・兄の影響で中学1年(12歳)からギターを弾き始め、中学2年生の頃に友人とバンドを結成し卒業式前日に学校の体育館にて最初で最後のライブを行う。それとは別に兄とバンド“LAR”を組んでTHE MODS、ARBなどのコピーをしていた(兄はドラム、福山はギター)。

・子供の頃は今のようなシンガーソングライターとしての成功は無理だと思い、音楽の教師になりたかったらしいが家庭の状況(金銭面)から断念した。

・中学時代は吹奏楽部に所属し、ホルン担当の部長だった。この時の経験が活きており、現在もトランペットなどの管楽器を鳴らすことができる。高校時代は『お菓子が食べられるから』という理由で茶道部に所属していた。

・高校生の時、学校で禁止されていたバイクの免許を取得したことが学校側にバレてしまい、停学処分になったことがある。

・大のバイカーとして知られ、『福山エンヂニヤリング』の番組内でホンダ・ドリームCB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングに行くなどしており、バイクチーム「有楽町crazy horse」を私設している。

・高校時代は街で有名な美男子で「バス停の君」と呼ばれていた。このころから良くモテた(はず)

・「俺はアミューズのイケメンの神様の子供」「イケメン界の始祖鳥」と冗談で自称することもある。

・高校卒業後、普通のサラリーマンとして就職するも、音楽の道へ進むために脱サラ
東京行きの夜行列車の中の福山雅治の靴下の中には、バイクを売って作った大金が忍ばせてあったデビューまでの足取り上京後はピザ屋や材木屋でアルバイトをしながら生計を立てていた
ちなみに、長崎の方便が強く残っていたためにピザ屋では「長崎君」のあだ名で親しまれた

・現在の所属事務所amuseに入ったきっかけは、受かれば銀幕デビューというオーディションだった
着々と審査をパスしていき、とうとう最終審査の直前、と言うところで合格の手紙が着かなかった
落ちたと思った雅治青年は気晴らしにツーリングに出かけようとバイクにまたがるが、何故かマフラーが落ちてしまう
仕方なくマフラー修理をしていたところ、郵便局員が電報を届けてきたそれはamuseからの「レンラククダサイ」の知らせだった。受かっていたのだ
そのころ福山家には電話がなく、なんらかの手違いで合格の手紙が届かなかったため、オーディション会場に現れない福山へ宛てられた電報だった
そして他の受験者がすべて終わったあとの会場に福山はややムカつき気味で到着
ここで歌ったのが泉谷しげるさんの「春夏秋冬」である
そして合格。見事初映画「ほんの5g」で芸能界デビューを果たすのであった

・シングル「追憶の雨の中」でデビュ-。
また TBSドラマ「あしたがあるから」に出演し俳優としてもデビュ-。
ア-ティストとしてまた俳優として活躍しているが、
俳優としては「ひとつ屋根の下」で大きな人気を博し、
ア-ティストとしてはシングル「HELLO」が200万枚を突破するという大ヒットになり今までにない福山独自のキャラクタ-を生み出す。


・実は知る人ぞ知る、大の雑誌好きである。週刊誌類はほとんどカバーしており、『魂のラジオ』でも多忙なはずなのに最新の週刊誌ネタが出てくることもある。ドラマ等に出演している間は、時に自身のガセネタが記事になることもあるが、むしろ楽しんで読んでいる節さえある。「まさか本人が読んでいるとは思わないで書いているんだろうなという記事を、読んでるぞと思いながら読むのが痛快」だという。

・不動産を経営していた祖父の影響で、幼い頃からの筋金入りの不動産好き。自身のラジオのスタッフがマンション購入について本気の相談をすると、真剣に答えてくれる。「歌う不動産王」と自称することもある。

・また、引越しなどを考えている後輩・友人がポロリをそのことを漏らすと、すぐに具体的な候補地を聞き出し、オススメの物件を紹介する。更には自ら車を操り、物件巡りのツアーを敢行することもあるほど。

