◆観客はクレイジーな彼に夢中なのさ!♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。



<<歴史上最も偉大な・・・。>>



ローリング・ストーンと言う

雑誌をご存知でしょうか?



(ローリング・ストーンと言う
雑誌をご存知でしょうか)





「確か主に、

芸能関係を特集している

雑誌と認識していますが・・・。」







*ローリング・ストーンとは?

『ローリング・ストーン』

(Rolling Stone)は


音楽や政治、大衆文化を扱う

アメリカ合衆国の

隔週発行の雑誌である。



雑誌は1967年に

雑誌編集者Jann wennerと

音楽評論家Ralrh J Gleason

によって創刊された。






「あっ!なるほど・・・。」





それで今回ご紹介する

アーティストですが・・・。





「ハイ」




”ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100人のシンガー

において第41位




「 O H ! 」





”ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100組のアーティスト

において5位。”



(”ローリング・ストーンの選ぶ
歴史上最も偉大な100組のアーティスト”において第5位。”)





「 O H ! 」

「アーティスト部門第5位!」






”ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100人のギターリスト

において2003年は第6位


2011年の改訂版では第7位





「続いてギターリスト部門では

7位ですか?」





そうです。





「これはカ・ナ・リ・の実力派

アーティストとお見受けしました。」






<<チャック・ベリー 登場!>>



今回ご紹介するアーティストは

チャック・ベリーです。




(今回ご紹介するアーティストは
チャック・ベリーです。)






彼は、1926年、

6人兄弟の3人目の子として

ミズーリ州セントルイスで

生まれました。




「ホウ」




6歳の頃から聖歌隊に加わり、

高校時代には初めて人前で

プレイしたそうです。




「なるほど」

「すると、初ステージの様子が

気になりますネ!」






そうですね。


彼は最初のステージ・

パフォーマンスのために、


ジェイ・マクシャンの



(ジェイ・マクシャン)




”コンフェスィン・ザ・ブルーズ”

を選んだそうです。




「ホウ!」




それで、彼のハイスクールの

学生ミュージカル・パフォーマンスでは、


ブルーズはよく好まれていた

そうなのですが・・・。




「ハイ」




教育の場として、

その様なイベントでは適切とは

思われていなかったそうです。





「なるほど」


「それで・・・。」


「彼はその曲を選択して

ステージに立ったワケですネ!」


「観客の反応は

どうだったのでしょうか?」






彼の大胆なチョイスは

彼に

”拍手の嵐を轟(とどろ)かせた

・・・そうです。




(彼に”拍手の嵐を轟(とどろ)かせた”・・・そうです。)





「OOOOH~!」(拍手とどろく♪)





そしてその時から

彼はオン・ステージだったとか・・・。



☆Chuck Berry - Confessin' the Blues♪





「いいですね。」




その後彼は、

スクール・プロダクションの

彼のパートナーに触発されて、

ギターを始めたそうです。





「ますます いいですね。」

「彼はステージでの

彼なりの表現方法を

模索していたのでしょうネ!」






そうですね。


彼はリズム変化や

ブルーズの和音を学んで、


その時にラジオの

ほとんどのポピュラーソングを



演奏できるコトを

発見したそうです。





「それは凄いデスネ!」

「集中力が半端ナイです。」






そうですね。

それから26歳の頃までに彼は、



ブルーズからバラード、

カプリソ、カントリーまでの

曲のリストに合わせて


クラブ・バンドの中で

ギターをプレイして、

そして歌ったそうです。





(クラブ・バンドの中でギターをプレイして、
そして歌ったそうです。)






「ついに彼はお金をもらっての

ステージ・プレイを始めたのですね。」






そうです。

そして彼は歌詞に伴って

ジェスチャーと

表情を取り入れてみせたそうです。





「 O H ! 」

「これは、いわゆる差別化でしょうか?」






そうですね。

そして彼は洗練された

ショー・マンになっていたそうです。




(そして彼は洗練された
ショー・マンになっていたそうです。)






「いいですネ!」

「プレイしながら・・・。」


「それは曲のリストにそって

演奏はするものの、


やはり彼はステージを、

そしてお客さんを

大切にしていたのでしょうネ!」






そうですね。


それから彼は次の年に

ピアニストの

ジョニー・ジョンソン率いる


サー・ジョン・トリオに

ギタリストとして加入しました。



(サー・ジョン・トリオ)






「ホウ」




当時、

カントリーウエスタン・

ミュージックが人気があった

そうなのですが、



「ハイ」



彼はリフのいくつかを

使うことを決めて

ユニークなヒルベリー・サウンド

を作ったそうです。




「ホウ」




その曲を聴いた

黒人客は最初、

彼がクレイジーに思えたそうですが、




「ハイ」




曲に合わせて踊ることを

抑(おさ)えることが

出来なかったそうです。




(曲に合わせて踊ることを
抑えることが出来なかったそうです。)


