こんにちは^^

中学受験卒業母、えなかちゃんです。

 

「えなかちゃんです。」を打とうとしたときの予測変換に

 

「えなかちゃんもまるますふとってきたぜ」が出てくるのが苦痛です。

しかもなにげに一回目の間違ってタイピングしたときのが出てくる。

 

 

いや、消せばいいだけなんだけど。

えなかちゃんも確かに、まるまる太ってきてんだけど。

アイスの食べ過ぎで。

 

さて、最近気づいたというか思うのが、

中学受験の時に、小学生の子供達と約3年間ずつ、あの止めどもなく無力感にさいなまれる濃ゆい日々を過ごすことで、

この飽きっぽく、散漫な私に装着されたであろう人生スキルを確認したことであります。

 

それはね。

 

「自分を含め、人に対して、その日その日、ルーチンワークのように繰り返し対応ができるようになる」スキルですよ。

 

私がいる職場では、ざっくりとしたルーチンが決まってる仕事の中でそのルーチンを飛ばして独自の業を駆使してこようとする人や、昨日言ったことを忘れてお客様対応に行ったっきり戻ってこないような感じの人たちとか、そのときその瞬間にならないと指示が来なくて全体作業が間に合わなくなる人とか、いつも同じことで怒って愚痴を言いに来る人たちとかが自分も含め毎日のようにいて、やんなっちゃったりするわけですが、

 

N研生活で得た、

 

子供はその瞬間しか、記憶力がない。

 

という真理を応用すると、毎日が比較的平穏になることに気がつきました。

 

「昨日も言ったけどさあ!!」とか思わないで、おんなじことでも言い続ける。

「もう耳にタコだっての!記憶力ねえんじゃないの!?」とか相手に言われても、

「すいませんねえ、念のための確認で。」とか、毎日一応確認する。

 

 

毎日毎日おんなじこと言わせんなよ。

つか、おんなじことしてんのお互い様か。疲れるわ。

とか思ってたけど、

 

「今日N研で、何習ってきたの?」

「え~っと、算数」

「いや、そんなことはわかっている真顔

なぜ、バスに乗って帰ってくるだけで、何したか忘れるんだろうか。

 

「漢字と計算くらいやろうよって、毎日毎日言われんとやらんのか!!!」

「やるって言ってんじゃん!」

「毎日毎日!やるやる詐欺なんだよ!!」

これをまた毎日毎日繰り返すむなしさよ。

 

 

自分に対しても、毎日毎日新しい気持ちで、周りに対応できるスキルが身についてると思うと、気が楽になるわ。

私が毎日毎日何かしら失敗するのも、

またあたし失敗したよ、何度繰り返すんだ、年か?年のせいなのか?若ボケか?

とかエンドレス思考の沼に落ちずに、とりあえず作業に戻ることができる。

 

ほんとに、記憶蒸発するのが次に使うときよりも早くて、お互い腹立たしいことも、場がとげとげしくなることもあるけれど、

どっかでこんなシチュエーションあったなあと思ったら、自分のうちん中だったわ。

 

まあ、人様に対して使うことがあるとは思わんかったけど。

思えば、先生って大変ね。

 

これ、子供に対しても、職場でも使えて、いいね。

イラスト多くて、ストレスにならないし。

コンビニでも普通に売ってるけど、なんで700円が1700円になるんだろう。

謎や。

知らないうちに

 

を友達と見に行ってたことが、落ちてたブックレットで発覚したこと。

 

そしてその後、おねえちゃんに、

「私も京アニ復興のため、お金落としに行った」

といわれて、

 

姉弟の絆を感じたこと。

こんにちは^^

中学受験卒業母、えなかちゃんです。

 

中学受験を始めたから反抗期が始まったのか、元々この子が乱暴者なのか。

 

N研に行ってるにもかかわらず、「計算と漢字」すらやらないうちの子に何度怒りが爆発したことか。

いや、今思えば、こういう単純作業にハードルを下げられなかった私も勉強不足だったと思うのですが。

 

反抗期と受験が重なるなんて、大変すぎる!!!

