今回はイギリスのロックバンドYESのアルバム≪Big Generator≫から表題曲”Big Gnerator"の和訳です

 

 

Such a strange pre-occupation
Such a strange peculiar breed¹
How it's shining in its armour
Made of gold and made of steel
It can strike a chord inside you
Like a generation's need²
Speaking happy words of promise

なんという奇妙な先入観

なんという奇妙でおかしな種なのか

金、スチール製の装甲の中でどうやって光っているのだろう

それは君の琴線に触れることが出来るんだ

世代の窮状の様に

甘い約束を語りながら


Big generator
Lives out of sight
Big generator
Hands upon the wheel
Moving to the left (movin')
Moving to the right
Big generator
Moving through the night

 

偉大なる創造主は我々の目の届かぬ場所に

偉大なる創造主はハンドルを握る

左に、右に動いて

偉大なる創造主は一晩中動き続ける

 

Second nature sacrifice
Even if you close your eyes
We exist through this strange disguise

 

第二の天性は神への捧げものである

たとえ君が目を閉じようとも

私たちはこの奇妙な変装の奥にいるのだ

I have heard it said to someone
Or maybe it was me
There is a reason to experience
Psychedelic so we could see
To be growing up before us
Like the black and white of love
Be the focus, be the chorus

 

私はそれが誰かに語られるのを聴く

それは私だったのかもしれない

幻惑を経験することには理由があるんだ

私たちの前で大人になるのを見るため

愛の黒と白の様に

中心となれ、そしてコーラスになれ

Big generator
Hands upon the wheel
Big generator
In for the kill

偉大なる創造主

ハンドルに手をかける

偉大なる創造主

殺しの衝動に駆られて


Second nature comes alive
Even if you close your eyes
We exist through this strange device


第二の天性が現れる

たとえ君が目を閉じても

私たちはこの奇妙な機械を通じて存在するのだ


Moving to the left
Moving to the right
Big generator
Moving through the night
We are the voices of the big generator
Moving through the night
Movin'

 

左に、右に動いて

偉大なる創造主

一晩中動き続ける

私たちは偉大なる創造主の声である

一晩中動き続ける

 

Flying out the soft machine, we offer
All surprise to you
Praise, oh, praise this anthem generator

 

柔らかな機械から飛び立って

私たちは君を驚かせるよ

賞賛せよ、おお、賞賛せよこの創造主のアンセムを


Moving through the night
Movin'
一晩中動き続ける


We are the voice of every

 

私たちは皆の声

 

 

 

【感想など】

意図的なのか文法を無視した表現も多く、ジョン=アンダーソンの意図を表現する和訳になったかは微妙です

ジョンによればこの曲は”about how we are all a part of the Earth, its eyes, its ears, its voice.

との事なのでhttp://forgottenyesterdays.com/date.asp?s=5&tname=12&tdate=1691&navb=10

Big Generatorは神もしくは地球自体ということになるのでしょうか

確証はありません

今回は次の問題を見ていきましょう!

 

 TODAY'S
 
東魏で府兵制が施行された 〇か×か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  正解は×です

府兵制西魏で施行されました

 

魏晋南北朝の王朝では後の中国王朝においても採用されることになるさまざまな制度が確立していきました

主なものを時系列でまとめてみましょう

 

 

九品中正法…曹丕が建国した220年に制定した、漢代の郷挙里選に代わる官吏登用制度で東晋、南朝まで継続しました。地方に中正官を置き官吏志望者を九品に分け(九つのランク)官位を与える制度でしたが、中正官と豪族の結びつきが強くなることで、豪族の子弟が優先的に選ばれるようになり、腐敗していきました。このような状況は西晋においては「上品に寒門無く、下品に勢族なし」と言い表されました。

屯田制…魏建国前に曹操が採用し、建国後も継続しました。兵士に田地を与えて耕作させ、生産物を地代とする制度で、魏の国力増進に大きく貢献しました。

 

 

西晋

占田・課田法…司馬炎(武帝)が制定しました。耕作面積の基準などに関する法律と考えられていますが、詳細は不明なので、名前だけ覚えましょう。

 

 

