あれ日焼けなんだって。

友達が急にボソッと言った。


その瞬間
なんか2人で爆笑、、、

まだ若いね俺ら(笑)





一部転載
【ホンマでっか!? TV】結婚に向いていない人の見分け方

■電車で席を譲らない人に注意する
→「はい」…相手の"価値観を尊重"できず、離婚しやすい。
電車という公共の空間で他人を注意できるのは、正義感が強い証拠。でも、正義感が強い人ほど価値観の違いで相手とぶつかることが多く、離婚しやすいそうです。正義というのは人それぞれ。相手の正義や価値観を尊重するようにすると、うまくいきやすくなるそうです。ちなみに、好きなものは一緒でなくても、嫌いなものが共通する夫婦は離婚しにくいそうです。


~~~


『人は果たして、この時どうあるべきなんだろうかという疑問を得た。今の自分ならこの場をどう解釈できるか、真理がどうあるのだろうかと。』



❶その人と自分とでの50代60代の見え方が違ってたりするという事があるのでは?
一方はその人達を見ると、お年寄りと一緒に住んでたり身近な存在でいるといった事から、その実情が分かり席を譲ってあげるべき人という様に見えているが、
もう一方は、職場で働いてる年配の上司だったり元気に近所で運動をしているお年寄りを日頃見ていたりしているなどといった事が、誰であっても言えるのではないだろうか。だからこそ、お年寄りに対しての見え方は、やはり差が生まれてしまうのではないだろうか?
つまりこれは
今までの周りの環境の問題であると。


❷実はその時何かあって落ち込んでいたり悲しんでいたりと個人の事情があったのかもしれないとする可能性は否めないのではないか?
そんな深刻に悩んでるだろうその時に、周りへの配慮が行き届かなかったとしてもおかしい事では決してないと思う。
他にも以前席を譲ったが、よくある老人扱いをされたと感じて怒られるような経験を彼がしていたかもしれない場合だって考えられなくもない。
だからこそ、席を譲らないからと注意をするという事は少しそのような配慮が足りないと俺は感じる。


❸まだ価値観が育まれていない。
席を譲るという価値観を年齢層やまた人によっては持ってなかったりすると思う。ここで言えるのは
彼らには決して悪意は無いという事。仮に悪気はあったとしても、実は全然納得できる場合だってあるのではないかと思う。例えば、
長い時間電車に乗っていなければならない人が席を譲るっていうのは、やっぱりキツいと思うのが普通だろうし、キツいワケでは決してないのに立っている状態をとても苦痛に感じしまうからだとか。
とにかくまだ席を譲るという行為があるという認知ができていないような、価値観の育まれていない場合があるハズだ。
子供で言えばわかると思うが、
子供たちに対して同じ様に注意できるのか?と。
大人だとしても日頃電車に乗らず席を譲るという発想を持てない人だっているんじゃないのか?と。



❹公共の場である電車の社内で、一個人にのみの注意をするという事を本当に良い行為だと思えるだろうかと今感じた。
だが今それは正しいとはいえないのではないかと思った。
まず自分が席を立っている事が大前提という事はある。だが問題は
一個人の1人の乗客に席を譲れと注意をするという事は、その人が皆に注目されるという事。
そうすると注意された彼はその時どう感じるだろうか。
惨めな思いをするだろう。恥ずかしさも少なからず感じるだろう。
だから注意という言葉に違和感を感じる。指摘してあげるというなら納得ができるし正しいと思える。


❺席を譲るべきと注意する人は、
仮に若者だった場合、何故席を譲る必要性があると思ったのかと聞きたい。
本人はまだ50代60代の足腰の状態を経験してはいない事情がある。
世の中には若者でも介護職に就こうと専門的にそれらを学んでる人もいるだろう。しかし今回の、
電車で席を譲らない人に注意をするという事に関しては、席を譲らない事に対して腹が立つといった感情になる人がいるという事と基本的に同じでないかと思う。行動に起こしてるか起こしてないかの違いだけであって。行動を起こさない方も配慮をしているワケではなく腹が立っている状態でいるのだから、両者抱いている感情は同じだと思うから。
そこでこの事から言える事は、
席を譲らない人に不満を持っている人の大多数は、年配の方の足腰に関しての知識を引き合いに出した上での主張ではないのではなかと思える。席を譲る必要性があると感じていた人が実は立ったままでも自分たち若者と何ら変わりない疲労度であったりするのではないかと想像ができてしまう。
検証したわけでもなく、知識があるわけでもなく、そんな所からくる善意は、理由なき正義感ではないか?
既に50代60代でその足腰でいる経験者が注意をしようとするのならば納得がいく。





先程故障していたメモ帳が直り、
同時に、
その間に書き込んだメモが一気に消えてしまった。
"人の容姿に対する価値観"と"電車で席を譲らない人に注意する"という内容で
俺はとても大事なモノだと感じたから時間をかけてそれなりの労力を使いやっと書き上げた所だった。

でもその作り上げきったモノが
一瞬にして消え去った。崩れ去っていった。
自分のせいではなく機械の故障という何ともやるせ無いと思えるようなモノによって。

でもここで
とても素晴らしい行動を起こせたと感じている。

メモが消え去ってから数秒時間が経った。その時にフとある考えが頭を過った。
メモが消えすぐに、意識はもう作り直すつもりでいてたのだが
その中で、

