早いもので、父死して2年。三回忌の法事を善通寺の中にある菩提寺「観智院」で行った。
お墓参りして、
近所の「菜を里」で昼食。
父の姉弟たちは父より先にみんな死んでしまっているので、こんなとき、
母の弟①弟②妹①などが出番となる。
法事の前後に、善通寺周辺にある四国霊場八十八カ所のうち、白峯寺、根香寺、
曼荼羅寺、出釈迦寺、甲山寺、金倉寺をお参りし、ご朱印をもらった。
善通寺は前回のお参りでご朱印もらっているので、今回はパス。
白峯寺
根香寺

曼荼羅寺

出釈迦寺

甲山寺
金倉寺
金倉寺には、「金箔大黒天」という可愛いのがいた(笑)!おみくじつきの金箔シールみたいなのが売られていて(300円)、2~3センチ四方くらいの金紙を参拝客自身がこの大黒天に貼るのだ!貼りたい場所どこでも。ご利益ありそうななさそうな…(;O;)。
五鈷杵
デカイ五鈷杵が賽銭箱の前に置かれていた。(@_@;) 煩悩を打ち砕くという、空海も愛用した
密教の法具だ。昨今の仏教ブームで、ミニチュアの五鈷杵、ケータイストラップなど見かけるが、
このサイズはなかなか立派なものだ!賽銭箱の前へ置いてどうしようというのだろう…?
持ち去られたりでもしたら一大事だ!しかし、サイズでありがたみを競うなら、なんといっても頼もしい
のは、石手寺本堂前の階段のところへ設置してある超巨大サイズの五鈷杵だ。あまりのでっかさに、
それが五鈷杵だとはにわかに気付かない参拝客も多いと聞く。私の背丈をはるかに超えて、
2メートルとかそれ以上とか…あるような気がする。金ぴかのそれが、ど真ん中にしっかり据え付け
られている。大地震がきてもびくともしないこと請け合いだ。ありがたい、ありがたい。
イタリアワイン
原水協の田中さん紹介のイタリアワイン6種類のうちの1本、赤ワイン・弱発砲を開けた(*^。^*)! 職場で18本注文したうちの1本だ。通常価の2割引きの上に、被爆者援護にもなるとのことでみんなに声をかけた。注文書を送ると翌日すぐに届いたので、ワインに合うおかずの用意もなく・・・、冷凍のチーズクリームコロッケと春キャベツ、ブロッコリーとプロセスチーズで晩餐会にした!美味しかった。
こころ
4月のNHK「100分de名著」では、夏目漱石の「こころ」が取り上げられている。
ジュンク堂でのテキストの売り上げも大変好調だそうだ。やっぱり漱石だな~。
夏目漱石と明石公会堂
東京出張の翌日、といえば私にとって何より楽しい観光日。東京駅は撮影してみたが、
スカイツリーなどにはほとんど関心ゼロなので今回は、兵庫県明石市へ足を運んだ。
夕方から夜のうちに新幹線をぶっ飛ばして新大阪を経由し、明石までたどりついておく。
JR山陽明石駅近くに県立明石公園があり、
とびきりの青空が広がっていた。
1619年、小笠原忠真が開いた明石城。
現存する巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)は
国の重要文化財に指定されている。
明治44年8月、漱石が杮落し講演をした
旧・明石郡公会堂(現・中崎公会堂)
地元のガイドブックやリーフにも、漱石云々とは全く書いていない。
私以外に誰も興味ないわけもなかろうし、もっと紹介・宣伝してもよさそうなものである。
昭和58年に大修理をしているとはいえ、ほぼ創建当時の姿をとどめているという。
廊下
漱石講演の会場、現在は剣道・日本舞踊の練習場として使われている、
広い板敷きの大広間だ。明治44年8月、漱石はどんな講演をしたのだろう。
前日、大阪の箕面の大滝を見物した漱石は13日、明石で「道楽と職業」という
演題で講演する。続いて15日には和歌山県会議事堂で「現代日本の開花」、
17日には大阪・堺高等女学校で「中身と形式」、18日には大阪・中之島公会堂で
「文芸と道徳」、という具合に関西巡回公演をした。(大阪朝日新聞主催)
時代も時代である。漱石以外の2人の講演のタイトルは「仏領安南の事情」「満州問題」 。
いかにも・・・という感じだ。
一方、漱石の講演はというと、
文明開化と共に職業は専門分化され、数が非常に多くなってきている。爪をきれいに掃除したり、
美術顔といって顔の垢を吸いだしてみたり、クリームを塗沫して化粧してくれたり、職業が芋の
弦のようにそれからそれへと延びていって種類がふえていく。専門はどんどん狭く細くなり、
数は多くなる。その結果、どうなるか? 自分の専門のことしかわからなくなり、専門以外の
ことにかんしては、まったく無知な人間が出来上がってしまう。漱石はその弊害を指摘する。
漱石の講演はこんな感じ。
「自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求を恣にしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはならない。この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心理的にははなはだ厭なものである。就中最も厭なものはどんな好な道でもある程度以上に強いられてその性質がしだいに嫌悪に変化する時にある。ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上その方面に働いてそうしてその自分に不要な部分を挙げて他の使用に供するのが目的であるから、自己を本位にして云えば当初から不必要でもあり、厭でもある事を強いてやるという意味である。よく人が商売となると何でも厭になるものだと云いますがその厭になる理由は全くこれがためなのです。いやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違ないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。」
講演内容全文は、インターネット図書館「青空文庫」で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/757_14957.html
漱石が泊まった衝濤館(しょうとうかん)
当時、漱石が泊まった旅館、「衝濤館」は公会堂のすぐ近くに今も建っている。
ようやく建っている、といってもいいような板塀、2階建ての古めかしい館だ。
今は空家になっているように思われた。しかし、ここが往時の漱石宿泊旅館だと
特定したのは「衝濤館」という看板(表札)文字?がかすかに読めたからだ!
ココ右上↓ 「衝」の字が読める。
当時、公会堂の演壇に向って右手は明石海峡で、天井に海の色が映るほどだったそうだ。
漱石は、旅館の窓から海で泳ぐ人たちを見たと日記に書いているが、昭和40年前後から
埋め立てがすすみ、今では国道を渡って公園から2~300メートル行ってやっと海に出る。
公会堂の最寄り駅は「人丸前」という小さな駅で、
平日の午後、穏やかにひっそりしていた。
雲ひとつない今日の快晴は、漱石からのご褒美のような気がした。
「わざわざ来なくてもいい。」と言いながら、まんざらでもなく、
私の訪れを喜んでくれたような気がするのだ(*^。^*)。
子午線のまち 明石
日本標準時、子午線通過地の標柱
明石市立 天文科学館
エレベーターの中がプラネタリウムのように煌めいていた。
天文のことはよくわからない。しかし、久米栄左衛門が天文学を学び、その知識を基礎に、
後年さまざまな発明開発をしたことなどを思い出しながら資料館を一巡した。
14階展望室屋外では、いろんな日時計が時刻を示していた。
天文科学館の前庭には芭蕉の句碑がある。
ほととぎすきえゆくかたやしまひとつ
近くの食堂でお昼ごはん
日替定食
アジのフライ、小鉢2品、味噌汁、つけもの
舞子
高速バスの乗り場「舞子」へ移動する。
橋の科学館

