奏ちゃんとふたり暮らしになった頃から気になっていたこと、

 

 

それは、

 

もし自宅で、母ちゃんが何か高血圧からの脳卒中とか、地震で物に挟まれて身動きが取れなくなった時に、

奏ちゃんが自宅に取り残されて、外に出ることもできなくなるのじゃないかということ。


誰にも奏ちゃんがいることを気づいてもらえないんじゃないかということ。


この時奏ちゃんは、まだ3歳になっていなくて、言葉も話せなくて、玄関の重いドアが開けられなかった。

いつか忘れたけど、6歳になる頃かな、玄関ドアを一人で開けれるようになった時に、「よかった。これで閉じ込められない。」と思った。

 

「子どもが玄関ドアを開けれてよかった」と思うのは不用心かもしれないけれど、

幸い、奏ちゃんは断りなしに、ひとりで外に出ようとしたりしない。ベランダも母ちゃんに聞いてからじゃないと出ることがないので、その辺は安心している。

 

電話を使うのは奏ちゃんには難しいし、この頃は発音もはっきりしていなかったから、教えていたのは、

「もし、例えば地震でママが家具の下敷きになって動けないとか、病気で急に倒れて話かけても返事をしないとかしたら、隣の家にピンポーンてして救急車呼んでもらうか、外に出て、誰でもいいから話しかけて救急車に電話してもらうんだよ」

ということ。

 

昨年、奏ちゃんは平熱になって、母ちゃんだけ、39度になった時に、これがよぎった。

もしこのまま意識無くなったら...

ママが何かあったら奏ちゃんに外に出るように伝えて、

自分達の状況がわかるように、毎時間ふたりの体温をメモした。

 

専門学校のゼミの先生がよく、

「自分のことを本当に考えてくれる奴なんて自分だけだからな!他人が考えてくれていると思うな」

と言っていたな、とたまに思い出す。

 

誰にも頼れないし、

自分と奏ちゃんを守れるのは自分だけだなぁ、と奏ちゃんが熱が出るといつも思うのです。

自分以外の人の命の責任もあるって、プレッシャーだなぁ

ってよく思います。

 

 

1年前。コロナになって念願のswitchゲットした奏ちゃん。