東京都新宿区にあります「陸軍戸山学校趾碑」を慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「西早稲田駅」から
徒歩10分の「都立戸山公園」
内にあります。

 

 

ちなみに
「国立国際医療研究センター病院」から
徒歩8分の距離です。



<掲示板より>



この地区は、その昔 

源頼朝の武将 
和田左衛門尉義盛の領地で、

和田村と外山村の両村に
属していたことから

「和田外山」と呼ばれていた。



 寛文八年(一六六八)に至り
尾州徳川家(尾張藩)の下屋敷となり、

その総面積は約十三万六千余坪
(約四十四万八千八百余㎡)に及び、
「戸山荘」と呼ばれるようになった。



 この「戸山荘」は、
寛文九年(一六六九)に工事を始め、

天和(一六八一~一六八三)
・貞享(一六八四~一六八七)
の時代を経て

元禄年間(一六八八~一七〇三)
に完成した
廻遊式築山泉水庭である。



 庭園の南端には余慶堂
と称する「御殿」を配し、

敷地のほぼ中央に
大泉水を掘り

琥珀橋と呼ばれる木橋を渡し、



ところどころに
築山・渓谷・田畑などを設け、

社祠堂塔・茶屋なども配した
二十五の景勝地が造られていた。



<中 略>



 明治七年
(一八七四)からは
陸軍戸山学校用地となり、


<終戦当時の「戸山学校」>

第二次大戦後は
国有地となり


<この場所が野外演奏場(野外音楽堂)
陸軍戸山学校では軍楽隊の訓練も行われていた>


その一部が
昭和二十九年から
今日の公園となった。


<山口常光隊率いる陸軍記念日の行進:昭和二十年三月>

 陸軍用地の頃から
誰からともなく、



この園地の築山(玉円峰)を
「函根山」・「箱根山」

と呼ぶようになり、



この山だけが

当時を偲ぶ
唯一のものとなっている。

平成二年三月公園整備を記念して 

            東京都



<碑 文>

箱根山

陸軍戸山学校址



<碑 文Ⅱ>

 

陸軍戸山学校跡記念碑

 この地は和田戸という
武士の館の跡で

源頼朝が

源氏の勢ぞろいをした所
と伝えられ

後代和田戸山と呼ばれた 



 寛文年間尾張徳川侯の
下屋敷となり

殿堂宮祠等かずかずの建物と
箱根山を中心とし

東海道五十三次に擬した
風雅な庭園が造成された 



 明治6年(1873)その地に
兵学寮戸山出張所が設けられ

翌明治7年(1874)
陸軍戸山学校と改称されて

以来約70年にわたって
軍事の研究教育が行なわれ



国軍精強の基を
培ったばかりでなく

国民の体育武道
射撃音楽の向上に

幾多の寄与をした
記念すべき地である 



 この度東京都が

この地に緑の公園を
整備されるにあたって

この記念碑を建てて
東京都に贈る

 昭和四十二年十一月 

 元陸軍戸山学校緑故有志一同

 

 敷地の至る所に

旧陸軍の残り香が
漂うようです。

先人の皆さまの御尽力に
敬意を表して

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。