熊本県球磨郡錦町にある「人吉海軍航空隊之碑」を訪問慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「鹿児島中央駅前」から
「人吉IC」まで
バスにて1時間37分。

 

 

「人吉IC」から
「下新町(人吉)」まで
徒歩にて20分。

 

「下新町(人吉)」から
「高原記念碑前」まで
バスにて10分。

 

「高原記念碑前」から
徒歩1分の距離にあります。



◆人吉海軍航空隊之碑



<碑 文>



表文:人吉海軍航空隊之碑



裏文:昭和五十年八月
   予科練人吉会 建立

 

 

<碑 文Ⅱ>

 

 

 

霧深し 見果てぬ夢の たかんばる
              千 春

 

 

人吉海軍航空隊は
大東亜戦争の際 

昭和十九年二月
此の高ン原の大地に開隊し 

庁舎 居住地区 
飛行場地区合せて

約一二〇万坪を占め 

全国の熱烈たる
志願者から

選抜採用された
飛行予科練習生を教育した



昭和二十年八月
終戦を迎えるに及び

折角祖国の急に役立たたんと
奮い立った予科練から復員

 四散して其の念願は空しく潰え 
其の施設は跡形もなく消え去った



遍莫彼等が若き日 
此の地で培われし

敢闘精神は確固として身に着き 

社会のあらゆる職域に

各々指導的立場に立って
戦後の復興に貢献し 

戦後三十年
人吉市原の城望岳苑に建つ
留魂の碑となり 

高ん原の地は永く
祖国今後の進展を期する
魂の故郷となって今に遺る



国破山河在 城春草木深

今繁る夏草の其の根を培いたる
人吉海軍航空隊を伝へて
略史とすと云爾



昭和五十年八月十七日 


 
 元人吉海軍航空隊司令 
   海軍大佐 田中千春撰

 

 第三十二隊練習生 
        千田良一謹書



謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。