茨城県鹿嶋市「下生鎌足神社」を参拝致しました。 | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

2023年6月5日(月)

 

『第20回圀手會チャネル
常陸國・下総國一之宮

鹿島・香取神宮鎮霊ツアー』にて

『下生鎌足神社』を有志の皆さまと
参拝致しました。



ちなみに

JR鹿島線の
鹿島神宮駅より

徒歩14分の
距離にあります。



『下生 鎌足神社

    藤原鎌足
    菅原道真
    宇賀御魂命』



◇市指定文化財

名称:

鎌足神社境内地
(かまたりじんじゃけいだいないち)

説明:

鎌足神社は
鹿嶋市宮中字下生にあり、

中臣鎌足の誕生地
(市史跡「鎌足神社境内地」)

と伝えられています。


 藤原鎌足の生誕地には、
当地と奈良県橿原市の
二つの説があります。



 いつごろ
建てられたかは
不明ですが、

江戸時代から
明治にかけて

まとめられた
常陸国の

歴史と地理の大著

「新編常陸国誌」の
鹿島郡・宮中の頃に

「鎌足社」があり、

 

 

当地が

 

鎌足の生誕地である
という説が

紹介されており、

この地域が
江戸時代から

『鎌足ゆかり』の地

とされていることが
うかがえます。



境内には
明治25年に建てられた

「大織冠藤原公古宅址碑」
という石碑もある。

平成十一年六月二十日指定
      鹿嶋市教育委員会

 鹿嶋ゆうウォークコース(鹿嶋市)



 鎌足は皇極天皇の
御代(642~645)に都へ上り、

 

大化元年(645)、

中大兄皇子
(後の天智天皇)らと共に

蘇我氏を滅ぼして
大化改新を行いました。



 鎌足は死の直前、
天智天皇から

大職冠と藤原の姓を賜り、

その子孫は
藤原氏として栄え、



平安時代には

摂政・関白として
当時の朝廷を

主導しました。

「鹿嶋デジタル博物館」より抜粋。



*追伸:

『要石』?の画像を
アップして下さい



とのご希望により



今回は取り急ぎ
アップさせて
頂きました。



個人的には
この文様はこの像と


<『川崎市岡本太郎美術館』所蔵>

近しきモノが
あるのではないか
と考えています。(笑)