・2011年2月27日放送の『魂のラジオ』において福山は、ニコニコ動画の熱心な利用者で、最初期からのプレミアム会員であることを明かし、全ニコニコ会員を震撼させた。また、動画内での生放送(通称・ニコ生)をよくチェックしており、最近ではalanの生放送を視聴したという。更に「オファーがあれば(生放送に)出ますよ」とあっさり発言し、再び激震が走った。この一連の発言部分を抜粋したものがすぐにニコニコ動画にアップロードされ、今では驚異的な再生回数およびコメント数を記録している。

・自称「オナニーの神様の子供」で、TENGA愛用者。以前ガソリンスタンドを利用した際、ファンだという店員にもらったという。

・もともと福山は、イケメンが無条件で叩かれる傾向にあるネット界において、圧倒的な人気を誇る珍しい存在である。発言を抜粋した動画は『ニコ動で最も愛されているイケメン』などと紹介されている。

・多趣味なことで有名。一度ハマるとそれを徹底的に調べ上げ、自分なりに開拓していくが、移り変わるスピードもまた早い。私設バイクチーム『有楽町crazy horse』でスウェーデンに行った際に水・ウイスキーにハマり、疲労回復のために食べ始めたニンニクにハマり、大河ドラマ『龍馬伝』撮影で全国各地を回った際に堪能した日本酒にハマるなどしている。周りはそのたびに福山に影響され、ハマりものを一生懸命研究するが、追いついた時には福山は別のものにハマっていることもしばしば。

・1995年 - 1998年までの活動休止期間中は世界各国を回り写真を撮っていた。

・酒癖はかなり悪い。ある正月に事務所の先輩である桑田佳祐の自宅で、泉谷しげるも一緒にパーティーを行った際に酔っ払った。桑田に「この偽湘南ボーイが!お前は伊東に別荘持ってんじゃねえか」などと絡んだ。さらに30万円相当の皿を「何だこの高い皿!フリスビーしちゃおうぜ!」と投げては割りまくったため、それ以来桑田の家には出入り禁止になっているらしい。

・ワンマンライブではノーパンである。これは以前、非常にタイトなスケジュールでライブ活動を行なっていた際、替えのパンツが追いつかなかったことに起因する。ホテルで自分でパンツを洗いながら、ついさっきまで黄色い声を浴びまくっていたこととのギャップに耐えられず、いっそノーパンでやってやろうと決意したらしい。

・上京当時のアルバイト先のとあるバーでゴミ出しの際に発見した泥酔状態の女性を、自宅へ拾って帰ったことがある。しかし、後に「まあ、嘘ですけどね」と言っている。

・AVは買わなくても、インターネットでサンプル動画を観るだけで十分だという。最近ほとんど観ていないそうだが、AV女優のRioが好みだという。『魂のラジオ』にて、リスナーから「Rioの握手会に参加した際、『福山さんがあなたのことをよくラジオで話しているので来ました』と言ったら、すごく喜んでいました」というメールを受け取り、「気が利く!でかした!」と大喜びした。

・2011年2月11日放送の3時間SPと同年公開の映画『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~』にカメオ出演し、同映画のテレビCM「福山雅秋バージョン」でナレーションも担当。福山は「しずかちゃんが大ファンだという設定で嬉しかったですねえ。相当いろいろな人に自慢しましたから。芸能界に入って2番目に嬉しかったことです。ちなみに1番はビヨンセに『アイ・ライク・フクヤマ』って言われたことだ。」


交遊関係
・桑田佳祐
所属事務所アミューズの先輩で、福山のことを「マサジ」と呼んでいる。
2000年にサザンオールスターズが行なった「茅ヶ崎ライブ」にて福山が開演前の開会宣言を務めた。同ライブのMCでは「福山が『桜坂』なんてあんないい曲を作詞出来るわけない。俺がマサジにファックスしたんだ」と発言し場内の爆笑を誘った。なお同ライブで、アミューズの事務所で福山に禁煙した事を報告したところ、当時喫煙者だった福山が「桑田さんが禁煙した歳にタバコやめます」と暴言を吐いた事も暴露した。

2003年に行なわれた誕生日パーティー(アミューズの主催)では、福山が及川奈央の2枚組DVDをプレゼントした。

2000年に福山がシドニーオリンピックのテレビ朝日公式カメラマンとして活動していた際には、ラジオで「音楽活動をほったらかしてあの男は何をしているのか?」と発言した。他にも、大河ドラマの主演などについてラジオで冗談だが相当悪口を言っていた。