『今からまた書こうとしているが
これは、
再確認できる機会ではないか?』

と。
そうすると、
それが頭を過ったかなのか、
《もうメモを作り直す事に
瞬時に気持ちが切り替えられていた!》
という現象が起こった。⇦


本来、
人がこんな状況に陥ってしまったら、本当に投げやりになってしまうんじゃないだろうか?
と想像できてしまう。

長い時間と労力、
それをつぎ込んで作り上げたモノが、出来上がったと同時に、
自分の失敗ではなく
他人、自分以外のものによって跡かたもなく壊されてしまった、と

当然ながら瞬間的にはある種の絶望感のような感覚は得た。
でも今回、
それはほんの一瞬に過ぎなかった。こんなに早く気持ちの中でも大きな落胆の気持ちを
切り替えることができたのは過去にないのではないだろうか。

ここでもやはりヒントを与えてくれたのはイチローだった。
『僕はメジャーリーガーの誰よりもこの気持ちを作ることができます。』という言葉。

俺はそのイチローから学んだ事を今ここで実践でき体現したんだ。


『暗記は実践しなければほぼ忘れてしまう。今結論付けた事をこの先の未来でできるようになってなければ、貴重な今しかできない事を犠牲にし考えていた今日のこの"時間"は無駄となる。これは避けられない事実。だからこそ、
結論付けた事を必ず未来で実践する自分でいる為に、時間が経った後でもちゃんと頭から内容を引き出せるようになる所まで理解し、
実践できる時まで
記憶に留めておけるようにしていなければならない。
今、
その再確認できるチャンスではないか?』と。

英単語と同じ。
一時的な暗記は皆な誰でもできる。だから大抵の人はそれを『憶えた』と捉えてしまう。
でもそれは、
ワーキングメモリーに保存されているだけ。人間の脳は忘れるようにできている。
だが東大生のトップの場合は少し違う。
皆が『憶えよう、憶えよう』と唱えながらスペルに目を向けてる中、
東大生のトップは『一度見たモノは絶対に忘れたくない』という思考でいる。つまりこれは、
前者がその場の一時的なモノだとしたら、
後者はその勉強の時間が終わった後も、忘れないようにと頭の中で記憶を引き出しているという事ではないかという事。
同じようで大きく違う両者の記憶に関する捉え方の違いがそこには確実に存在してる。



問題は、
『何にもない状態、自分の頭だけでどれだけ覚えたモノを引き出せるか。つまり暗誦⇦』

そして記憶する事で一番重要なのが、
『どれだけこの先それを思い出す機会を作ろうとするか⇦』


つまりは、
メモ帳の内容が消えてしまったという投げやりになりそうな事態に対して、
『でもこれは、結論付けた内容を今一度思い出すキッカケではないか?』
と、イチローの言葉である、
やりたくないような事を"やりたい"と思えるように考える、その気持ちを作る行為を、
俺は今ここで実行できたという事。だからすぐに書き直しに取り掛かる事ができたのではないか、と思える。


【やりたくない】の
メモが一気に消え去った感情から、

【やらなくちゃいけない】
【やっておくべきだ】と
憶えている今のうちにやり直さないとという感情から、

【やりたい】と
むしろメモが消えたら消えたで良かった!と思えるような"利益"を見つけ出せた事による感情、


へと気持ちを"意図して"変えていくことができた。
嫌な事を『やりたい』と思える技術を身につける事ができた。


メモを一から、
細々としてしまった記憶を思い出しながら作り直していく途方もない作業。
それを書き始ようとした所から一切不満な気持ちを持たずに最後まで書き終えられた事は、本当に凄いことじゃないかなと感じる。
この一件だけは自分の行動は多いに褒めてもいいと思う。
それだけ、この先仕事などでの上司や部下との人間関係の問題で、必ず関わってくるモノだと思えるから。
部下が何かで失敗したりして自分の仕事が増えてしまうような状況だったり、友達が自分の大事な物を無くしたりするような時が誰しもあるだろう。
その時にその部下や友達に対して、どのような態度をとるか?。

⑴その部下や友達に怒鳴り散らすか?
⑵それとも「まあ自分より経験は浅いんだしな」「人間だから物無くしたりするよね」と『しょうがない』で片付けるのか?
⑶でもそれ以上に『この部下もいづれ上司になり部下を指導する立場になるのだから失敗をする部下をちゃんと配慮してあげられる為にも失敗を経験していったほうがいい。むしろ自分が部下の失敗をしない事を理想としているのであれば、それは失敗をしないで部下が上司になっていくという事。そんな上司が部下を指導していけるのか?』『本当に大切な物だった、だから本当に今悲しくて一杯でいる。でもホントに自分にとって必要な物だったのだろうか? それをこんな形で捨ててしまった事になったけれど、初めて手放したその経験ができた。今ホントに必要だと感じ続けていなかったりするのではないか? (もしかしたら物を手放すのが不安でできなかった場合)自分を変えるチャンスかもしれない。 物は増えれば増える程本当に価値のあるモノは見えなくなってしまう、だからこれが、大切なモノを捨てるようになれるキッカケになるかもしれない。ジョブズが言ってたように、今不安や挫折に対する恐怖に思ってる事、手放せないでいるモノこれらすべては、死を目の前にすれば消え去ってしまうモノである、本当に大切なモノだけが残る、だから自分が死と隣り合わせであることを忘れずにいること、と。
だから今、自分が無駄な物をしょってはいないか?少し自分を見つめてみよう』と。