6日目

 12時前に空港から出るバスに乗車。市街地方面へ。15時チェックインの宿を目指す。12時半頃にそろそろ到着かと思っていたら目的地とは別のわけのわからない場所が終点だった。M100のバスに乗る予定が後ろにつけていたM200のバスに乗ってしまっていた。ちなみに運賃は900フォリント(約300円ほど)。オランダの初乗りが大体6ユーロ(約720円)とかであることを考えるとやはり東欧は安い。

 バカ林がオフラインマップをダウンロードしてくれていたおかげで、宿(アパートメント)が降車地からたまたま徒歩20分くらいのところにあることが発覚。林に格上げ。13時前に宿に到着するが、カウンターらしきものが存在しないのでチェックインまでひとまずWi-Fiが入るところで飯を食おうとなる。宿から徒歩1分くらいの場所で昼食。Wi-Fiは一ミリも入らなかったが、味はなかなかだった。Googleマップのレビューを見ると3.3だったけど。

グヤーシュ、ひたすらぬるい。

クリスピーポーク。味は単調。トンカツの下位互換。ファルオカという店名になぜか皆で爆笑した。スープとプレートにコーラをつけて500円ほど。西欧なら10ユーロはくだらなさそう。


 14時前に宿併設のカフェでWi-Fiを通しながらチェックインの時間を待つが、一向にログインできなそうなのでメールを確認するとこの宿はセルフチェックインというシステムを導入しているよう。ウィークリーマンションよろしくエントランスに暗証番号がありセーフボックスにカードキーを入れているらしい。メールに氏名やパスポート番号を返事しないと諸々の暗証番号を教えてくれないらしい。すぐさま返信してチェックインを請うものの返事は一向に来ない。

 その一時間後の16時過ぎ、メールアドレスの中にnoreplyの文字があることに気づき(気づいたのは林)、やっと真のアドレスと連絡を取ることができた。宿(名称はヌック)にチェックインできたのは17時過ぎである。ちなみにこの宿を取ったのは僕でメールの確認を怠っていた。皆さんごめんなさい。


アパートメントは1LDKで一泊一人13ユーロ。林がごねた結果この宿を予約させられたが、苦しゅうない。

18時頃から街を散策。

 19時くらいから飯屋を探索するが、地元の飯屋で食いたい僕とベタな観光地で食いたいパーティーと意見が一致しない。昨日以上にプリプリしていた。最終的に僕は黙りこんでしまい、変な空気になった。怒るというか何というか旅の疲れというか、自分がどういう感情だったのかもよくわからない。小学生のようで恥ずかしい。林にほとんど、任せっきりなのにどこへ行くかとかだけは主張している。まぁこれからも主張するけど。やはり一人じゃなければないで弊害はあるにはある。前回5ヶ月ほどかけて旅行をしたときは交通手段も宿も行き先も地図も全て自分で用意していた。それを他の人がやってくれる楽には楽だが、申し訳なさもありその一方で自分の欲求もある。その折り合いと自分の意見を言うのが難しい。皆まで言うな。情けない。

 20時半くらいに林が予約していたクルージングへ。二人の会話には一切入らず、自分の世界に入っていた。このクルージングは信じられない、息をのむ、そんな表現がぴったり当てはまる最高の景色だった。ありがとう、林。



 


7日目

 9時半に皆で飯をつくって食べた。三人で数百円だからやはり安い。朝からルービーをかます。


そんなにうまくはない。


11時にアパートメントを出る。

ユダヤ人が戦禍を逃れたと言われる廃墟が今は商業施設になっている。ルービーをかます。

外に出てまたルービー。一缶、100円程度。朝から1リットル以上。

大聖堂


ブダ城前の広場


 ブダ城の芝生で大の字になって寝転んだあと、大衆浴場テルマエへ。オスマン帝国時代の歴史から、ハンガリーは温泉大国で無数の温泉施設が存在する。白人金髪美女と混浴が可能。ぬるま湯で何時間もいられるし、テルマエ・ロマエの雰囲気そのままを味わうことができる。美女が通りすがった後の水を飲んで喉を清めた。

 晩飯には前日昼にいただいたファルオカを指名するが、閉まっていた。帰りに通るとやっていたのでシェフはほんとに気まぐれのようだ。

ハンガリーに来てまで中華料理を食べた。謎の味がして死ぬほどまずかった。この旅行で初めて飯を残した。というか年に一回くらいしか飯なんて残さないが、今日がその日だったと思う。

たまたま広場を歩いていると、知らないバンドが知らない歌を堂々と歌い上げていた。

知らない人の栄誉を称える知らない日のようだった。明朝、バスでチェコはプラハへ移動。


続く