『ミュージックステーション』のサザン特集の際に福山はコメント出演し、「カラオケでは必ず1曲目は誰が居ようとも「マンピーのG★SPOT」を歌っている」と公言した(亀梨和也、山下智久とカラオケに行った時は「(桑田さんには悪いが)世代が違う」ということで歌わなかった)。
また、桑田佳祐のやさしい夜遊び(2012年2月11日放送)で桑田は「毎回福山が空気を読まずにカラオケでマンピーのG★SPOTを歌うのでアミューズの所属しているタレントや関係者も呆れかえっていて、(福山に)やめろと言ってもあいつはやめようとはしない」と発言している。

2009年の誕生日の際、福山が遅れて来て盛り上がったが「福山が来たら盛り上がるなんて、大体俺の誕生パーティーは福山目当てで来たんじゃないか?」とラジオで愚痴をこぼしていた。

福山の40歳の誕生日をアミューズ関係者らとサプライズで祝った際、地方の営業が早く終わったため急遽駆けつけ、福山が以前楽曲提供をした前川清のパロディー・後川清として、スケジュールを詰めて1週間レコーディングした福山の持ち歌のアレンジバージョンを数曲披露した。(このレコーディングには福山のツアーメンバーである小倉博和と山本拓夫も参加した)。この時ステージのスクリーンでは福山の幼少期の写真がスライドショーとして上映され、その写真の一部には必ず後川に扮した桑田の顔が合成されていた。パーティー終了後にはギターをプレゼントし、福山に頼まれてヘッドの裏にサインもした。ちなみにこれは以前福山に貰ったオレンジのミニアンプのお礼らしい。他のアミューズのタレント等が平凡なメッセージビデオだったために「無駄だった」と自身のラジオ番組で発言している。

・BEGIN
「年齢」「東京に出てきた年(18歳)」「デビュー日(1990年3月21日)」「所属事務所(アミューズ)」が全て同じ。そのためか、BEGINと共演する際には“BEGINの4人目”と自称することがある。

・タモリ
同じ九州出身で、1990年12月21日の『ミュージックステーション』で初対面。
2006年に『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に生出演した際、CM中にメールアドレスを交換して以来メル友である。福山はタモリが司会を務める番組に出演する際、出演前と出演後に必ず挨拶のメールを送るという。
福山に高級ウイスキーを教え、それ以来福山とリリー・フランキーに「モルトクラブの会長」として慕われている。2人から今飲んでいるウイスキーの写メールが送られてくると、負けず嫌いのため「そんなの大したことない」と返信する。

・大泉洋
2008年、自身が主演したドラマ『波乗りレストラン』の最終回に福山がゲスト出演したのが初共演である。また、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』では、坂本龍馬の盟友である近藤長次郎を演じた。これがきっかけで更に親交が深まり、「洋ちゃん」と呼ばれるようになる。大泉の東京でのマネージメントはアミューズが行なっている。
2009年のライブツアーで札幌に行った際に「北海道の食べ物なら大泉に聞こう」ということで、福山がマネージャー経由で相談した。福山は勧められた「カリー軒」を訪ね、ライブのMCでも話題にした。その後、北海道滞在中の食事をほぼ全てプロデュースし、後日携帯に直接お礼の電話が入ったらしい。
『龍馬伝』チームでカラオケに行った際、『道標』を歌ってほしいとせがみ、実際に福山に歌ってもらい号泣した。福山は「あんなに泣く芸能人は初めて見た」という。また、『ひまわり』も好きで、特に2番の歌詞がお気に入りである。酔っぱらうと、「あのバスは走ってますか」の部分に関して「あのバスはどこに行ったんですか!」と絡むらしい。
『龍馬伝』がきっかけで『魂ラジ』にゲスト出演した。本番中は大泉の独壇場となり、番組は大いに盛り上がった。恒例のコーナーを放送できず、翌週に持ち越される異例の事態となったほどである。終了後は翌朝4時まで飲み会が続き、その間中喋り続けたが、本人曰く「面白いことを言えというプレッシャーを感じた」とのこと。
福山の友人であることを周囲に自慢しており、福山から直接電話がかかってくると、「おーっと福山雅治から電話だ!」と大声で叫び、周りにアピールする。しかし留守電にメッセージが入っていた時は、あまりの美声に驚いて思わず電話を耳から遠ざけてしまったらしい。
また、大泉は福山のものまねをよくしており、福山自身が「福山をまねる大泉」のものまねをしたこともある。自身のラジオ番組では『「マイケルジャクソンのマン・イン・ザ・ミラー」をまねる大泉』の真似も披露した。
AKB48の前田敦子に非常に好かれており(後述の通り、彼女も『龍馬伝』で福山と共演している)、現在は福山の嫉妬を一身に受けるはめになっている。

