そんなこんなで無事に国境を超えられた。
イミグレで両替をしたら、ばあさんにぼられる。寝ぼけていたと言うのは言い訳にはならない、情弱の雑魚です私は。50万ベトナムドン(約2,500円)が35,000カンボジアリエル(約1,000円)に。
友人のオタクに「お前は余裕がないからダサい」と言われ続けてきたので、腹が立つ気持ちをこらえ、「ばばあに1,500円くらい、くれてやるよ!それでうまいもんでも食うてくれや」と三回ほどつぶやいた、心の中で。
治安★×3.5(危ないと感じたことはありません。ビュンビュンバイクが行き交う道路だけは怖いです。)
飯のうまさ★×3.5(ふつうにうまい。が普通。なんでもかんでもパクチーという風潮は拭えない。)
雰囲気★×3.3(ホイアンは新大久保、サイゴンは新宿とそう変わりません。)
物価★×3.7(急速な発展とともにインフレが起こっていますが、日本よりはよっぽど安い。)
清潔度★×2.5(ポイ捨て三昧。東南アジアスタンダードでしょうか。)
Wi-Fi★×3.3(ホイアンはかなり飛んでいた、ホーチミンとかは弱い)
総合おすすめ度★×3.3
基準になるので抑え目ですが控えめに言って楽しい国です。ハノイには行ってませんが、おそらくホーチミンと変わらないと思います。
さて、無事プノンペンに到着しホステルへ。およそ、5キロの道のりをてくてく歩く。トゥクトゥクは甘え、日本男児なので。
ホーチミンやダナンと比べてかなりくらい。都市だが国道沿いから一歩離れると、奈良県生駒市の住宅街並みの暗さ。トゥクトゥクの兄やんに無限に声をかけられるし怖い。
出国時に友人ピラフに送られた言葉を思い出す。
「危なくなったら走れ!」
フォレストガンプよろしく、約10キロのバックパックと夢と希望を背負って夜の国道を僕は駆け抜けた。しきりに立ち止まり、地図アプリを起動させながらというダサさではあるが。
そんなこんなでホステル前へ着くが、見当たらない。ホステルがあるべき場所は怪しい光を放ち爆音でクラブミュージックを垂れ流すバーだった。サイゴンでの苦い記憶が甦る。今回は警察ではなく地元の兄ちゃんに声をかけられた。
「どこ行きたいねん?」
当然、びびった僕は当然ノーしか言えないオタクと化す。
一分ほど、うろうろしてたら再び例の兄ちゃんが声をかけてきた。良いやつだと信用して聞いてみた。
「パノラマホステルに行きたいのですが、、、」
「ここだよ!階段上がりねえ」
ありがとう、兄ちゃん。感謝と悔恨の念、そして疑念がやはり拭えない。
5階まで上がるとバーだった。バー併設型のホステルだった。ありがとう兄ちゃん。ママ、僕は無事です。
チェックインをしようとカウンターへ行くと
イケメン欧米人男性が出てくる。カンボジアなのにオーナーはフランス人なのか、植民地時代の名残なのかよくわからんけど、今まで宿泊した先は全て地元っぽい人だったので少したじろぐ、がすごく優しいお兄さんだった。
部屋に入ると、アジア人が声をかけてきた。
「どっから来たん?」
「日本やで」
「マジ?俺台湾から!」
ホステル3軒目にして、初めて意気投合。友人ができようやく旅らしくなってきた。
聞くに、2年旅をするらしく、まだ一ヶ月目らしい。半年足らずで終えてしまう私と違ってマジモンの旅人、しかもギターを担いでだ。どっかのナオト・インティライミみたいだなあと思うものの、多分伝わらないので口にはしなかった。
翌日、ともに観光することを約束し、シャワーを浴び就寝。
九日目
11時頃起床。
そういえば、この旅を初めてから石鹸で頭から身体まで全てを洗い、洗濯も風呂場で手洗いしている。

こんな感じで干していたら身体中ビシャビシャ、洗濯物も生乾きの臭い、風邪も引いた。
安倍政権を恨みながら、プノンペン中心部へ。

王宮は工事中で雰囲気もクソもない。
5キロほど歩きセントラル市場へ。大したことはない。3キロほど歩きフランス市場へ。
今さらだが、あまり「おいしい」と声高に言えないのはあまのじゃくなのか、それとも味音痴なのか。
嫌いな食べ物は漬け物くらいなので、後者の方が濃厚か。母親のご飯と好きなナオンのご飯はひたすら「うまい」を連呼できるからあまのじゃくかもしれない。
4時頃市場を去り、明日のシェムリアップ行きのバスを予約。6.25ドル。
ホステルへ帰り、まったりしているとあっという間に6時半。二人で夜市へと繰り出す。
ホステルへ帰ると、弾き語りをしてくれると言う。日本の至宝山崎まさよしのセロリから始まり、UKの至宝オアシスワンダーウォール→オリジナルソング→惑星の至宝スキマスイッチ全力少年、〆は山崎まさよしのセロリ
「料理とスマイル、そして歌は国境を越えるんやで」
かっけえ。。。以外の全て語彙を私は失いました。
そんなこんなでフーテンになって一番気持ち良い状態で1日を終えた。
十日目
8時起床。

朝の中心部。美しい。
今日が亡くなった祖父の誕生日と広島原爆投下の日であることを思い出す。大正6年8月6日生まれだから、六八六(むやろく)という名前だった。フィリピンかミャンマーか中国か忘れたけど、アジア太平洋戦争では出兵したらしい。赤紙が来るか来ないかくらいのタイミングで、戦闘はしたくないから荷物係として入隊させてくれと頼み込んだと聞いた。嘘か真かは今となってはわからないけど、究極の逃げ恥でじいさんも私も生かされた。危険に遭遇したら、四の五の言わず逃げよう。
昼飯

沢蟹の絶望的な不味さに悶絶。海外に来て初めて飯を残した。何でも食える方だと自負はあるが、やたら甘いしやたらしょっぱいし泥臭い。1ドルだから仕方ないか。
台湾のブラザーと別れ、二年後に会う約束をする。12時にバスに乗り込み、アンコールワット、シェムリアップへ。
7時間ほどで到着。
約2キロ離れたドミトリーへ。
チェックインするとオーナーがパンフレットを用いて、やたら懇切丁寧にアンコールワットのことを説明してくれる。カンボジア人はお節介で優しいなぁと思った。が、よくよく聞くと
「これが15ドルでこれが30ドル。トゥクトゥク乗るよね?ピックアップできるよ」
あれ、これ営業トークじゃね?
ノーサンキューオタクモードに突入、相手との会話を断絶。優しそうな面してかなりやり手だこいつ。
荷物をおいて夜市へ繰り出す。
食後、コンビニへ繰り出しビールを手に入れ、店の端っこでヤニ片手に黄昏る。
そういやこっちに来てぽんぽん痛くなってねえな。カンボジアに入ってからうんこすら出てない。
なんて考えてると驚異的なスピードで便意が僕を包み込んだ。これは漏れるやつ。
ダッシュでドミに帰るが、ドアが開かない。
オーナーに相談するとたまにあるんだよねーと寝ぼけた回答。呑気なこという暇あるなら早よ開けろ、こっちは死活問題なんじゃと、しばきまわしそうになったが

賄賂を寄越してきたので許した。
10分後無事にドアが開き、うんこも開放。事なきを得た。
明日はアンコールワットを攻めます。
続く









