9日目


 11時前に宿を出て街を探索。共産主義ミュージアムを訪れる。ネットで調べてもあんまり日本人が行かなさそうな穴場スポット。ピラフ2の提案で行ったが、最高に楽しかった。あんがとな、清水(漫画MAJOR 60何巻より)。



スターリン先生

カメラ型の銃

ガスマスク

 プラハもソビエトの支配下でプラハの春以降も冷戦終結まで共産主義が広がっていた。印象的だったのが、第二次世界大戦後に五年に一回開かれる国民体育大会でストーンズのミック=ジャガーが呼ばれて演奏していたという記述。いや、西側のやつやん。

この上に書いてたと思うけど、取り忘れた。

 13時前にユーロを両替。1ユーロ25.67(約120円)コルナが正規のレートだが、1ユーロ24コルナの両替商にて交換。歩いていると25.4とかもあった。くたばれ。


なんちゃらの門ってピラフ2が言ってた

でっかい広場にて

カレル橋にて

シンゴジラみたい。ヴァルトシュタイン庭園にて

プラハ城

なんか知らん教会とか

謎のタワーからの景色。200コルナ(900円)だったので、みんなが登ると言ったときに渋い顔をしたら変な感じになった。30メートルくらいの螺旋階段を無限に登るとそこには絶景が広がっていた。

城下

プラハを見下ろす

ムスカ大佐の気持ちを味わう

 タワーを降りるとちょうど15時くらいでピラフ2の帰りのバスの出発まであと40分強ほど。この場所から四キロくらいのバス停。預けた荷物も回収しなければならないので、行った道を引き返す。全行程が五キロ弱とか。ギリギリだ。


 後出しじゃんけんではあるが、塔を登る前に遅れるかもなーと少し思っていた。ほら見ろとはさすがに言わなない。プラハの息吹を感じつつダッシュで荷物を預けた場所へひとまず向かう。荷物を受け取った時点で残り15分くらいだった。バス停はここから二キロ弱とか。汗をどろどろにかきながらひたすらバス停へ向かう。しかしバスが見当たらないしバス停らしきものが見当たらない。


 マップを頼りに三人よればどうのこうのの諺とパーティーの力を信じて進むと、遊歩道の上にバスマークを発見。地上に伸びる階段が手前と奥に1つずつある。林が「向こうの方が良いんじゃね?」と言う(あと出しじゃんけんだが、俺は手前が良いと思った)から奥の階段を登ってみると国道に出た。国道沿いにバスが数台停まっている。この時点で出発時刻の二分前とかだった。しらみ潰しにバスの運ちゃんに行き先を訪ねるが、ピラフ2の乗りたいバスではなかった。この時点で出発時刻の三分後とかだったと思う。


 諦めつつも先ほど通りすぎた遊歩道の別の階段から地上に上がるとちょうどピラフ2が乗る会社のバスが入ってきた。手を振りながら停車を促すが、時すでに遅し。バスはとどまることを知らず、無情にもピラフ2を置いてきぼりにした。


 とぼとぼと肩を落とし我々パーティーは来た道を引き返しWi-Fiの入る場所で代替措置を探る。同じ会社の同じ行き先のバスが三時間後に出発するということで60ユーロでピラフ2は即決した。丸くはないが、一応めでたし。


 飯屋に着いてWi-Fiをつないでピラフ2が携帯を確認するとバスは定刻から30分遅れて16時11分に出発していたというメールが来ていたらしい。たらればだが、もう少し待てば..というのが悔やまれる。仕方のないことだが、複合的な要因が積み重なり色んな不幸が起こると身を持って体感した。教訓にしたい。


 今度は余裕をもって20分前にバス停へピラフ2を見送り、我々は本日のホステルへ。19時頃に到着。「20時くらいに宿を出てブラブラしようぜ」といきがっていたバカ林はベッドに入るとすぐにすやすやと穏やかな眠りについた。今日も15㎞歩いたし5㎞走ったし、なんならこの9日で150㎞は優に歩いてるしね。アメン。


 起きてバカは元気になった。スーパーに行こうとか(結局行ったけど)昔のアニソンの話とかオナニーの話を延々に説いてきてブログを書くことに集中できなかった。


 残されたパーティーは2人になった。明後日オランダに戻りその翌日、アヤックスの試合を観戦するのがメインディッシュ。Jリーグも観たことないのに世界で十本の指に入るクラブの試合を観られるのは贅沢。楽しみすぎる。明日はミュシャを観賞、優雅に昼間からルービーでもかましたい。


続く