・児玉清
ドラマ『美女か野獣』とNHK大河ドラマ『龍馬伝』で共演。福山の「東京の父」である。
『美女か野獣』では役柄の都合上、デスクが隣同士であり、児玉の好きな「オリンピックおたく」ネタで意気投合した。オリンピックを生で観戦したことがないことを話すと、福山は「今度一緒に観に行きましょう」と話した。社交辞令だと思っていたが、数年後福山から突然オリンピック観戦についての電話がかかってきた。テレビ朝日の公式カメラマンとして現地に赴く福山が、児玉も同行できるよう取りはからったためであり、その気遣いに児玉は深い感銘を受けた。以降、オリンピックを一緒に観戦する友人となった(2008年7月10日「日本経済新聞」“交遊抄”への投稿より)。
メールは使えなかったが、福山のしきりにメールを送る努力の甲斐もあり、やり取りは長文で続くようになった。
また、「彼は人と絶妙な間合いを取り、示唆に富んだ発言をする」と福山の人との接し方などをあちこちで絶賛し、「この人は僕の兄貴」と公言し周囲を驚かせていた。「彼はシャイだから人に見せようとはしないけれども、時々キリッとした男らしいところを見せる。これはカメラに絶対映える。だからそれを見せて欲しい」と『龍馬伝』での坂本龍馬役での出演を強く薦めた(NHK『土曜スタジオパーク』)。2011年のギャラクシー賞授賞式の挨拶で福山はそれに言及し「受賞を(同年5月に死去した)児玉さんに報告したい」と結んだ。

・リリー・フランキー
「リリーさん」「福山君」と呼び合う仲。きっかけは、リリーがナビゲーターを務めていた(2002年~)FM番組J-WAVE「TR2」を福山が聴いている、と伝え聞いたリリーの、ON AIR中での呼び掛けに応える形でゲスト出演が実現(2004年01月28日放送)したことから(その後更に2度出演)。その縁でリリーの著書『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』の帯に書評を書き、著書が映画化された際にリリーから直接依頼され、主題歌「東京にもあったんだ」を制作した(シングルCDのジャケットはリリーのデザイン)。互いのマネージャーを交えて一緒にイチゴ狩りに行くなどプライベートでも非常に仲がよく、ドラマ『ガリレオ』のスタッフ達との打ち上げでも、夜を明かして朝になり開いている飲み屋がなくなったときにはリリーに電話をして飲んでいた飲み屋に合流するなどした。
『容疑者Xの献身』『龍馬伝』にも出演した。また福山のファンクラブの会報に漫画を連載しており、彼のデザインした「リーダー龍馬くん」がグッズ化している。

・ルー大柴
無名の新人時代から交流がある。当時無名だった彼に親身になって相談に乗ったりアドバイスしたり、福山にアルバムの帯にタイトルバックして欲しいと頼まれて快諾し、「僕のようにビックになりなよ!」と書き込んだが、「今じゃ福山君の方が遥かにビックになってしまった」と述べている。定期的に福山から電話を掛けるらしく、一度福山自身から「ルーさんのハウスでディナーをイートしたい」と言われたが、ルーの妻が彼の大ファンで、「恐れ多い」との事で流れて実現しなかったらしい(上沼恵美子の番組より)。
福山がブレイクする前にラジオ番組で共演し、福山に色々とアドバイスをしていた。ルー曰く、福山は“弟分”だという。