東晋

土断法…匈奴との戦い(永嘉の乱)に敗れた西晋は南進し都を建康に移します(東晋)。この際、北からの移住者たちが無戸籍になったこと、その一部が豪族の私有民となったこと課税が出来ないという問題が発生し、これを解消するためにできたのが土断法です。無戸籍民たちを原住地で戸籍編入することで課税を可能にしました。

 

 

北魏

均田制…国家が国民に田地を給付し、収穫の一部を税として国家に納めさせ、定年で土地を返却させる制度で、唐代まで用いられました。日本にも伝わり班田収授法のもとになりました。

 

 

西魏

府兵制…均田農民に兵役を負わせる徴兵制度であり、隋、唐でも用いられました。

 

今回はPink Floydの名盤、”Meddle(おせっかい)”からSeamusという曲の和訳です

 

このアルバムは最初のOne of These Days、5曲目のEchoesに焦点が当てられることが多く

2~4曲目は顧みられることが少ない気がします(地味なので…)

特に4曲目Seamusについてはネット上で和訳が見当たらなかったので訳してみました

 

 

歌詞/和訳

I was in the kitchen

Seamus, that’s the dog, was outside

 

僕はキッチンにいた

犬のシーマスは外にいた

 

Well, I was in the kitchen

Seamus, my old hound, was outside

 

そう、僕はキッチンにいた

僕の年老いたハウンド犬、シーマスは外にいた

 

Well, you know, the sun sinks slowly

But my old hound dog sat right down and cried

 

ねえ、知っているだろう?太陽はゆっくり沈んでいく

でも僕の年老いたハウンド犬はそばに座って鳴いたのさ

 

 

解説、感想など

文法は中学レベルで簡単すぎるので、あまり説明の必要はないでしょう

・hound…「猟犬」を指しますが、「ハウンド犬」とした方が歌詞としてきれいな気がしたのでこちらを採用しました

・Seamus…Humble PieというロックバンドのリーダーSteve Marriotが飼っていたボーダーコリーの名前だそうです

 

Echoesなどと比べれば地味かもしれませんが、普通に良い曲ですよね

プログレっぽさはないですが

 

 

今日は次の問題を見ていきましょう!

 

 

ストラボンは『地理誌』を著した  〇か×か? 

 

 

 

 

ストラボン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  正解は〇です!

ギリシア人、ローマ人の名前は非常に覚えにくく、特に古代ローマにおいては広大な帝国内において様々な民族を出自とする人々が活躍したので記憶しにくいです。

今回は古代ローマの著作と作者について重要なものをまとめていきます。

 

 

 キケロ『国家論』

キケロは内乱の1世紀時代の政治家、雄弁家で、彼の著作や書簡はラテン語散文の模範と見なされています。

 

 

 ウェルギリウス『アエネイス』

『アエネイス』はアエネアスを主人公とした叙事詩であり、ホメロスの叙事詩の影響が散見されるラテン文学最高峰の一つです。アウグストゥスの命で書かれたローマ建国叙事詩としての側面が強く表れています。

 

 

 ポリュビオス『歴史』

~osで終る名前からも分かるように、ギリシア人です。マケドニア軍に従事しながらローマ軍の捕虜となり、第3次ポエニ戦争に従軍、ローマがいかにして強国となったのかを考察する大作『歴史』をギリシア語で記しました。『歴史』という書名はヘロドトス、トゥキュディデスの著作と間違えやすいので注意しましょう。

 

 

 カエサル『ガリア戦記』

名称ユリウス=カエサルも実は著作を残しており、このガリア戦記はラテン文学史に残る名文であるとともに、ケルト人の習慣を知る手掛かりの一つとしても非常に重要です。

 

 

 ストラボン『地理誌』

『地理誌』はこの時代の地中海周辺の研究において最重要の著作の一つです。

 

 

 リウィウス『ローマ建国史』

リウィウスはローマ共和制に強いあこがれを抱いていましたが、この著作はアウグストゥスの援助のもとで完成されたため、アウグストゥスに好意的な面もあり、正確性に欠けるとする指摘もあります。かなりの部分が現存しません。

 

 

