6月29日(月)晴れ
また晴れが似合うし、涙雨にさせたくないのかなと思わせるほどの天気でした。
今日は私が所属していたアクションチームYA-HOON初代リーダーでもあり、魅殺陣屋の代表の
萩原宏信さんの葬儀の日でした。
萩原さんは癌との闘いの果て59歳という若さでこの世を去りました。
萩原さんを偲び、萩原さんとの思い出に浸りながらこのブログを書こうと思います。
まず、アクションを始めめたのは18歳の秋。
その頃アルバイト情報誌を見て【アクションチームYA-HOON12期生募集】の見出し
内容はスーパーや遊園地でヒーローショーや着ぐるみのアルバイト。練習あり。
着ぐるみに興味を持っていた私は入社し練習に参加しました。
初めてのアクション練習
沢山のお兄さん、お姉さんもいました。
中学も高校も女子校だったので男性の先輩たちにビクビクしていましたし、上下関係にとても厳しく
見かけちょっと喧嘩っ早そうな先輩たちにも見えて少し怖そうな印象もありました。
そんな中、「練習中は歯を出してはいけない。ふざけていたらリーダーに殴られるぞ」
と、忠告されていた私。
(でも殴り合いに見えるようにする練習をヘラヘラと中途半端にやってはケガにつながるわけだし当たり前の事。それを高校生である私に分かりやすく伝えたんだと年月を経て気が付く私)
練習初参加の日、恐々練習場に行くと
どーーーーん‼と
手を組み仁王立ちをしている男性がいるではないですか‼
まさにヤクザ映画に出てくるドンですよ…
こんな人に殴られたら死んじゃうじゃないか‼これは本当に笑ったりしてはいけない
とにかく真面目に…真面目に…
これが萩原さんと会った一番最初の印象でした。
また、萩原さんの事を怖いと思っている頃、とあるキャラショーのメインを私が演じサイン会が終わった休憩中
「おい!今日のメインキャラ誰や‼」
「わ、私です…」
「お前サイン描くのへったくそやな~」
「あんな、まず、ペンを持ってみ。持ち方から違うわ‼このマジックはこう持たないとこのマジックの良さが出え~へんねん」
「こう書いたらこう書けるしこう書いたらこうなるんや」
「わ、わかりました…こ、こうですか?」
「そうや!そうやって何回も練習してみ‼」
短いマジックインキ『マッキー』に持ち方なんてあるの知らなかったですがお陰でサインが見違えたのを覚えています。
事務所を退所された後も萩原さんをはじめ、飲み会だ結婚式だ色々とアクションチームYA-HOONで集まると1期生から現役メンバーなどあらゆる先輩後輩や、またそれにつながる方々が集まりそこに私も参加したり交流させて頂いたりしました。
モーションキャプチャーというお仕事を経験させて頂いたり、あるイベントでダンサーとして呼んで頂いたりと
萩原さんには沢山のつながりをいただきました。
更にはある劇団のお芝居に客演で出演する事になった際も
本番前、緊張している私に電話をかけて下さり
「お前は大丈夫。自信を持って思い切ってやってこい」と背中を押して下さった事もありました。
また、私が札幌に住んでいた頃
本当は札幌でMCやラジオのお仕事をしたい‼
と、意気込んできたものの何も始まらなく落ち込んでいた時に何人かの先輩たちが
「大丈夫か?元気にやっとるか?」と声をかけて下さいました。
その中でも「今札幌に出張におるねん‼飯行こや‼」
萩原さんがお勧めするジンギスカン屋さんに連れて行ってくれました。
その時に店主に私の紹介をして下さり
「アクションも出来る、ダンスも出来る、芝居も出来る。こいつは何でもできるんですよ」
「せやで!お前は何でも出来んねん」
またまた勇気を頂いたのに・・・
結局感謝の気持ちもしっかり伝える事が出来ず
月日が流れ
段々感謝の気持ちを言いづらくなり
気が付けばもう直接言うことが出来ない状況になってしまいました。
家族葬で私達は立ち入る事が出来ないはずでした。
でも、先輩方が会場の外で集まりたい人は行こうと提案してくださいました。
ご家族の事を考慮して遠慮される方もいらっしゃいましたが
少しでも近くで心の中でも感謝の気持ちを伝えたいと思い、私は手を合わせに行くことになりました。
何人か集まっていることがご家族がわかればそりゃお別れさせてあげようとなってしまいますよね・・・
ご迷惑なのは重々承知でしたが…有難くおそばに行かせて頂きました。
会場の外には沢山いたのでほんの短い時間でしたが、耳は最後まで聞こえると言いますので声に出して伝えました。
感謝の気持ちを伝えたいときにはもういないってよく聞きますが本当ですね…
改めて萩原さん、ありがとうございました。
皆さん久しぶりの投稿がつらい日記ですみません!
ご覧頂きありがとうございました。