愛知県西尾市の「殉国七士廟」の「お町碑」を訪問慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

 

「JR岡崎駅」より
「IR三ヶ根駅」まで列車で10分。

 

「IR三ヶ根駅」より
徒歩1時間の距離にあります。



◆お町(道官咲子)碑



●お町(道官咲子)さん

 太平洋戦争の敗戦直後、

旧満州の安東
(現中国遼寧省丹東市)は

北方から逃れてくる
日本人らで混乱に陥った。



 加賀市生まれの道官咲子は、

ソ連兵が女性らを
襲うのを防ぐ盾として
慰安所兼飲食店を経営。

危険を顧みずに
日本人の救済に奔走した。

「お町さん」と慕われたが、

スパイ容疑で
中国共産党に逮捕され、

非業の死を遂げた。

   (中日新聞:小室亜希子)



 加賀市吉崎町の「道官咲子碑」は
1956(昭和31)年に建立。

救済に関わった日本人は
3000人とも言われ、

 

俳優の故芦田伸介はその1人。



<碑 文>



 碑  誌

 お町さんは、
佛都福井県吉崎御坊近くの
在家に生まれ、

後、旧満州国安東市に渡って、
湯池子温泉の女中頭となり、

この地に終戦を迎えた。

 

<旧安東小学校>

 昭和二〇年八月十五日、

敗戦国民と化した
在満日本人は、

家を奪われ、財を失い、

悲惨な俘虜の運命へと
追い込まれて行った。
   


 奥地より陸続と伝えくる
無残な同胞の悲報。

 然し此処にして、
誰に何が出来るだろうか?

若し出来得るとするなれば、
それは機智縦横度胸あり、

身を捨てて、
同胞のために死んでくれる、

そんな女人で
なければならない。 


<対日宣戦布告後、ソ連沿海地方のグロデコボ付近から満州に進攻する
ソ連部隊(タス通信)>


 国境、北辺より
避難南下の人々を抱えて、

ふくれ上がった 
安東幾十万の

日本人の命運を
背負っての責は、

あまりにも重く、

報いられる保証は
全くない。
 

<ソ連の満州侵攻>

 このときお町さんは
人々に請われて
「 挺身娘子隊 」を編成し、

その総監となり、
ソ連軍進駐し来たるや、

慰安慰撫に奮闘、
司令官の信頼を一身にして、

日本人の被護活動に挺身した。

 

<80年前:満州に暮らす日本人たちの日常>

 奉天陸軍病院
五龍背分院の重度症病兵、

三上勝弘中尉以下一〇八名が、
八路軍の分院接収により
退去を余儀なくされ

「 止まるも死、進むも死ならば、
一歩でも日本に近づいて死ぬべし 」と、

道を求めて彷徨、
終に得られず、

半死半生安東へ
辿りついた彼等を迎え、



「 お町も
日本の女でございます。

此の目玉の黒い間は

滅多に餓死させるもの
ではありません。



 お町は唐人お吉では
ございません、

お町には国府も
八路もございません。

 日本人の為に生き、
死ぬばかりでございます。


<「満蒙開拓団の女たち」より>

 時を経て、

一顧だに
されないだろう事は

覚悟の上でございます。」 



 お町さんの活躍は、

満州電電安東支社長
稲津宗雄氏の回顧録

「望郷」 中の
随所にかかれているが、

彼女が、心神困憊、
絶望のどん底にあった

三上中尉以下に、
生きる気力と体力、

故国帰還の夢と希望を
與えた事には
全くふれられていない。


<かみかぜよ、何処に私の遺言──満州開拓団

一家引き揚げ体験記>

 あれから三十余年、
いよいよかなしく、

あはれに、
お言葉が忘れられず、

 

ソ連軍撤退して、
八路軍により

鴨緑江河畔に

銃殺刑となった
お町さんの、

死をかけた
平和えの祈りと

冥福の久遠をこめて
此処に碑を建立す。
                                                                                  
         昭和五十五年九月

<碑 文Ⅱ>

 

 

 発起者

青森県北津軽郡中里町 三上勝弘
愛知県西尾市新村町 杉山重一

 賛助者

長野県東筑摩郡坂井村 市川善三郎
長野県長野市小柴見  西村 武
長野県駒ケ根市赤穂  下村文幸
長野県上水内郡中条村 和田長寿
愛知県西尾市新村町  杉山きくの
愛知県安城市桜井町  川澄気久江
愛知県西尾市市子町  板倉貫一
愛知県西尾市上永良町 牧野秀雄
愛知県西尾市丁田町  市川一栄



終戦後の大陸で
ソ連軍の進駐、
八路軍の接収に相対し、

凛として
日本女子としての
誇りをもって

 

 

その本分を尽くした

お町(道官咲子)さんの
生き様に敬意を払い

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。