つまり、
自分という存在が
わからなければ
人間の正体が
わからず、
人間が
わからなければ、
神とのつながりも
わかりようがナイ、
という発想からです。
もちろん
そこには
自分の不甲斐なさや
能力の限界を知るコトで、
これまでの自分を
乗り越えたい
という気持ちも
ありました。
実際、
そこを越えて
新たな境地を掴まないと、
すぐ先の未来すら
描けない
というトコロまで
来ていたのです。