◆例え雇われ稼業でも、彼は熱心に働いた♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。


<<彼がまだ若かった頃>>



彼がまだが若かった頃に

農民である彼の両親は

亡くなったそうです。




「今回は、いきなり悲しい

お話しからのスタートですね。」




そうですね。



それで彼はと言いますと

まぁ!音楽については

14歳でギターを始めたそうです。




「ホウ」

「他のブルーズマンと比べますと

なかなか遅出の

プレイ・キャリアですね。」




そうですね。

それから地元の周辺で


ダンスのまねごとも

していたそうです。




(地元の周辺でダンスのまねごとも
していたそうです。)





「まだ血気盛んな

年頃ですからネ!」


「そのあたりは

ヨ~ク分かります。」






そうですね。


それでもプレイのスキルは

あくまでも

趣味の領域を

出なかったのでしょう。




「ホウホウ」




彼は綿を摘んだり、

トラクターを運転したり、

油工場、乳業会社

そして伐採会社などなど・・・。





(彼は綿を摘んだり、トラクターを運転したり、
油工場、乳業会社そして伐採会社などなど・・・。)





いろいろに職を変えて

働いたのでした。




「やはり最初のうちは

本業あっての

音楽ですからネ!」





そうですね。

そして彼は

チップを得るために

音楽をプレイしたのだそうです。




「その雰囲気ですと

彼はプレイするコトを

副業とも考えていなかった印象ですね。」






<<ミシシッピ・フレッド・マクダウェル登場!>>



今回ご紹介するブルーズマンは

ミシシッピ・フレッド・マクダウェルです。




(今回ご紹介するブルーズマンは
ミシシッピ・フレッド・マクダウェルです。)





彼は仕事を変えながら

引越しをして



1940年か1941年に、

その時彼は36歳くらいですが・・・。




「ハイ」




彼はメンフィスの約40マイル南の

ミシシッピー州コモに住み着いたのでした。




「ホウ」




そしてそこで彼は

農民として

熱心に働いて・・・。




「ハイ」




ダンスとピクニックで

音楽を演奏し続けたのだそうです。




(ダンスとピクニックで
音楽を演奏し続けたのだそうです。)





「なるほど分かりました。」



「彼のプレイした場所と言うのが

ジュークジョイントの様な

決まったステージに立のではなく・・・。」






そうですね。

彼はどちらかと言いますと

仲間内のパーティーか、



お呼ばれの伴奏者的な

立ち位置だったみたいですね。






「なるほど」


「でも、お仕事を・・・。

例えそれが

街を転々とする


雇われ稼業とはいえ

熱心に勤めるあたりは

エライですネ!」






そうですね。

彼のそのプロ意識は

尊敬に値しますネ!





それから話は変わりますが・・・。




「ハイ」




彼はギタープレイに

スライドを使うのですが、




「ハイ」





最初はポケットナイフ

だったのですが、



(最初はポケットナイフだったのですが、)




「ハイ」




それからスライドは

牛の肋骨製になり、



(それからスライドは牛の肋骨製になり、)





「ハイ」





そして、

より明瞭な音を出すために


後にガラス製のスライドに

変わったのだそうです。




(より明瞭な音を出すために
後にガラス製のスライドに変わったのだそうです。)




「ホウ」





「プレイする内に音色にも

凝りだしてきましてね。」


「そろそろ音楽の方にも

その熱心さが

波及してくるのでは・・・。(^O^)」








☆Mississippi Fred McDowell -
Shake 'Em On Down ♪


☆Mississippi Fred McDowell -
 Goin Down to the River ♪


☆Mississippi Fred McDowell -
 You gotta move  ♪


☆Mississippi Fred McDowell -
Highway 61 ♪


☆Mississippi Fred McDowell -
John Henry ♪









☆ミシシッピ・フレッド・マクダウェル

Mississippi Fred McDowell

本名:フレッド・マクダウェル


 
(1904年1月12日 - 1972年7月3日)


Fred McDowellは

ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの

芸名で知られており、

アメリカン・ヒル・カントリーブルーズの

シンガーでありギタープレイヤーだった。



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フレッド・マクダウェルは

ミシシッピー・ヒル・

カントリー・ブルーズの中で

影響力のある人物で、


1960年代ブルース・リバイバルで

最も力強いパフォーマーの1人だった。




マクダウェル(c. 1906-1972)は

1959年に彼が有名な民俗学者

Alan Lomaxのために



(Alan Lomax)




コモの北農場の彼の家で

彼の最初の記録を作ったとき、


小作人であり

地元のパフォーマーだった。




マクダウェルの

音楽の深さと独創性は、


彼の最後の年の間に

多くのツアーと録音出来たことで

世界的な称賛をもたらした。
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<キャリア>



マクダウェルは

テネシー州ロスビルで生まれた。


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彼は自分の出生データが

しばしば1904年1月12日と

引用されることを

決して知ることはなかった。


しかし、

国勢調査と社会保障文書は

1906年または1907年を指していた。
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マクダウェルが若かった頃に

農民である彼の両親は

亡くなった。




彼は14才でギターを演奏し始めて、

ロスビルの周辺で

ダンスのまねごとをしていた。




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最初に頃にマクダウェルは、

綿を摘んだり、トラクターを運転、

油工場、乳業会社と伐採会社で

働くことを含む

いろいろな仕事に就いた。
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代わり映えのない

農地での開墾で、


彼は1926年に

メンフィスへ引っ越し、



他の製品と油の中で綿を加工する

Buck-Eye feed mill社で

働き始めた。







彼はまた他にも

いくつかの仕事を持って、


チップを得るために

音楽をプレイしたのだった。





1928年後半に、彼は

コットンを詰む仕事のために

ミシシッピー州の南に

引っ越した。



1940年か1941年に

彼はメンフィスの約40マイル南の

ミシシッピー州コモに住み着いた。



そして、農民として

どんどん働き、

ダンスとピクニックで

音楽を演奏し続けたのだ。








まず最初に、

彼はポケットナイフを使って

スライド・ギターを演奏した。






そして、

スライドは牛の肋骨製になり、







そして、

より明瞭な

音を出すために

後にガラス製のスライドに

変わったのだった。







彼は、薬指に

スライドをはめてプレイした。


                    (ウィキペディアより抜粋)

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