途上国に学校を建てるだとか支援をするだとか息巻く人たちがたくさんいる。僕はあまりそういうことに興味がない。というかそれが本当に必要な支援なのかと懐疑的になってしまう。ここネパールに来てよりそれを強く思うようになった。
以前の記事に記述した通りネパールは非常に牧歌的な国だ。大国中国とインドに囲まれ海も持たず資源的にも乏しい国で当に陸の孤島とも言える。狭い国土の中で人々はまったり生きている(ように見える)。僕はそののんびりした雰囲気がとても好きだ。
インフラ的なところで言うとあまり整っていない。暖かいシャワーが出るところなんて少ないし下水道も整備されていない。鉄道も通っていないし突然停電になったりもする。道路も舗装されていないし砂塵も舞い放題。
さりとて「電気が通っていない、下水道が整っていないとはなんと不便な。今すぐにインフラを整えねば」とよその国からやって来た人が要らぬお節介に走るのは理解できない。
1つを得るということは1つを失うということだと等しいと思う。何かを取り入れ経済が豊かになったとしてもそれが本当の意味での幸せに繋がるとは限らない。
海外に来て日本は本当に便利な国だと思うようになった。コンビニは24時間開いているし夜に外をふらふらしてても危険を感じることはまずない。
とはいえ、ますます便利になっていく社会が実際に人々の心を豊かにしているとも思えない。交通事故で亡くなる人の数より自殺する人の数が多いなんて大多数の国では考えられない。自殺者がこんなに多く発生してしまう国が先進国と言えるのだろうか(調べたら東欧とアフリカの貧困国が多かったです)。社会が経済的な意味で表面的に豊かになる=人が幸せになるとは限らないのだ。
話が逸れてしまいましたが、外部の人間が突然現地の現状を憂い、経済発展を促すというのは余計なお世話に思えてならないのだ。もちろん、貧富の格差の是正や医療および食料支援など根本的な「生」への支援というものは必要だと思う。ネパールであれば数年前地震の爪痕はカトマンズでも未だに色濃く見られる。そういった復興支援が必要なことは論を待たない。だが経済格差なんてものは日本国内でも蔓延っている。国内の問題を解決しようとする前に外国へ支援していこうというのは恩を売りたいのか、はたまた自己満足か何かなのではないかとひねくれ根性から思ってしまうのだ。
教育のことを言うと、ネパールでは教育を受けられない子どもが多数いるという。日本でも寄付金が募られ建設費を賄えるまでに至ったがいつまでたっても学校を建てられないケースもるという。お金だけ支援しても結局それが目的のために使用されるとも限らないのだ。
1つを得ることは1つを失うということだ。一つを提供することで現地の人たちが培った文化や風土が失われてしまうことに繋がりかねない。失われるものが何なのかはわからないけれどそういものは失ってから気づくのだと思う。
その地に住む人たちが必要だと主体的に考え、外に対しその支援を求めるのであればサポートをしていくというのが筋だと思う。こちら側が勝手に「かわいそうだ。支援しないと」と息巻き、向こうの役人とタッグを組み経済を発展させようとすることは逆に奪うことに繋がりかねないと危惧するのです。結局は利権やらしがらみやらが発生してしまうと思うのです。
不便だけれどネパールはとても素敵な国だと思います。便利なことが全てでなく不便な面もあるけれどそういった一つ一つの事象のバランスで幸せというものが成り立つのかもしれません。どんどん便利に走ることが直接的に幸せに繋がるのではなく、何か別の側面を失いそのバランスの良し悪しで幸せか否かが決まるのだと思います。だからといってその不便さをよその国に押し付けたりしようとは思いません。ただ便利なことが全てになってしまってはいけないなということを感じております。そして支援のあり方について今一度考えなければないのでしょうか。
と、噛りたてのアカデミックを振りかざしながら「俺、かっこいいこと言ってんじゃね」と寝起き即うぬぼれてしまうプータローバカ大学生なのです。現在時刻は8時半。オナ禁は27日目くらい。
完