しばらく前に友人から
とってもおめでたい報告の連絡があり
ほっこり幸せのおすそわけをしてもらった。
みんなに報告するタイミングを
考えていた彼女に対し
彼女の旦那さんはソッコーで
自身の家族に報告をしたそうで
彼女はその速さに戸惑った・・・笑
という話も聞かせてくれた。
そして彼女の旦那さんは
こんな感じのことを彼女に言ったという。
この喜びは“今”だからこそのものであって
あとから同じようには喜べないんだよ?
今!を生きる旦那氏。
うんうん、そうだよねぇ。うんうん。
嬉しい~~~!!!
と思ったそのときに、大切なひとたちに報告して
その喜びを分かち合いたい!
そのあとで予想外の展開になったとしても
そのときはそのときの感情を分かち合えばいい。
頭で考えだすとどんどんややこしくなって
身動き取れなくなりがちだけど
非常にシンプルですきだな、その考え方。
喜びだけでなく、喜怒哀楽すべてに通じる。
春めいてきたtapi部屋の窓辺
思い起こせば若かりし頃から
人様の心の傷や痛みというものに反応しがちで
敏感肌wなタイプだった。
大切なひとたちが
心に傷を負った(であろう)と察知すると
いてもたってもいられなくなる。
状況が許せば、すぐにでも駆け付けて
顔を見てギュッてしたくなる。
相手が話をしたいようであれば聞くし
したくないのであればそっと寄り添いたい。
心配だから。というのはもちろんなんだけど
顔を見てギュッてすることで
自分自身が安心したいという思いも
少なからずあるのかもしれない。
とにかく行かなくちゃ!という衝動に駆られる。
自分にとって、その人の存在の大きさというものを
改めて実感したりもする。
先日、傷心案件を聞きつけ
いてもたってもいられなくなり
緊急事態宣言期間中ではあるものの
もれなく駆け付けたということがあった。
傷を負ったひとの「大丈夫」という言葉は
あまり真に受けないようにしている。
大丈夫なのであれば
もしくは、大丈夫じゃないとしても
放っておいて欲しいのであれば
そもそもその話題を出さずに
何事もないかのように振る舞うと思う。
会わなくちゃ!行かなくちゃ!となると
早急に出動しようとする私に対し
「大丈夫」と返事が来てもその言葉は信じない。
傷を負ったのは“今”であって
ケアや支えが必要なのも“今”なのであーる。
「大丈夫」は遠慮であって
本心は「助けて」なのかもしれない。
そんなん人それぞれだと思いまーす!
って話だけど
少なくとも、何かを察知して衝動に駆られたら
自分の直感に忠実に
ガンガン踏み込んでお節介したいと思う。
人生イロイロ
男も女もイロイロ咲き乱れるじょ~!
by.千代ちゃん
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