東京都渋谷区の「東郷神社」を 慰霊参拝致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

 

JR原宿駅より徒歩で
5分の距離にあります。

 

<手水舎碑文>

 

 

表文: 洗 心

    野村直邦謹書

揮毫をした野村直邦
(1885-1973)は海軍の軍人。



裏文:

瀬戸海のもづくの

幸のめでたさを祈り

祝ひて水屋捧げむ

 廣島縣 倉橋堀榮助



<由緒沿革>

 御祭神の東郷平八郎命は、
弘化四年十二月二二日

薩摩藩士東郷吉左衛門の
四男として鹿児島市加治屋町で
お生まれになりました。



 慶応二年二十(数え)歳で
薩摩藩海軍に入り、

軍艦「春日」三等士官として
戊辰戦争を戦いました。



明治四年二五歳の時
イギリスに留学、

七年間にわたり
海軍士官としての
知識、技能の習得に努め、

海軍魂を培って帰国し、
立派な日本海軍士官
となりました。



 以来戦略や国際法の
勉強にも励まれ、

巡洋艦「浪速」の艦長として
ハワイがアメリカ合衆国
に併合された際や

日清戦争中の難しい
国際問題等を処理し、

東郷の名は世界的に
有名になりました。 



 さらに、日露戦争では
聯合艦隊司令長官として

司令官隊を指揮し、
日本海海戦に際し



旗艦「三笠」艦上に

「皇国の興廃此の一戦に在り、
各員一層奮励努力せよ」

とのZ旗を掲げ、



見事ロシアの
バルチック艦隊を撃滅して



世界の海戦史上
空前絶後の

完全な勝利を
成し遂げられました。



 この大勝は、
わが国を国難から

救っただけではなく、

当時ロシア等大国の
植民地政策の

圧力下にあった国々に、

大きな喜びと
希望を与えました。



 大正二年に元師府に列せられ、
大正三年から七年間

東宮御学問所総裁として
皇太子(後の昭和天皇)の
教育の大役を果たされました。

 

 明治、大正、昭和の三朝に
至誠一貫奉仕、

国家の重鎮、至誠の人として、

日本だけでなく
世界の人々からも

英雄「大東郷」と
尊敬されるようになり、

昭和九年五月三十日午前七時、
八八歳で東京麹町三番町にて、

日本の偉大な世界的英雄として、
その天寿を全うされました。



 この神社は
国民からの声と

浄財によって
誕生した神社であること。

そして
聯合艦隊解散の辞にある

「勝(か)って兜(かぶと)の
緒(お)を締(し)めよ」は

現代、現世に生きる
私たちにも

肝に銘じるべく言葉
ではないかと思います。



 謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。