平安時代の後期に成立した
各国の一宮という
社格制度には、
<近江国:建部大社(たけべたいしゃ)>
それ自体を
はっきりと残す
書物などが
ないのだそうです。
<美濃国 :南宮大社(なんぐうたいしゃ)>
この為、
一部の地域では、
該当国
一宮一社に対して、
<飛騨国 :飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)>
複数の神社が
その比定された社として
名乗りを上げるケースが
多数見受けられる
のだとのコト。
<信濃国 :諏訪大社/上社本宮(すわたいしゃかみしゃほんぐう)>
それが、
この社格を理解する
最大の障壁に
なっているのは
否めないところ
だそうです。
<信濃国 :諏訪大社/上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえのみや)>
現在では、
こうした該当神社一社に対し、
複数の候補がみられる場合、
<信濃国 :諏訪大社/下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるのみや)>
その各候補神社を
「論社(ろんしゃ)」、
または、
「比定社(ひていしゃ)」
と呼んでいるのだとのコト。
<信濃国 :諏訪大社/下社秋宮(すわたいしゃあきのみや)>