ご無沙汰していますが、私自身は変わらず元気です
時は7月に遡って…
父が入居中の老健の医師から連絡あり、「経口で栄養摂取が出来なくなったので今後は入院して医療の力を借りる必要がある」と説明を受けました。
病院の選択肢は2つ
延命措置を望むなら人工呼吸機などの設備が整っている病院になるが、コロナ第7波で医療が逼迫しているため受け入れ先を見つけるのは難しい。見つかったとしても遠方の病院になる可能性が高い。
もうひとつは療養型の病院。
自然に任せて看取るならこちらが適していて、今なら区内の某病院に空きがある。
どちらにするか家族で話し合って欲しい、いすれにしても老健ではこれ以上何も出来ないとのこと。
そこで悩みに悩んで療養病院のお世話になることにしました。
コロナ渦のため、家族の面会が許可されるのは容態が危ないときだけ。
その危ないときを秋以降何回も迎えました。
病棟へは抗原検査の陰性が確認されないと入れないため、10月には2~3日おきに検査を受けてました。
危ないとき以外でも検査や輸血が必要がになると同意書にサインを求められ病院から呼び出されました。
病院に出向いたのは大抵は兄と私の2人でした。
母は「アタシは面倒だから行きたくない」と言って全く父に会う気が無く、兄と二人がかりで無理矢理連れていったのは亡くなる前日という有り様。
それでも呼吸の弱くなった父を目の前にして「いつまでここにいないといけないの?」「早く帰ってアイロンがけしたい」とばかり呟いていて状況がよく理解出来てませんでした。
あと数日で父の月命日を迎えます。
今お骨は実家のリビングのテレビが良く見える場所にあります。
仮仏壇に供える毎日の食事や、お花の手入れは兄がやっています。
わが子はメロンパンを供えました。
実は年中さんの頃、楽しみにしていたメロンパンをじいじに取り上げられた経緯があり、亡くなる直前まで恨んでいたのですが「もう怒ってないから、安らかに眠ってください」と手をあわせていました。
私は日本酒を供え、ウクレレで【津軽海峡冬景色】を弾き語りしました。
父は石川さゆりさんの大ファンでCDを聞きながら母の作る筑前煮をつまみ日本酒を飲むのが至福の時だったのです。
その筑前煮を供えたいのですが母は料理できなくなってしまったし、以前に私が作ったものは父から強烈なダメ出しが出たこともあってどうしたものかと思っています。
その時に発せられた言葉がこれ↓
お前のがめ煮はうまむなかばい‼
がめ煮とは福岡で筑前煮のことを指すらしい
あ~、でも筑前煮以前にウクレレ(というより歌)にもダメ出ししてそうだなぁ。
文句でもいいからまたあの声が聞きたいなぁ✨