◆資料展示室
★生命を守るために
未知に立ち向かう
●ビキニ環礁で被爆した
第五福竜丸の乗船員治療を
1954年(昭和29年)3月1日、
南太平洋
ニューカアレドニアの
ビキニ環礁で
行われた水爆実験は、
当初の予想を
はるかに超えた規模となり、
想定された危険水域を越えて
放射性物質が降り注いだ、
このため、
たまたま付近の
危険水域外で操業していた
第五福竜丸は、
放射性降下物により
船体や取った
魚のみならず
乗員23人全員も
被爆してしまった。
それでも第五福竜丸は
自力で日本までたどり着き、
乗組員たちは
国立東京第一病院
(NCGMの前身)に
入院することになった。
●病院では、
主治医の熊取敏之
(東京大学医学部教授、
国立東京第一病院、写真左)と
それを支える医師、
三好和夫
(徳島大学医学部教授、写真右)
たちは懸命なる
治療を続けた。
その結果残念ながら
久保山氏はなくなったが、
ほか全員を救命した。
久保山氏の死に際し、
主治医の熊取敏之は、
「もう何も言えません」
と語ったと言う。
<久保山愛吉記念碑>
▷この展示室には
・・・つづく。