愛知県西尾市の「殉国七士廟」の「第二十七野戰貨物廠 慰靈」の碑を訪問慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「JR岡崎駅」より
「IR三ヶ根駅」まで列車で10分。

 

「IR三ヶ根駅」より
徒歩1時間の距離にあります。



◆第二十七野戰貨物廠 慰靈の碑



<碑 文>

●第二十七野戰貨物廠 慰靈



● 御 製

國のため いのち ささげし 人々の
  ことを おもへば むね せまりくる

   恭 賦 鍞 英 魂 柴田松〇作

  嘗 盡 辛 酸 期 七 生
  逢 眠 南 海 不 歸 兵
  松 濤 迎 弔 故 山 上
  留 記 千 秋 忠 烈 名

安らかよ眠れとぞ おもふ 君せため
  いのち ささげし ますらお の友

 従六位勲五等 元陸軍主計少佐

           柴田泰雄謹書



<碑 文Ⅱ>



●御慰靈碑の辭

 第二十七野戰貨物廠は 

 昭和十八年三月二十日 
満洲國 新京

 

関東軍野貨物廠に於いて
編成完結

 三月二十三日
廠長小泉精一主計大佐
以下一三三一名

南海方面に向ひ
勇躍征途に就く



 爾来東部ニューギニア
全域に亘り部隊を展開し 

第十八軍隷下全部隊に對する
 糧秣 被服 
衛生材料 獣醫資材の

揚塔集積 補給作戰の任を
遂行せり



 軍のアイタペ作戰集結後は 
邀撃決戰に備えて 

アレキサンダー
山南地区に 集結し 

 二十年七月下旬
第十八軍全軍に對し
玉砕命令 下令さる

健兵十敵の闘魂を以て
死闘すること旬日餘にして
終戰の大詔を拝す



 勇戦敢闘 
以て 皇國永遠の彌榮を確信して
戰塵の間に斃れられし 

殉國之忠魂八百六四柱を
永久に顕彰せんことを願ひ 

この聖地に御慰靈の碑を建立す


<ニューギニア戦線で機関銃を分解し搬送前進する日本兵=1943年>

 建碑に當り 
戰友愛の至情を以て
 
御支援を賜はりし 
有情有志の芳名を左に録し 

その芳情を永く傳えんとする



 楢崎えい 小野テル子 伊藤忠義
 菅原伝三郎 宮島帥 佐々木理人

 井沢 昇 藤沢敏夫 大野正三郎 
 薄井康夫 阿部昌治 奥村せい子

 高橋秀明 大島喜与四 浦川 止

 

 針谷和男 佐藤吉治 平井正生

 佐藤隆生 江藤冨士義 洲嵜幸俊
 松尾俊美 甲斐良子 横江友三郎

 梨井義雄 岩間米子 大野喜由
 石田正郎 瀬戸 昇 高橋京太郎

弔らはる 人の入るべき 身なりしに
   弔らふ 人と なるぞはずかし

昭和六十一年十月吉日
     御慰靈碑建立者 柴田康雄

   施工者 名古屋市 株式会社大月



<参考文献>



「ウエワク
 ー補給杜絶二年間、東部ニューギニア 
  第二十七野戦貨物廠かく戦えり」

 第二十七野戦貨物廠(しょう)に
属していた針谷和男氏の著作。

タイトルの「ウエワク」は
第十八軍最大の拠点である。



第十八軍とはニューギニア本島の
三個師団を統帥した存在で、

第二十七野戦貨物廠は
その直轄部隊のひとつだった。

 軍作戦に必要な物資を

保管・補給するのが
任務である。



 補給途絶に至った
ニューギニアで

第二十七野戦貨物廠は
将兵を支えるため
奮闘することになる。

<西日本新聞me2024年1月11日(木)より一部抜粋>

 

 

 筆舌に尽くしがたい
状況下において
ご尽力された英霊の皆様へ

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。