物が存在するという状態が気に入らない。というか、物があるということが逆に僕を不安にさせる。俺ごときがこんなに物を持っていて良いのかという恐怖に駆られる。それゆえにバックパックもスカスカだし自宅もほとんど物がない。段ボール一杯の仕送りをもらっても一週間で平らげる(おそらく親は一ヶ月分とかを想定しているんだろうけど)。必要最小限で人は十分生きられる。
旅行をしていると、ほんとに財布と携帯とパスポートさえあればまあなんとかなるという気持ちになる。あとタバコがあればそれに越したことはないが。理想は鴨長明の生き方だ。徒然なるままに~、の部分しか覚えていないけど確かあいつも三畳くらいの部屋に必要最低限の物資だけを置いて生活していたと聞く。究極のミニマムライフの実践者だったらしい。
やれ働け、やれ金を稼げ、稼いだ金は使って経済を回そうぜというバブル的生き方はちょっと息苦しい。バリバリ働いてお金使おう!といきり立つ人はまわりにもたまにいるけれど、そういう人は大抵暑苦しい。別にそういう人はそういう人で良いのだけれど押し付けないでほしい。最低限の物資とお金さえあればそれだけで幸せだ。幸せの閾値が低いのかもしれない。お金もあまり使わない、せいぜい飲み会と趣味の野球観戦くらいだろうか。
大量消費社会に逆行するような生き方がどれほど通用するかわからない。時代の潮流として、1に成長2に成長、34がなくて5に成長みたいなものがあるけれど、成長はもうたくさんだ。赤ん坊としておよそ3000グラムで生を受けたが、すでに約50000グラムになってやがる。この程度の成長で勘弁なりませんかねと思うもそうは問屋が卸さない。世知辛い。
社会人も大学生も口を開けばやれ海外だ投資だの鼻息を荒くする。自分が海外に飛び出している手前こんなことを言うのは矛盾しているが外へ出てみたところで価値観なんて何一つ変わらない。自分自身がまだ発展途上なのかもしれないが今のところ変化の兆しは一ミリも見えない。それどころか日々ひたすらむかつくという感情が増幅するだけだ。テーマとして「寅さんになる修行」を掲げているから、いかに環境に耐え適応するかというところがメインになるので価値観の変化を求めていないのがそもそもの原因なのかもしれないが。とにもかくにも、何とか生きている。美しい建築物や風景を見ても「へぇー」以外の感想はあまり湧かない。幸せの閾値は低いが、感動の閾値は青天井だ。それでも良いかなと思う。この旅を終えたら暫くというか一生海外に行くことはないかもしれない。お腹いっぱいだ。部屋に閉じ込もって必要最低限仕事をして必要最低限の物資で趣味を嗜みながら生きる。それはそれで地球に優しい生き方だと思うのですがどうでしょう。ダメですか?
完