたのだ。
そして、イザナミも追いかけてきたが、
イザナギは千引きの岩を置き、道を塞いでしまう。
イザナミは怒って
「愛しいひとよ。私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と脅す。
これに対してイザナギは、
「それなら私は、産屋を建てて1日に1500の子を産ませましょう」と返して2人は離縁した。
…とまぁ、グダグダ劇な感じだと思ってました。
ここにきて、新たな解釈やん と、とれるモノに出会ってしまう。
ひふみ神示より
『…ここに伊邪那岐命十拳剣抜きて後手にふきつつさり
三度黄泉比良坂の坂本に到り給ひき。
坂本なる桃の実一二三取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。
…ここに
伊邪那美命息吹き給ひて千引岩を黄泉比良坂に引きそへて、
その石なかにして合ひ向ひ立たしてつつしみ申し給ひらく、
うつくしき吾が那勢命、時廻り来る時あれば、
この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、
ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
ここに妹伊邪那美の命汝の人草日にちと死と申し給ひき。
伊邪那岐命宣り給はく、
吾は一日に千五百生まなむと申し給ひき。』
180度イメージが変わるやないか!!
なんでしょ…心が震えるんですけど。
醜くなったイザナミが、自ら道を断ち、
その岩ごしに、「時廻り来る時あれば、共にあけなん」と。
それを受けて、イザナギも「しかよけむ」と答える。
なんなんでしょ~~~~~深い愛を感じるんですけどっ
そのあと、なぜイザナミは人間たちに死を与えたのか。
なぜイザナギは、それよりも多くの生を与えたのか。
「時廻り」のためでもある
と、私は思えたのです。
ひふみ神示での物語の方が、私はロマンがあって好きだなぁ
ちなみに…
ひふみ神示では、岩戸は今までに5回閉められているそうな。
となると、
イザナギ・イザナミの時廻りは
すでにあったのではないか?
と思えちゃうのだけれど…この妄想はまた今度してみようかな