 プルタルコス『対比列伝』

ギリシア・ローマの英雄を比較する著作です。古代ギリシアと古代ローマは教科書でも隣り合って登場していますが、昔から何度も比較の対象とされてきました。一般的に文か面ではギリシア、実用面ではローマに軍配が上がるとみなされています。

 

 タキトゥス『ゲルマニア』『年代記』​​

『ゲルマニア』はゲルマン人の風俗や地誌について、『年代記』はアウグストゥスからネロまでの歴史を記しています。

 

 

 プリニウス『博物誌』

いわゆる百科事典です。なおプリニウスはヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイの救助に向かう際に火山ガスにより亡くなったというエピソードが有名で、テストにもたびたび登場します。

 

 

 プトレマイオス『天文学大全』

2世紀のギリシア人です。彼の唱えた天動説が以降地動説が証明されるまで西欧において主流でした。

 

 

 マルクス=アウレリウス=アントニヌス『自省録』

五賢帝最後の皇帝で、自らの思想をギリシア語で書き留めたのが『自省録』です。ストア派の流れをくむ思想が見られます。

 

 ネットで調べても和訳が出て来なかった洋楽(投稿日時点)を和訳していきます(多分更新頻度はかなり遅いです)

 

 今回は90年代イギリスを代表するロックバンド、スエードのファーストアルバム”Suede"から”Moving"という楽曲の和訳です

 

 

”Moving" 歌詞/和訳

 

 

Shame on me
Well I had the beast, you see
And if he can take it
I can take him home with me

 

僕はなんて恥知らずなんだ

そう、僕の中には獣がいるんだ、わかるだろ

もし彼がこの獣を捕まえてくれるなら

僕は彼を家に連れこむよ


Shame on her
She's a lovely little number
And when we go lassoing
You get lassoed, all of you
If you can take it

I can take it

 

彼女はなんて恥知らずなんだ

彼女は小さくて可愛い娘

僕たちは君を捕まえに行って

君は捕まってしまうんだ、君の全てを

君がそれをつかむことが出来るなら

僕もそれをつかむことが出来るんだ


And we're moving
So moving
So we are a boy
We are a girl
So moving
So moving

 

そして僕たちは動いている

動いている

僕たちは男の子だし

同時に女の子なんだ

動いている

動いている

Shame on the girl
She's got a big black dog in her
And while tough kids sing about tough kids
She just skins the world

 

なんて恥知らずな娘なんだ

彼女の中には大きくて黒い犬が住みついている

そしてタフな少年たちがタフな少年たちについて歌っている間

彼女はただ世界を欺いているんだ


We'll never never play the harp
And we'll stick like sick on the stars
And if you can take it
I can take these stones from my heart
If you can take it
I can take it

僕たちは絶対に、絶対にハープをひかない

そして僕たちは決して動かないだろう、星々の上の反吐のように

もし君がそれをつかむことが出来るなら

僕は自分の心臓から石を取り出すことが出来る

君がそれをつかむことが出来るなら

僕はそれをつかむことが出来るんだ

*イギリスのバンドの曲なので、2行目のsickはvomitと同義として訳しましたが、合ってるかわかりません

ご意見等あればコメント欄で宜しくお願いします


And we're moving
So moving
So we are a boy
We are a girl
So moving
So moving

 

そして僕たちは動いている

動いている

僕たちは男の子だし

同時に女の子なんだ

動いている

動いている


If you can take it, I can take it, all of me
If you can take it, I can take it all
If you can take it, I can take it, all of me
If you can take it, I can take it all!

君がそれをつかむことが出来るなら

僕はそれをつかむことが出来るんだ

君がそれをつかむことが出来るなら

僕はそれをつかむことが出来るんだ!

 

 

感想

かなり稚拙な和訳になってしまったかもしれません

官能的な雰囲気の漂う歌詞ですが、それぞれの単語が本当に示しているものを理解するのは非常に難しく、何かのメタファーなのか、もしくは単なる言葉遊びなのか、解釈がわかれるところです

 

問題 

 

今回の問題の舞台は中世イタリアです

当時の他のヨーロッパ諸国とは政情が全く異なるので注意しましょう!



『イタリアでは教皇党と皇帝党が争った』〇か×か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  正解…〇

この記述は間違っていません!