孫文記念館(移情閣)
こんなところに孫文記念館があるとは知らなかった。
日本と孫文、神戸と孫文の関わりを中心に資料展示してある。
本日の見学者はわたくし1人…かもしれない。
思いがけず静かにゆっくり見学できた。
孫文

「孫文を支えた日本人」の資料パネルの中に出てくる、宮崎寅蔵(滔天)は、孫文らの
中国革命に大きな貢献をしたことで知られるが、その妻、槌は前田案山子の三女で、
前田卓(つな)のすぐ下の妹だ。前田卓とは、漱石の「草枕」の那美さんのモデル
とされている女性で、孫文や黄興ら中国革命家たちが日本で作った「中国革命同盟会」
を支援した女性。それは後年のことで、熊本の小天(おあま)に暮らしていた29歳の頃、
漱石と出会う。何の予定もなく出くわした「孫文記念館」だか、これはもしかすると
漱石が「ここも少しのぞいて行きなさい。」と導いてくれたのかもしれない・・・。
「絶対に」手を触れないでください、とのこと。(^_^;)
大正ロマンの香りただよう室内、そしして階段。
甦る大正の輝き
階段の壁紙「金唐紙」の復元工程
金唐紙
居酒屋「残業や」
前夜の夕飯。明石キャッスルホテルすぐ近くに、面白い名前の居酒屋を発見。
「残業や」。「残業屋」ではなく「残業や!」ってことかな?
しっかり者風の女性が1人で切り盛りしているようだった。
おでんと、ホッケ開き、そして熱燗。
あ~美味しい。満腹、満足、楽しいひとり旅。ルンルン。
帰りは高速バスで、明石海峡大橋、淡路島、大鳴門橋を通って、
四国松山まで3時間半。

