ジュピターはヴァイゼとヒョウキの手で殺され、その他のジュピター五姉妹もあっけなく拘束された。もちろん、長女のガニメデも。
ジュピターという隠れた脅威を失ったフロストフェローは、そこらの大都心には勝るものの犯罪率は確かに下がり、瓦礫の落ちる音が聞こえない夜もまちまちとなった。
ジュピターを失った四姉妹はまるで魔法を解かれたようだった。次女のイオは別人のように怯え大人しくなり投獄。三女のカリストはジュピターが死んですぐに自然死。四女のエウロパは監獄内の病棟に拘束され、歩くこともままならない精神状態であるともっぱらの噂。
翌々日には四姉妹全員に極刑が下ったと報道された。
ジュピターとの決着に巻き込まれた俺は右二の腕と左足を粉砕骨折、あばら骨1本が単純骨折しその骨が胃を傷付け、左頬からこめかみにかけての裂傷、その他擦り傷切り傷エトセトラエトセトラ…大嫌いな都立慈しみ信愛病院に4カ月投獄された。
俺よりも大怪我を負ったホリンは1ヶ月で退院しピンピンしていた。なんでだ。
ホリンはランディに俺の病室番号を教えようとしていた。俺はすぐに止めた。惨めな姿を見られたくないわけではない。単にうるさくて傷に響くから。
代わりに、ホリンには封筒と便箋、ペンを持ってくるよう頼んでおいた。
投獄された四姉妹の長女ガニメデに最後の手紙を綴った。ガニメデは数々の大犯罪を犯した死刑囚。手紙を受け取る事は許されても、送る事は許されない。
俺は知っている。四姉妹はジュピターに洗脳を経て操られていた事を。俺はただそれをガニメデに伝えたかった。
昨日の様に思い出せる。ガニメデの繊手を握ると必ず微笑んでくれた事。
だけど、俺にはもうガニメデを救う手立てがない。そしてきっと彼女も望んでいない。
四姉妹が拘束されたあの日。ガニメデだけはいやに落ち着いていた。特殊部隊にされるがままに拘束され、地面に打ち捨てられた俺を見て目を見開いただけだった。
手紙を書くのに三カ月かかった。何と書けば良いのか、俺に何が言えるのか。
包帯まみれで退院したその脚で自らポストに投函した。
その瞬間、身体中の皮膚に纏わり付いていた確執がすべて消えていった。
今やっと、終わった。
ポストに全てを捨てた気分だった。悪い事でもしたかのように足早にその場を離れた。
俺の天国、極秘隔離地下に着くとランディが入り口で立っていた。俺の住処は政府の手によって証拠隠滅の為丸ごと埋め立てられ、ドアも何もかもを取り払われてただのコンクリートの壁になっていた。
「人の部屋を勝手に埋めるなんて、やっぱ市長はイカれてるよな」
ランディは振り向き、俺を見て取ると「アラストル」と名前を呼んだ。返事を返すと、光の速さで俺に抱き着く。ランディの頭がちょうど胃に当たって痛い。
「…良かった、心臓動いてる」
「動いてなかったら死んでるだろうがよ」
「この四カ月、気が気じゃなかったんだからな!なんか、フロストフェローは砂埃が晴れないし、ホリンは胸のところに大きな傷があるし、誰とも連絡取れないし、誰も何も知らないし…!」
「うるさいなぁ悪かったよ。ただそれどころじゃなかったんだ…街並み見りゃわかんだろ」
四カ月たった今も依然、砂埃は晴れない。どの建物もまだ修繕途中。開店している店には人が行列を作っている。
「お前にはわかんないだろうけどな。終わったんだよ…いろいろと」
「いろいろ」
「そ、いろいろ」
ランディを自分の腹に埋めるみたいに抱き返す。目を閉じると、心臓に引っかかっている物が軽くなるような感覚がして、更に強く抱き締めた。
「ヴァイゼもホリンも俺も…五姉妹も、ガニメデも全部。全部終わったんだ」
ランディを抱き締めてやっと気付く。
今度は胸にぽっかりと穴が開いている感覚。
ガニメデの事は諦めていたはずだった。ジュピターに取り込まれたガニメデはもうガニメデではなかった。
俺が何度叫んだところで彼女には届かないとわかっていた。
だから諦めていた。
だけど、
「…アラストル?」
心のどこかで、まだガニメデは助かると思っていた。
それから、もう一度あの穏やかな時間を取り戻せると、巻き戻せると信じていたと思う。
ジュピターから取り返したガニメデと、もう一度手を取ってどこへでも行けると。
「アラストル、まだ怪我が痛いの?」
だけど叶わなかった。叶えられなかった。
ガニメデはまだ監獄に居る。だけど今までと同様、もう俺には届かないところへ。
ガニメデの死刑執行日はまだわからない。
「…お前と2人で、アヴェ・マリアの目を盗んで都市の外へ逃げ出した日があったよな。今回はあの日よりもひどかった」
「これだけ大怪我してたら、ぼくでもわかるよ」
「それに住処も潰されたし、しばらくはホリンかルーカスの教会に世話になるしかないな…お前もしばらく来るな」
「えーッ!?なんでだよ!」
「見りゃわかんだろ、後始末で大変なんだよ、お前の見守りベビーシッターまでやってられるか!」
「なぁにがベビーシッターだ!こんなに心配させといてなんてこと言うんだよ!」
はっ、と俺の目を見た後、ランディは目線を離しまた俺の腹におでこを押し付けた。
「…ここへ来た時にアラストルがいないなんて、もう嫌だ」
ふと、あの日のガニメデを思い出す。あんなに近くに居たのに、俺は地面に野垂れて、彼女は拘束されていた。
あの唇の動きは、なんて言っていたんだろう。
「…ランディ、ホリンの教会に着くまで、俺の手を握っててくれ」
「手?良いけど…建物がぐちゃぐちゃ過ぎて、道がよく分からないぞ」
「俺もだよ。まあ、長めの散歩だと思おうぜ」
二人で歩みだした。
見覚えのある、初めての道を。
この手は離せない。
「…おい、速いぞ。ちょっとは怪我人を労れよ」
「えぇ〜これ以上遅く歩けないよ!アラストルが頑張ってよ!」
「なんて奴…もう紅茶入れてやんねー」
「なぁ?!それやだやだ!アラストルが作る紅茶、なんか無駄に美味しいんだもん!やーだー!」
「あーぁーうるせーうるせー傷に響く!」
end