◆彼の熱望はSterno(携帯燃料)までに及んだ♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<魔力(まりょく)に堕(お)ちた彼>>





彼は13人兄弟の

ひとりに生まれました。





「彼の家は音楽一家で、

他の親類たちが

ブラスバンドなどで

演奏しているときに、



彼は叔父さんと

他の兄弟2人とギターを

演奏していたのです。」











彼は1910年頃に

彼の兄LeDellによって

ギターの基礎を教えられ・・・。



1914年までには、

兄弟のMajorとLeDellとで

地元のパーティーで

プレーすることで、



彼らの小作収入を

補っていたのでした。







「そして

16歳までに、

彼は”プロ”になり、

ストリートでチップ目当てに

歌を歌っていたのです。」








彼は10代末までに

デルタ・ブルーズを

代表する人物

Charley Patton



(Charley Patton)





Willie Brownたちと



(Willie Brown)





ハウス・パーティーや

ジュークジョイント(軽食堂)で


しばしば

プレイしていたのでした。






「1916年に、

彼はMaggie Bidwell結婚して、

プランテーションへ

引っ越しました。」






その近郊にある

ドッケリー

プランテーションに

おいては、




(Dockery Farms)





農場主の方も

労働者の旅行や

余暇の過ごし方に

好意的であったそうです。






「そこへ

「デルタ・ブルースの父」

と呼ばれるSon House





(Son House)





「デルタ・ブルースの創始者」

Charly Pattonなどが

家族とともに

農場へ移住してきました。」







大御所たちのプレイを

目の前した彼は、


彼らの

魔力(まりょく)に

すぐに堕(お)ちたのでした。







「彼はそのプランテーションに

1年滞在して


デルタ・スタイルの

ニュアンスを学んだのです。」








<<トミー・ジョンソン2!>>




今回ご紹介するブルーズマンは

引き続きトミー・ジョンソンです。




(今回ご紹介するブルーズマンは
引き続きトミー・ジョンソンです。)





彼は1年の修行の後、

放浪生活を行い、


1920年までに、

彼はアルコール中毒と

巡業音楽家になったそうです。





「放浪生活や巡業音楽家は

分かりますが、

彼、アルコール中毒ですか?」





そうですね。

更には彼は女たらし

でものあったそうです。





「ウ~ン」


「演奏する場所が

ジューク・ジョイント(居酒者)や

クラブでしょうから


色恋沙汰(いろこいざた)も

多少はあったでしょうネ!」






そうですね。


そうした彼も

1920年に

クリスタルスプリングスへ

戻り、兄弟の音楽協力を得て

小作人としても

彼は生き返ったそうです。





「 O H ! 」

「それは良かったですネ!」






そうですね。


それから週末には

ストリートや

近くの街でプレイしたそうです。





「ホウ」





それから

落下綿の収穫シーズンの間は

彼はデルタへツアーに出かけます。





「それは何か季節柄のコトが

関係するのでしょうか?」







そうです。

その頃は

小作人たちに

賃金が支払われるのです。





(その頃は小作人たちに賃金が支払われるのです)






「あっ!分かりました!」

「彼は懐(ふところ)の温かな

小作人たちを見越して・・・。」






そうです!

彼は演奏をして

チップを稼いでいたのでした。





「観客の

懐具合(ふところぐあい)も


予(あらかじ)め

計算に入れてツアーを組むとは、

さすがプロですね。彼!」







そうですね。

そして彼は

1928年2月に

ギターリストのCharlie McCoy

彼の最初のレコードをカットしました。




(Charlie McCoy)





「 O H ! 」

「ついにレコーディングですか!」







そうです。



このカットで8月の

追加のセッションも

決定したのでした。





「 O H ! 」

「彼、初録音でいきなり

ヒットを飛ばしたのですね!」






そうですね。


そのカットでは

アルコール中毒をテーマに

書かれた曲が入っていたのです。




(そのカットではアルコール中毒をテーマに
書かれた曲が入っていたのです。)






「 O H ! 」

「またしてもアルコールですか?」






そうですね。


そこにおいて

彼は彼のアルコールに対する

熱望を充足させるために、


Sterno(携帯燃料)を

飲むコトを認めた

と言われています。




(Tommy Johnson ”Canned Heat Blues”)




☆Tommy Johnson -
 Canned Heat Blues (1928) ♪







「ウ~ン」


「アルコールを飲むことを

抑(おさ)えきれずに、


遂にSterno(携帯燃料)まで

手を出したと言うワケですね。」







そうですね。

それだけ彼の中では

昇華しきれていない

何かがあったのでしょうネ!