と思って、いろいろ探っていった今までですが、もう、中学受験なんて、相当過去のことなのに、結局大学受験だって、反抗期の中でやらなければならないことに気付く今日この頃よ。

 

うん。問題は、親の方でも、この嵐の幕開けが初めての体験として翻弄されるってことよね。

 

実際問題として、怒んないとやらないじゃん、やらなかったらできるようにならないじゃん、できるようにならなかったらそりゃ面白くないでしょうよって、グルグル巡りのどん詰まりになりがち。

 

でもま、一つの理解として、おそらく感情より先に行動、というものが昔から確立しているからこその、禅宗とか修行とか、善逸とか精神と時の部屋とか、行き過ぎて昔の体育会系追い込みとか。


自分自身も含めて、「怒る」という行動がさらなる「怒り」という感情を引き起こしていくことがあるとわかっていると、自覚ができるときがちょっとずつふえて、

怒りすぎて寝れないとか反省しすぎて育児本読み込んでるうちに朝とか変に達観した台詞を翌日語っちゃったりして、子供に「はあ?昨日と言ってること違うし、マジふざけんなよ」とか言われて、怒りが再燃しちゃったりしなくてすむように

 

なりたい。

 

なりたい。

 

 

怒んなくてすみゃ子育ての9割5分はラクショーになる気がする。

 

まあ、経済問題とか進路とか悩み事はどんどん作られていくわけだが。

こんにちは^^

中学受験卒業母、えなかちゃんです。

 

おねえちゃんにおすすめされてアニメから入った鬼滅の刃ですが

確かに、あのコマ割りからあの動画に持って行った制作会社、すごい!!

善逸の満月シーンなんて、びっくりじゃん。

 

親子で楽しめる、って人気らしいですが、共通のネタとして、ありがたいですねえ。

 

そういうわけで、書店で平積みしてあった「頑張れ炭次郎」本を買ってみた。

子供達は、へ~、と興味なさげだったけど。

やっぱりオリジナルの画像が一切ないから引っかかってこないのかなあ。

表紙もいわゆる炭次郎格子模様だけだしなあ。

 

 

中身はなんというか、心理学的な視点で前向きに解釈されてて、なかなか面白かったですけどね。

母世代でも、子供のためにこれは心がけていきたいなって感じの解釈が結構ちりばめられています。

 

例えば、「おまえには負けない、が行動力につながる」は、アンダー50の子を持つ母なら誰しもが、

 

それだよ!!うちの子に足りないものは!!!

 

とおもうことでせう。

 

筆者の井島由佳氏もいってます。

「人と競うことが行動に対するモチベーションにならない人が多くなってきました。教育の現場にいると特に最近は強く実感します。」

 

うちのこだけじゃないんだってさ~。

 

まあ、ジャンプものとして、積み重ねた努力が友情と結びついて真の力になっていくわけですから、現実問題、「積み重ねた努力がないうちの子」に強い自分になれとはいえないなあと思ったりするのですが。

 

むしろ実践しんならんと思うのは、子供が諦めない気持ちをつくるために「追い込まれたとき、迷いが生まれたときに助けてくれる声がある。」の声になっていくことかなと。

これ、

でも、似たようなこと言ってなかったかなあ。

踏みとどまるための言葉になる的な。

 

まあ、私は善逸のとこのじいさんのように木の棒で殴ってまで机に縛り付けることはできんが。

信じて言葉をかけ続けることは、できる、かな。

 

そして「我欲を捨てる」

一番難しいかもしんない。

スルースキルで代用してる気もする。

 

炭次郎と猪之助の「命令すんじゃねえ!!」「わかった!!」が例に挙げられていますが、プレ思春期を含めた思春期の連中の言葉の荒さったら、母の柔い心を血まみれにするほどの切れ味。

でも、例えばそれがその場限りの勢いで、自分でも憎くて言ってるわけじゃなく口から出ちゃってるだけなんだとわかっていれば、こちらがユーモアで返すこともできます。

 

私がお風呂上がりのおねえちゃんの横っ腹をすれ違いざまにつかんだとき。

「何するんだ、やめろ変態。」(おねえちゃん)

「私の二つ名が一瞬で<変態>になってしまった。」(私)

「よかったじゃん、レアレア」(おとうとくん)

「レアなのか。」(私)

「正面からあおりにいくスタイル~?」(おとうとくん)

「大人の余裕で躱すスタイル~?」(私)

 

場数と脊髄反射のたまものですが、共通のネタがあるとユーモアも通じやすいですよね。

私は押しを善逸君に決めてみた。