2023/10/24村上海賊ミュージアム&潮流体験 | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「大山祇神社」から車で

26分の距離にあります。

 

“日本最大の海賊”能島村上氏”

 村上海賊(村上水軍)は、

14世紀中頃から

瀬戸内海で活躍した一族である。

 

 

 後世には

三島村上氏などと呼ばれ、

 

能島・来島・因島に

本拠をおいた三家からなり、

 

連携と離反を繰り返しつつも、

互いに強い同族意識を持っていた。

 

 

 彼らは、海の難所である

芸予諸島で育まれた海上機動力を背景に、

 

戦国時代になると

瀬戸内海の広い海域を支配し、

国内の軍事・政治や海運の動向をも左右した。

 

 

 来島城を本拠とする来島村上氏は

伊予国守護の河野氏の重臣として活動した。

 

 

 因島村上氏は、

周防国の大内氏に仕え、

 

のちに中国地方の覇権を握った

毛利氏の有力な海の勢力となった。

 

 

 そしてここ宮窪に

本拠を構えた能島村上氏が

三家の中でもっとも独立性が強いとされ、

 

特に村上武吉の時代には、

毛利氏・大友氏・三好氏・河野氏といった

周辺の戦国大名たちと、

 

時に友好関係、

時に敵対・緊張関係となりながらも

独自の姿勢を貫いた。

 

 

 日本を訪れた

宣教師ルイス・フロイスは、

能島村上氏を‟日本最大の海賊“と称した。

 

 

 武吉および息子の元吉・景親の時代に

全盛を謳歌する能島村上氏は、

 

西は北部九州から

東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握した。

 

 

 平時には瀬戸内海の水先案内、

海上警固、海上運輸など、

 

海の安全や交易・流通を担う

重要な役割を果たした。

 

 

 戦時には小早船を巧みに操り、

「ほうろく火矢」など

火薬を用いた戦闘を得意とした。

 

 

 また茶や香を嗜み、

連歌を詠む文化人でもあった。

 

 

 ところで昨今では、

彼らを「村上水軍」ではなく、

「村上海賊」と呼ぶことが多い。

 

<それでは約40分の潮流体験のはじまり始まり(^^♪>

 

 「水軍」は、江戸時代以降に

用いられた呼称であり、

 

明治から昭和初期には、

近代海軍の前身と

評価する見方が強かったため、

このように呼ばれていた。

 

<午前9:00発 から1時間間隔で1便です。>

 

 しかし、「水軍」では

彼らの多様な活動を表現できないため、

 

最近では当時の古文書などに見える

「海賊」と言う呼称を用いることが

多くなってきている。

 

<この潮の流れが独特なのです。>

 

 一般に「海賊」と聞けば、

理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、

 

いわゆる「パイレーツ」が

イメージされるかもしれない。

 

<こんな感じで実に複雑な流れになっているのです。>

 

 しかし、展示室をめぐるとき、

「海賊」と呼ばれた人々が、

 

<シラサギさんの登場!>

 

必ずしもマイナスイメージで

語られなかった時代が

あったことに気づくだろう。