「ウ~ン」

「彼とアルコールとの関係は

これからも続くのでしょうか?」







そうですね。


彼は1929年12月の

セッションでも


アルコール中毒を

テーマについて

触れた様です。




(TOMMY JOHNSON” Alcohol and Jake Blues”)




☆TOMMY JOHNSON
Alcohol and Jake Blues♪






「なるほど」





なお

後のブルーズ・グループの

Canned Heatは

”Canned Heat Blues”から

彼らの名前を取ったのだそうです。




(Canned Heat)



☆Canned Heat -
 On The Road Again [HQ] ♪










☆'Bye Bye Blues' TOMMY JOHNSON,
Delta Blues Legend ♪


☆'I Want Someone To Love Me'
TOMMY JOHNSON, Delta Blues Legend ♪


☆'Button Up Shoes' TOMMY JOHNSON,
Delta Blues Legend♪


☆'Ridin' Horse' TOMMY JOHNSON (1929)
 Delta Blues Guitar Legend ♪

☆Lonesome Home Blues by
TOMMY JOHNSON, Delta Blues Legend ♪










☆トミー・ジョンソン

Tommy Johnson


(1896?1956年11月1日)




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多くのデルタブルーズ・ファンさえ、

ブルーズの発展への

トミー・ジョンソンの

非常なる影響には不慣れだ。




脅迫的な遠ぼえと

心につきまとうファルセットをもつ

強力なヴォーカリスト、




ジョンソンは複雑で

技術的に先進のプレイ・スタイルをもつ

才能のあるギタリストでもあった。






ジョンソンの影響は

Howlin' Wolf,




(Howlin' Wolf)




Robert Nighthawk



(Robert Nighthawk)




そして

ピアニストOtis Spann

の曲にさえ聞くことが出来る。



(Otis Spann)





しかし、

ジョンソンの音楽の成果は、

デルタ階層で


Charley Patton



(Charley Patton)




またはSon House



(Son House)




のような

同時代の人のそれらの下で

考慮された。
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< キャリア >



1920年までに、

彼はアルコール中毒と

巡業音楽家になった。


そして、広く南部を

ツアーすること以外に


クリスタルスプリングスに

拠点を置いて、


時々Papa Charlie McCoy

を連れて行った。




(Papa Charlie McCoy)



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その時、

アルコール中毒と女たらしのジョンソンは

1920年にクリスタルスプリングスへ

戻った。


そして、MagerとLeDellとの

彼の音楽の協力を再開した。


彼も小作人として

生き返った。





そして、週末に、または、

ジャクソンの通りと

チップを得るため

近くの町で

パーティーでプレーした。








落下綿の収穫シーズンの間に、

ジョンソンはデルタへツアーした。


そして、ちょうど今

賃金が支払われた

小作人のために演奏した。





1920年代初期の間に、

彼はグリーンウッドと近くの

ムーアヘッドで

Charley Pattonとプレイした。





後者(ムーアヘッド)は

Where the Southern Crosses the Dogで

有名だ。




(Where the Southern Crosses the Dog)




☆I'm Going Where The Southern Cross
The Dog by Henry Sloan -
 First Blues song heard by WC Handy♪






そして

W.C. Handyの

"Yellow Dog Blues."

で告げられた。



(W.C. Handy"Yellow Dog Blues.")


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1928年2月にメンフィスへ旅立って、

ジョンソンはVictor(後のRCA Victor)のために、

いくつかのサイドをカットした。
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ジョンソンは、1928年2月に

Victor label用に

Memphis Auditoriumで

ギターリストのCharlie McCoyと

彼の最初のレコードをカットした。




(Tommy Johnson” Bye Bye Blues”)




☆Tommy Johnson- Bye Bye Blues ♪





これらのサイドは

これらの側は、その年の8月の

フォロ-アップ・セッションを

促すために十分なセールスだった。




そのセッションは悪名高い

"Canned Heat Blues,"を

産みだした。




(Tommy Johnson ”Canned Heat Blues”)




☆Tommy Johnson -
Canned Heat Blues (1928) ♪






そこにおいて

彼は彼のアルコールに対する

熱望を充足させるために

Sterno(携帯燃料)を飲むコトを

認めたのだ。



アルコール中毒の

テーマについては

"Alcohol and Jake Blues,"で

再び触れられるコトになる。



(TOMMY JOHNSON” Alcohol and Jake Blues”)




☆TOMMY JOHNSON
 Alcohol and Jake Blues♪







その曲は

1929年12月にParamount label用に

彼の最後のレコーディング・セッション

の間に制作された。
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1928年に彼は

最初の吹き込みを

Victor Records用に

McCoyと制作した。




録音は"Canned Heat Blues"

を含んでおり

その曲は

料理用の燃料のSterno(携帯燃料)

からメタノールを飲むことを歌っていた。




曲は

「携帯燃料、ママ、そう、

主よ、耐えられない」

という反復句を特徴とした。


ブルーズ・グループの

Canned Heatはこの曲から

彼らの名前を取ったのだ。




ジョンソンの

 "Big Road Blues"は



(TOMMY JOHNSON ”Big Road Blues”)




☆TOMMY JOHNSON 'Big Road Blues'
Delta Blues Legend ♪







Canned Heatの

"On the Road Again"を

触発させた。



(Canned Heat ” On The Road Again”)




☆Canned Heat -
 On The Road Again [HQ] ♪







曲のかなり

異なるバージョンは、


K. C. Douglasによる

Big Road Bluesのアルバムは

"Canned Heat"として

として現れた。




(Canned Heat” Big Road Blues”)



☆Canned Heat -
Canned Heat - 08 - Big Road Blues♪




                     (ウィキペディアより抜粋)

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