おしまい
雨もあがり、どういうわけか、春の陽気だ!
遠出をする元気はないので、
道後公園散策
白梅がちらほら咲いている。
松山市立子規記念博物館では今、
特別展「水野広徳―軍服を脱いだ平和主義者―」を開催している。
松山が生んだ希代の言論人
水野広徳
水野広徳は、松山に生まれ少年時代を松山で過ごしたのち、海軍軍人となり、日露戦争で戦功を立てた。戦後は軍務のかたわら日本海海戦の戦記の執筆に取り組み、明治44年『此一戦』を執筆刊行し、ベストセラーとなる。 しかし、第一次世界大戦の状況を視察するため渡欧した際、想像を絶する戦禍と国家の荒廃を目撃した広徳は、大正10年、46歳で海軍と決別し剣をペンに持ちかえ、平和主義に立つ軍事評論家として生涯信念を曲げず、平和主義を叫びつづけた。
会場でクイズ(5問)を解いてボックスに入れておくと、毎週5人だったか?に、
1,000円の商品券が当たる。やったー!大当たり(*^。^*)‼
館内のミュージアムショップ限定の商品券だ。ここのミュージアムショップには
子規や漱石関連の図録、書籍、短冊などほしいものが山積みなので、
この商品券はうれしすぎる(嬉!)
子規歌碑
子規博入口前
四国松山 いろは屋 謹製
子規の愛した菓子パン
―明治の香り復刻版―
「仰臥漫録」の1ページには、その日食べたパンの絵が4種類描かれていて、
ひとつひとつに註釈がついている。
いろは屋では、子規が好んで食べたと思われるパンを、
当時のレシピと製法で現代版に復刻している。
四国松山 田尾屋玲子堂本舗 謹製
玲子の愛したぜんざい
―昭和の香り復刻版―
玲子の好物は、なんといってもあずきだ。
あんぱん、大福など季節を問わないが、
正月あけの、まだ我が家に餅が豊富な頃に作るぜんざいは、また格別だ。
餅もぜんざいも大好物なので、大鍋にかなりの量を作り、数日かけて、
朝晩食べつづけることになる。ほぼわたくし1人で・・・(*^。^*)。
後半は、牛乳を加えてミルクぜんざいにする。これがまた美味しいのだ。
右下の緋のかぶら漬に注目。
野菜はCOOP束本店で買っているが、そこの野村「百姓百品」のコーナーに赤カブが出ると、
必ず買ってきてスライスし、酢とはちみつ、ゆず、かぼす、すだち、レモンなどの柑橘とを
合わせて漬ける。鮮やかな朱色に変身し、お味もなかなかのものだ。
お正月
かなり時期を逸してしまったのではあるが・・・
お正月の写真をUP。西条市丹原町在住の義父母、80歳。
丹原ではいつも、ワタリガニをたくさん食べる。
高松市在住の実母(81)と、
久しぶりに帰省した下の息子(28)。
履いて帰った靴が写真右。サイズ27.5センチ。
写真左は、歩き始めて最初の外履きの靴。
これを履いて、石手川公園でよく遊んだ。
成長するとは恐ろしいものだ・・・。
My study 「古文書」
昨年10月から、NHKカルチャーの「古文書講座」に通っている。
生徒は13人いて、江戸後期の宇和島の庄屋の古文書をテキストにしている。
先生は、この庄屋さんの子孫の方で、自宅に現存していた大量の古文書を
読み解いて、地域史・記録集として執筆し本にまとめておられる。
毎回、1人半ページずつ、楷書に書き上げていくのが宿題で、
今回、わたくしが当たったのが右ページだ。苦労して読み、
なんとかがんばってみた。3カ所くらい間違っていたが、
まだ初心者なので、まずまずの滑り出しだ。と思っている。
奉公人などが、文字の手習いをするのに使っていた手本で、
当時出版されていたものらしい。そのコピーで、わたくしも
くずし字を学ぶのだ。天保14年へタイムスリップ!!
みなさんが使っている辞典。わたくしも買った。
この古文書講座に何年も通っているみなさんの辞書は
使い込んで、ボロボロになっている・・・。すごっ!
