◆シングル・リリースはしたものの・・・♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<最初はピアノを弾き始めて>>




音楽に興味を持った彼は・・・。




「最初はピアノを弾き始めて・・・。」




それでもイキナリ

プロにはなれませんから・・・。





「クラブやステージ併設のカジノで

ポーターなどの

色々な仕事を経験したのでした。」






そんな彼にココロの転機が

やってきました。





「それは2人のブルーズマンからの

ギフト(贈り物)だったのかもしれません。」





2人のブルーズマン。



そのひとりは

”シカゴ・ブルースの父”

Muddy Waters



(”シカゴ・ブルースの父” Muddy Waters)





「そしてもうヒトリは、

”キング・オブ・ブギ”

John Lee Hookerです。」



(”キング・オブ・ブギ” John Lee Hooker)





そして彼はいとこと叔父から

ギターのレッスンを受けます。





「彼はそれから

地元のクラブで

彼はよ・り・マ・ジ・メ・に

音楽に取り組み始めたのでした。」






そんな彼に遂に

プロバンドへの誘いが

来ました。


その人物とは?




「”キング・オブ・ザイディコ”

Clifton Chenierです。」



(”キング・オブ・ザイディコ” Clifton Chenier)




しばらく彼と一緒に

活動を共にした彼でしたが、





「彼はやがてバンドを去って

彼自身の曲を書き始めたのでした。」







<<ロンサム・サンダウン ふたたび!>>


今回ご紹介するブルーズ・マンは

引き続き

ロンサム サンダウンです。



(今回ご紹介するブルーズ・マンは
引き続きロンサム サンダウンです。)





彼はデモ・テープを録音して

プロデューサーに渡したのです。




「いいですネ!」


「何にしても音楽で生きる以上!

業界関係者への

アピールは大切ですからネ!」





「それで、

その・・・。

プロデューサーの印象は

どうだったのでしょうか?」






感銘を受けたそうです。

それでも彼の実力は

理解できたのではないでしょうか!





「OH!」

「いきなり黄金伝説ならぬ、

いきなり!サクセス・ストーリーの

始まりでしょうか?」






そうですね。

そのプロデューサーは彼を気に入って

ステージ・ネーム

"Lonesome Sundown"をつけて、




(そのプロデューサーは彼を気に入って
ステージ・ネーム"Lonesome Sundown"をつけて





「 O H ! 」





更に1956年に

彼をプロデュースして、


Excello用の

彼のデビュー・シングル

 "Leave My Money Alone"

をリリースしたのでした。





(Lonesome Sundown "Leave My Money Alone" )






「 O H ! 」





更にその翌年には

”My Home Is A Prison ”

” Lonesome Whistler”

をリリース。




(Lonesome Sundown ” Lonesome Whistler”)





「 O H ! 」

「なかなかいい調子で

リリースできていますネ!」





 
そうですね。

このセカンド・シングルの

”My Home Is A Prison ”には

チョットしたエピソードがありました。




(このセカンド・シングルの
”My Home Is A Prison ”には
チョットしたエピソードがありました。)





「ホウホウ」




スタジオ制作するときには

創り込んだり、プロデューサーとの

意見が違ったりなど



様々なファクターが

絡(から)み合(あ)って



9時~5時でお仕事しています

と言うワケには

いかないかと思われます。





「そうでしょうネ!」






それでも、

彼の敬虔な奥さんは

おそらくはキリスト教の教義でしょうか?


それに則(のっと)って!


彼にスタジオから

早く戻ってくる様に

電話をかけてきたそうなのです。





「なるほど」

「そこで出来た曲が'My Home is a Prison'

(我が家は刑務所)ですか。」




(「なるほど」「そこで出来た曲が
'My Home is a Prison'(我が家は刑務所)ですか。」)







そうです。


それから彼はプロデューサーの

スタッフとして働き、


年1枚のシングルを

リリースするペースで約8年間

続きました。





「それで彼は商業的な成功としての

陽(ひ)の目(め)をみたのでしょうか?」





残念ながら

ヒット・チャートにインする様な

ヒット曲には恵まれなかったのです。





「そうですか」



ハイ!

