ホエールキャプチャ | tapdanceのブログ

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ここのところ捕鯨・イルカ漁に関する議論があらためて白熱していますね。

とりわけ今回はかの首長の声をきっかけに「他国の文化に口を出すこと自体がおかしいんじゃないか」的な声が、今まで以上に大きく上がっているような気がします。

そこで今日は、この点について私なりに考えてみました。

1 私は他国の文化や伝統、風習、制度等に口を出すことは、基本的にはナンセンスだと思いますし、実際に日本人はそういうことはあまりしていないように思います。

他国で行われていることについて、我々の観点から「それってどうなんだろう」と疑問を投げかけることはあっても、「やめろ!」なんてことを口にしたりはしないし、ましてや大きい団体を作って大々的に抗議をしたり、国家をあげて意見を言ったりすることはありません。

ちょうど今週の深夜の馬鹿力でも語られていたのですが、アメリカの銃社会なんかがズバリその一例です。

アメリカでは一般人が銃を所持することが許されていて、それによって悲しい事件や事故がたくさん起こっていることについて、私たちは大いに悲しみますし、かの国の銃制度自体に大いに疑問を持ちます。

しかし、だからと言って「てめーら銃なんて持ってんじゃねーよ!」という意見をぶつけるのは稀です

それは、多くの人が「銃制度はアメリカさんの問題であり、そこには尊重すべきもの(開拓の歴史や自衛に関する文化、経済的なアレコレ)があるのだ」ということを、きちんと理解しているからです。

隣国にあったと言われている、犬を捕食する文化についてもそうです。

人が犬を食べることについて「可哀想」とか「野蛮」みたいな感想を持つことはありますが(それも失礼な話なのかもしれませんが)、だからと言ってすぐさま「てめーらやめろよ!」と意見をするような発想は持ち合わせていません。

2 ただし、その文化等が極めて非人道的なものである場合、話は別です。

事案があまりにも非人道的であれば我々日本人も、その場合は声を大にして「やめろよ!」と言っているように思います。

昨今で言うとインドのレイプ問題なんかがそうです。

えっと、インドのレイプ問題というと結構幅が広いので、ここでは「村や集落等において、『掟』などと称して行われているもの」に関するものを連想して欲しいのですが

この議論になった時我々は、先述の銃制度や犬を捕食する文化について議論する時とは比べものにならないぐらい「そんな『掟』やめろよ!」と声に出しているように思います。

それは、起こっていることがあまりにも深刻で、つまり非人道的だと考えているからだと思います。

(※これだけ書くと「アメリカの銃社会だってそれによって人が死んでるんだぞ、十分非人道じゃないか」って言われてしまいそうだし、まさにその通りなので

プラスして「この『掟』にはアメリカの銃社会ほど尊重すべき物が小さく、口出しすることに対して許容性が認められる」と考えていると付記)

・・・あの『掟』まさに伝統であり、風習であり、その村では大事にされている制度なのだと思います。

しかし我々は、そのあまりにも非現代的で非人道的な制度に関しては、ヨソ者であることを理解しながらも「やめろよ!」と意見しています。

以上のことから、我々は他国の文化や伝統、風習、制度等に口を出すことはナンセンスだと考えていますが、しかし文化等が極めて非人道的なものである場合は、ナンセンスであることを厭わずに意見をしているように思います。

3 となると、イルカや鯨を捕食することが欧米人にとって極めて非人道的なものであるとすれば、現在彼らが「捕鯨ダメ、ゼッタイ」と意見をしてくる行為自体は我々の感覚をもってしても是として認容できます。

では、イルカや鯨を捕食することは、極めて非人道的な行為なのでしょうか。

この点、日本人の感覚で言うと、その行為が人道にもとるものだなんて一切思っていません。

だからこそ私たちは平然と鯨を食べたり、イルカ漁のニュースを聞いたりしています。

しかし、欧米人の感覚では、それが極めて非人道的なものだと捉えられている可能性はあります。

そして私個人としては、彼らはそう捉えているんじゃないかと思っています。

・・・えっと、先に言っておくと、私は欧米の文化について学問として修めたこともありませんし、欧米での生活経験があるわけでもありませんし、男性器のサイズだってアジアンスタンダードです。いやむしろアジアンスタンダードを少し下回ります。

だから私には彼らが真にどんなことを考えているかなんてこれっぽっちも分からなくて、故にこれから書くことはあくまで俺の妄想なのですが・・・

欧米の人は『人を殺めてはいけない理由』について「知能がある生物の命を簡単に奪ってはいけないからだ」という理論を軸に考えている節があるように思います。

「命を奪う対象に知能があればあるほど、個体の命が奪われることによって生じる痛みや悲しみは大きくなるのであるから

生物の中でも高い知能を持つ人間を殺めることは、例え徒に命を奪う訳ではなくそこに捕食等の目的があるのだとしても良くないことであり

もし、より低い知能しか持っていない生物を殺すことで目的が果たされるならば、そちらで代替すべきだ。

それが出来るだけの知能がお前にはあるだろう。」

そんな感じでカニバリズムを批判したり、吸血鬼相手に理論武装したりするシーンを、向こうの小説の中でよく見かけるからです。

で。もし私のこの見解が間違っていなければ・・・彼らの中では、知能がある鯨を殺すことは、人を殺すこととニアリーイコールになります。

だとすれば、欧米人の感覚では、鯨やイルカを捕食することが極めて非人道的なものと捉えられているとしても全然おかしなことではありません。

そして、「捕鯨ダメ、ゼッタイ」という意見陳述も、是として認容出来ることになります。

4 という訳で、あくまで私の妄想を下にした考察ではありますが、とりあえず私の中では「彼らが捕鯨等について口を出す行為自体は是」という結論に至りました。

無論、意見陳述が是だとしても、だからといってその意見に即刻従わなければなければならないという訳ではありません。

もとより価値観というのは無限にあり得る訳だし、時代や場所に応じてそれが変わるのは当然です。

「欧米人は鯨やイルカを殺すことをダメだと言っているが、やはり我々はその意見には賛同できない」というのであれば、今のまま捕鯨等を続ければいいと思います。

ただ日本人は、もう少し欧米人の意見についてきちんと考察したり、しっかり対話をしたりすべきなのではないでしょうか。

彼らがなす批判を「他国の食文化に口出すんじゃねーよ」とあっさり退けるのではなく

その批判はどういう背景があってなされているかを探り、それを踏まえた上で、受け入れるべきか退けるべきなのかを考えてもいいように思います。