 

一般的には1122年のヴォルムス協約によって叙任権闘争は終結したとみなされますが、実際には完全な解決には至っておらず、その余韻は神聖ローマ帝国が触手を伸ばすイタリアにおいて尾を引いていました。

 

イタリアは他の元フランク王国たちとは異なり、中央集権的傾向を見せず都市共和国(コムーネ)の集合体の様相を呈しており、この様な状況において教皇を支持する教皇党(ゲルフ)と皇帝を支持する皇帝党(ギベリン)に分かれて争いました。

 

例えば神聖ローマ帝国のイタリア政策に対して反抗するために結成されたロンバルディア同盟諸都市は教皇側に依存する傾向を示しました。

 

今日はこちらの問題!


「カエサルはガリアのケルト人を征服した」○か✕か?











正解は○です!

ユリウス・カエサルは前58年から前51年までローマ軍を率いてガリア(現フランス)遠征を行い、ケルト人と戦い勝利しました。この際彼自身によって書かれたとされる『ガリア戦記』はラテン語の名文として有名です。


 三頭政治の一角、ポンペイウスはガリア遠征で名声をあげるカエサルと対立し、元老院に接近し、これによってカエサルvs元老院+ポンペイウスという図式は避けがたいものになります。ポンペイウスは前54年に最愛の妻ユリアを亡くし自暴自棄になっていたともされています。
  前49年カエサルはルビコン川を渡りイタリア侵入を強行、この際に生まれた言葉が有名な『賽は投げられた(Jacta alea est)』であったとされています。
 両者はギリシア西部において衝突し(ファルサロスの戦い)、カエサルが完勝、逃亡したポンペイウスはプトレマイオス朝エジプもにト庇護を求めますが暗殺されてしまいました。
 三頭政治の一角、クラッススはすでにパルティア遠征で戦死していたため、カエサルの天下となるわけですが、彼の急進的改革について行けない共和主義者らによって前44年に暗殺されてしまいます。



   今回はこちらの問題!


「スペインはカルカッタをアジアの貿易の根拠地とした」○か✕か?











 正解は✕です


スペインはフィリピンとメキシコ太平洋岸のアカプルコを結んで、マニラを根拠地としたアジア貿易を展開しました。これを通例アカプルコ貿易と呼びます。

インドのカルカッタを占領したのはスペインではなくイギリスです。


ヨーロッパ各国の植民地政策は地名が多く出てきて整理しにくいですよね。以下で16〜17世紀の主な植民地政策をまとめてみるので参考にしてください。


1505  セイロン島…ポルトガル

1510  ゴア(インド西岸)…ポルトガル

1511  マラッカ…ポルトガル

1521  メキシコ…スペイン   コルテスによりアステカ帝国滅亡

1533  ペルー…スペイン  ピサロによりインカ帝国滅亡

1557  マカオ…ポルトガル

1571  マニラ…スペイン

1600  ヴァージニア…イギリス

1608  ケベック…フランス

1619  バタヴィア(現ジャカルタ)…オランダ

1620  ニューイングランド…イギリス

1624  ゼーランディア城(台湾)…オランダ

1626  ニューアムステルダム…オランダ

1639  マドラス(インド西岸)…イギリス

1641  マラッカ…イギリス  ポルトガル領を占拠

1652  ケープ植民地…オランダ

1655  ジャマイカ…イギリス

1661  ポンベイ(インド西岸)…イギリス  ポルトガルより譲渡

1664  ニューヨーク…イギリス  オランダ領ニューアムステルダムを占拠

1673  シャンデルナゴル(インド東岸)…フランス

1674  ポンディシェリ(インド東岸)…フランス

1682  ルイジアナ…フランス

1690  カルカッタ…インド


 【ポルトガル】

まず最初に植民地政策に乗り出すのはインド航路を開拓したポルトガルです。ゴアなどを占拠してアジア貿易の根拠地を獲得し、香辛料貿易を独占していたムスリム商人たちと競合しつつ、マラッカ、モルッカ諸島を占領していきます。1557年にはマカオに居住権を得て、対中貿易を行います。このように他のヨーロッパ諸国よりも早くに市場拡大に取り組んだポルトガルでしたが、総じてアジア貿易が王室の独占事業として行われたこともあり、国内産業は発展せず、他国に出し抜かれていきます。


