数年前、共感力高めで、日々の生活や人間関係の苦しさに生きづらさを感じる方を当時「繊細さん」や「HSP」と呼んで、世の方々に存在を知らせてくれた神的な書物があった。


知ってる!何それ?しらない。と言う方両方いるはず。



私は、昔から(昭和のこども時代)感受性が強く、泣き虫で人が苦手。家族も苦手だった。(唯一祖父が大好きだったので例外)ずっと自分は何者?と問い、答えがわからないまま生きづらい世界にいた。


あまりに昔のことで全くもって、理由は思い出せないが、辛くて泣きじゃくり2階へ駆け上がる自分の記憶はある。



辛く悲しい時、直ぐ様階段を駆け上がり向かった先は、三面鏡の前。



三面鏡を目一杯開き覗き込むと、正面、左右3人の泣き腫らした顔の私と本体の私。4人でカウンセリングを始めていた。それも無意識に。



クライアント(相談者)は、本体の私ではなく、正面に映る私なのだ。

左右2人はというと、あまり本体からは目に入らず立場でいうと付添人かな。

本体の私は、実際、傷ついて、泣いているのに何故かカウンセラー役だった。(正面の泣く私を黙ってある意味冷静にみつめたりうなづいたり共感したりしていたことを思いだした。)


こうして書き記していると、なんとも信じがたく不思議な光景で,家族が見れば鏡の前に座って傷つき泣きじゃくる私なのだが、当の私は、傷ついて泣いているのは、本体ではなく鏡の中の私であり、本体の私は、唯一無二の理解者だった。



悩みの内容など話しているのは本体の私だけど、不思議と正面の私は、私じゃない、実在するもう一人の私とは別のひとに思えていた。防衛反応なのか?すり替えなのか?私が傷つくのは悲しすぎるから、傷つけられたのは自分じゃないって信じたかったのかも、、、。



泣きながら、私に向かって訴えている正面の私を、冷静に客観的に捉える本体の私。



別人格を鏡の中と前で生みだしていたのかも、、、。代わりに傷ついてもらっていたのかも。



でも目から涙がポロポロ流れる自分の顔をじっと見つめる本体の私は、ただただ傾聴していた。優しかった。



でも、ある意味冷たかった。特に同情はしない。一定時間が経つとあれ?なんで泣いてたんだっけ?といった具合にケロッとして、涙をぬぐったことも遠い記憶を呼び起こし思いだした事実。

 


こんなセルフカウンセリングを無意識にしていたあの頃。10代〜



私以外に私の事を理解してくれる人はいない。「あたりまえじゃん。人のことなんて100%わかるわけないじゃん!そんな人いるわけないじゃん。」

・・ごもっとも。100も承知だけど、求めてたあの頃。



でも、いたんだよね〜。一番安心できる信頼できる相手=それは、三面鏡に映る左右の私と鏡の前にいる本体の私だった。



あれから40年。

いつしか、時代とともに無くなってしまった三面鏡。二度と出会うこともなくなった3人の私。



長い人生、辛いことくるしいこと、これでもかっ!ってほど経験したな〜。 

 


でも、ちょっと待って。大人になってからの私は、その辛さや苦しみどうやって乗り越えてるの?、、、。



なんと、未だに鏡の前に向かい、疲れ果て泣いたり落ち込んだりしている一人の私(相談者)と、まじまじとそれを見つめる本体の私(カウンセラー)がいた



これ、無意識の昔からの私のルーティンだったんだ。この事実、蘇った記憶の欠片。



数年前、HSP診断をやってみたら、ほとんど当てはまり、私ってHSPだったんだ!(繊細さんというより、今ははっきりHSPとしての方が、知名度が高めで情報を得られやすい)

とわかり、自分は何者?の問いの答えにたどり着いた。



わからないままの自分とわかった自分。随分と気持ちの持ちようが違う。

日々の生きづらい生活の中、なんで?こうなっちゃうの?=HSPの特徴がでていたからなんだね。と謎解きの糸口となる。


わからないままが長かった〜こども時代〜青春時代昭和〜平成



あの頃の私へ

苦しかったね。辛かったね。寂しかったね。愛されたかったね。理解してほしかったね。


大人になって、自分が何者なのかが、わかったんだよ!ありのままの私で大丈夫だったんだよ!

理解してくれる世界が待っているからね!良かったね・・・



今の私は、YouTubeでHSPさんのためのカウンセリング動画を見て第3者による理解ある方々に励まされながら、生きづらい世界をなんとか生きてるよ。



YouTubeカウンセラーさん。感謝してます。ありがとう!!