☆Chuck Berry -
No Particular Place To Go (Belgium TV, 1965) ♪






「やりましたネ!」

「この勝負、彼の勝ちです!」






そうですね。

それから彼のステージ・ショーでの

気まぐれな行動は注意されて

いたそうなのですが・・・。





「ウ~ン、サービス精神が

旺盛そうな彼ですから


チョット度が過ぎるのも

何かわかる様な気がします。」






そうですね。

そして彼のステージ・

パフォーマンスをみた

他のバンドのメンバーたちですが




「ハイ」




彼らのパートと同じ様なコトを

していたそうです。




「彼のステージ・パフォーマンス。

凄まじい影響力ですね。」

「バンド勝負!これも彼の勝ちですネ!!」







そして間もなく彼はトリオの

バンドのリーダーとなって、


バンド名も

”チャック・ベリーコンボ”に

変更したのでした。







☆Chuck Berry And His Combo -
Maybellene (1955) ♪


☆Chuck Berry And His Combo -
Roll Over Beethoven (1956) ♪


☆Chuck Berry "Sweet Little Sixteen" ♪

☆Chuck Berry -
You Can't Catch Me (Rock Rock Rock 1956)♪










☆チャック・ベリー CHUCK BERRY

本名:チャールズ・エドワード

・アンダーソン・ベリー

(1926年10月18日~)



アメリカのミュージシャン、ギタリスト。

「チャック・ベリー(Chuck Berry)」

の愛称で知られる。



「*ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100人のシンガー」

において第41位。



「ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100組のアーティスト」

において第5位。



「ローリング・ストーンの選ぶ

歴史上最も偉大な100人のギタリスト」

において2003年は第6位、


2011年の改訂版では第7位。




(ローリング・ストーンの選ぶ
歴史上最も偉大な・・・。




*ローリング・ストーンとは?

『ローリング・ストーン』

(Rolling Stone)は


音楽や政治、大衆文化を扱う

アメリカ合衆国の隔週発行の雑誌である。


雑誌は1967年に

雑誌編集者Jann wennerと



(Jann wenner)





音楽評論家Ralrh J Gleason

によって創刊された。



(Ralrh J Gleason)





<キャリア>


1926年、6人兄弟の3人目の子として

ミズーリ州セントルイスで生まれる

(一部の伝記では、カリフォルニア州

サンノゼ生まれとする説もあり)。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1926年10月18日、

セントルイスに生まれた彼は、


彼の音楽のスタイルを形づくった

彼の人生に多くの影響を受けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




父親はバプテスト教会の

執事も務める建設請負業者で、



母親は教師というセントルイスの

中流家庭で育った彼は

幼少時から音楽に興味を示した。



6歳の頃から聖歌隊に加わり、

高校時代には初めて人前で演奏した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼はアイドル( Nat King Cole)



( Nat King Cole)



滑らかな声の明快さを模倣した。



その一方で、 Muddy Watersのような

バンドからブルーズをプレイしたのだ。



(Muddy Waters)




最初のステージ・パフォーマンスのために、

ベリーは “Confessin' the Blues.”と

呼ばれている


Jay McShannの曲のひとつを選んだ。



☆Jay McShann -Confessin' the blues♪

 




彼のハイスクールの

学生ミュージカル・パフォーマンスで

ブルーズはよく好まれていたが、


その様なイベントでは適切とは

思われていなかったのだ。





彼の大胆なチョイスは

彼に拍手の嵐を轟かせた。


そしてその時から

彼はオン・ステージだったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





一方、不良仲間の影響を受け、

様々な悪事に手を染めた。



高校卒業直前の1944年に

自動車強盗の罪で感化院へ送られるが、

1947年に釈放された。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ベリーはその後ギターを始めた。

それはスクール・プロダクションの

彼のパートナーに触発されたのだった。




彼はリズム変化や

ブルーズの和音を学んで、


その時にラジオの

ほとんどのポピュラーソングを

演奏できるコトを発見した。




彼の友人の Ira Harrisは

ベリーのオリジナル曲の

基盤になるギターで


ハリスのテクニックを

やってみせたのだ。




それから1952年に、彼は

ブルーズからバラード、

カプリソ、カントリーまでの

曲のリストに合わせて



クラブ・バンドの中で

ギターをプレイして、そして歌った。




ベリーは洗練された

ショーマンになっていたのだ。


そして歌詞に伴って

ジェスチャーと

表情を取り入れてみせた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





1953年、ピアニストの

ジョニー・ジョンソン率いる



(ジョニー・ジョンソン)




サー・ジョン・トリオに

ギタリストとして加入する。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


チャック・ベリーがSir John's Trio

(結局Chuck Berry Comboに名称変更した)に

参加したのは、1953年だった。



そしてセントルイスで人気の

 Cosmopolitan Clubで演奏した。


 (Cosmopolitan Club)




カントリーウエスタン・ミュージックは

その時人気だったので、


ベリーはリフのいくつかを

使うことを決めてユニークな

ヒルベリー・サウンドを作った。





黒人客は最初、

彼がクレイジーに思えたが、


曲に合わせて踊ることを

抑えることが出来なかったのだ。




カントリーは白人客に人気があったので、

彼らはショーに足を運び始めた。


そして、観客のほぼ40パーセントは

白人客だった。





ベリーのステージ・ショーでの

気まぐれな行動は注意されていたが、


他のバンドのメンバーたちは

彼らのパートと同じ様なコトをしていた。




彼自身の言葉で

「私はJohnny Johnsonが

ピアノ・キーをプロデュース出来ない

曲の一節を作りに

ストリングスを続けてプレイする。



しかしその答として

彼が驚異的な喝采を得られることは

間近だろう。



彼の答えは、後に酷評し始めた

Jerry Lee Lewisの

指使いのいくつかに似て聞こえるだろう。」



(Jerry Lee Lewis)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


間もなく、ジョンソンに代わって

ベリーがこのバンドのリーダーとなった。


                    (ウィキペディアより抜粋)

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