【スペイン】

ポルトガルにやや遅れてアジアに進出し、メキシコ、フィリピンを結ぶアカプルコ貿易を完成させます。フェリペ2世の時代にポトシ銀山の銀によって最盛期を迎えますが、1588年のアマルダ海戦を始めとするイギリス、オランダの追撃によって衰退していきます。


【オランダ】

16世紀後半にスペインから独立し、1602年には東インド会社を設立してアジア進出を始めます。スペイン・ポルトガルに対抗するため協力することもあったイギリスを1623年のアンボイナ事件において東南アジアから締め出しましたが、17世紀半ばの3回に渡る英蘭戦争によりイギリスの優位が確定します。


【イギリス・フランス】

この2国の植民地政策に関しては今回だけでは書ききれなそうなので、又の機会に…



今後も不定期ですが記事を更新していきますので、世界史に興味のある方はフォローなど是非よろしくおねがいします!



今回は、イタリアの歴史に関する次の問題を見てみましょう!

「マッツィーニによって両シチリア王国は占領された」○か✕か?

























正解は✕です!

両シチリア王国は1860年にマッツィーニではなく、赤シャツ隊を組織したガリバルディによって占領され、サルデーニャ国王に献上され、翌年イタリア王国が成立しました。マッツィーニは青年イタリアを組織し、イタリアの共和制による統一を目指した人物です。

↑ガリバルディ

イタリア統一は世界史の超頻出分野の一つですが、今回はこの出来事ではなく、今回登場した「両シチリア王国」の成立までを見てみましょう。 

  両シチリア王国に関しては教科書で説明が少なく、1130年にノルマン人のルッジェーロ2世が建てた、ということをかろうじて覚えているという程度の人も多いと思います。なお教科書ではシチリア島と南部イタリアからなること国を両シチリア王国と呼びますが、建国当時の正式な名称はシチリア王国です。

  イタリアに成立した他の国同様、政情は安定せず、フランスのアンジュー伯の支配下に入った後、14世紀はじめにはスペインのアラゴン王家がシチリア王国、アンジュー伯がナポリ王国を支配することによって分離、15世紀になってアラゴン王家がナポリ王国と統合しここに初めて両シチリア王国の国号が現れます。

   その後も両王国は分離したり外国の支配を受けたりと政情は安定しませんでしたが、18世紀初頭には両王国はスペイン=ブルボン朝の支配下に入ります。

  19世紀初頭にナポレオンが兄をスペイン王としたためブルボン朝は断絶しますが、ウィーン会議の後に王政復古し、改めてブルボン朝両シチリア王国が成立することとなりました。

今回は以下の問題を見てみましょう!

「ビザンツ帝国はアラビア語を公用語とした」○か✕か?





















正解は✕です!

ビザンツ帝国の公用語はギリシア語であり、アラビア語は基本的にイスラム圏の言語です。


  394年、ローマ皇帝テオドシウスが死去すると、ローマ帝国は二人の息子アルカディウス(東)とホノリウス(西)に継承され事実上二分されることとなり、西ローマ帝国は侵入してくるゲルマン人に有効打を打てず、476年にオドアケルによって滅ぼされ、西ローマ皇帝位は東ローマ帝国へと統合されます。

  さて、この東ローマ帝国は、いわゆる皇帝教皇主義が取られ(この考え方はカトリック側からの味方であり、近年では誤りとされています)、かつてのローマ帝国とは異なるキリスト教国家に変貌したと見られ、歴史家たちは中世以降のローマ東方領をビザンツ帝国と呼ぶようになりました。細かい歴史には今回は触れませんが、8世紀までの間にビザンツ帝国では公用語がラテン語からギリシア語に変化したと考えられています。『新約聖書』がギリシア語で記されていることを考えれば、自然な変化であると言えるでしょう。ユスティニアヌス帝トリボニアヌスと協力して作成したとされる『ローマ法大全』は旧ローマ帝国の公用語であるラテン語を主体に、一部はギリシア語で書かれています。