その理由のヒトツは

マーケティングによる失敗が

ある様です。




「と、言いますと?」




彼のレコード会社の宣伝方法は、

カナダやメキシコなどの

手の届く範囲での


ラジオ局を通して宣伝されて、

それは通販とまとめ売りが

主とされていたそうです。





「ウ~ン。」


「最初からメジャー路線に

関心はなく・・・。」




「しかも内容も分からない曲の

通販での言わば、

叩(たた)き売(う)りですか。」



「これではファン層は拡がりませんネ!」






そうかと思われます。



それでも彼の力強く、

特徴的な声とパワフルな

ギターのスタイルは


Lazy Lesterの

明るいハープの調べにのせて

しばし賞賛されたそうです。



(Lazy Lester)

Lazy Lester - I'm so glad









☆Lonesome Sundown - I´ve Got the Blues♪


☆Lonesome Sundown - Lonely lonely me♪
 

☆Lonesome Sundown - You know I love you♪


☆Lonesome Sundown - No Use To Worry♪








☆ロンサム・サンダウン LONESOME SUNDOWN

本名:コーネリアス・グリーン


 
(1928年12月12日- 1995年4月23日)




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ロンサム・サンダウンは

Excello Recordsの伝説的なプロデューサー

Jay Millerによって名付けられた。



(Jay Miller)




ミラーはまた、Lightnin' Slim ,



(Lightnin' Slim)




 Lazy Lester そしてもっと多くのために



(Lazy Lester)




新しい名前をつけた。




'Swamp Blues'(沼のブルーズ)の

ロンサムたちを

特徴するブランドは、


彼の始めたザイデコ・バンドの

より叙情的なスタイルか


または

普通のワン・コード・ブギより


シカゴ・ブルーズのサウンドの

明確な輪郭のある

強烈な響きを持っていた。

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< 略 歴 >



彼はデモ・テープを録音して、

クロウリーでプロデューサーの

 JD "Jay" Millerに手渡した。






ミラーは感銘を受けて

シンガー、ギターリストの

ステージ・ネーム

"Lonesome Sundown"をつけた。



そして彼のデビュー・シングル

”Lost Without Love ”

”Leave My Money Alone ”

を録音して、


1956年Excello Records より

リリースされた。




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デモ・テープは

ミラーのために十分は証明だった。


―彼(ミラー)は1956年に

彼をプロデュースして、

Excello用に新たに名づけた

サンダウンの

 "Leave My Money Alone"

をリリースした。


そこにはより多くのモノがあった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




続く、

"Lonesome whistler "

裏面"My Home Is A Prison"

より好評だった。




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ロンサムは彼の敬虔な妻が

スタジオに帰って来るように

電話してきたとき、

即座に作った

'My Home is a Prison'の様な

素晴らしい曲のいくつかを書いた。

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そしてサンダウンはミュージシャンの

ミラーの南ルイジアナ・スタッフの

ひとりになった。




彼はナショナル・チャートを

悩ませる様な

ヒット曲はなかったが

8年間ミラーのために録音をした。






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カナダやメキシコに手の届く

ラジオ局を通して宣伝されて、


主に通販と まとめ売りによる

Excelloのマーケティングによる

販売不振かもしれない。


こう言うコトすべてが

ビルボードのための効果的な販売を

困難にしていたのだ。

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そして相当な量の中、

彼のレコードは売られた。

"Don't Say A Word"



("Don't Say A Word")




( ハーモニカLazy Lesterをフューチャー)




"I'm a Mojo Man"



("I'm a Mojo Man")




"You Know I Love You" 


"I Stood By

 (And Watched Another Man Steal My Gal),”



"My Home Ain't Here,"




そしてたくさんカバーされた

"Gonna Stick To You Baby"



("Gonna Stick To You Baby")


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その他の曲は

'Gonna Stick to You Baby'の様に

後の多くのシンガーたちに

カバーされた。

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ルイジアナのミュージシャンには

珍しく、


サンダウンのブルーズ・スタイルは

Jimmy Reed
のサウンドより



(Jimmy Reed)





Muddy Waters
に近かった。



(Muddy Waters)




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ロンサムの力強く、

特徴的な声とパワフルな

ギターのスタイルは


Lazy Lesterの

明るいハープの調べにのせて

しばし賞賛された。


だが彼は時々、

彼のギターか

または穏やかなピアノと共に

歌った。

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                         (ウィキペディアより抜粋)

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