田岡 將好 一人旅、思い出つづり
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コロンビアのプロビデンシア島

今までの1人旅で、1番良かったのは、コロンビアの
プロビデンシアという名前の島です。
前にも書きましたが、人口3000人の小さな島です。

行き方は、いろいろありますが、1番便利なのは
次のルートです。

日本の何処かの空港→ロス→パナマ→コロンビアの
サンアンドレス島→プロビデンシア島

合衆国を避けたい人は、カナダ経由もあると思います。
北米→パナマ→サンアンドレス島はコパ・エアラインが
運行しています。

サン・アンドレス島で1週間くらいぼんやりしていましたら、
誰かが「プロビデンシア島には行きましたか?」と
聞くのです。
「そこはどんなところですか?」と訊ねると、「天国です」
との答えでした。
大袈裟に言っているだけだろうとは思いましたが、
1人で退屈だし、行ってみようと思ったのです。

適当なツアー会社から、1番安いパック商品を買いました。
往復の航空機と4泊分のホテル宿泊がセットになった
ものでした。

指定の時間に飛行場へ行くと、10人乗りくらいの小型
セスナが待機していました。セスナに乗って、急角度で
上空に飛び立つと、よく晴れたカリブ海が一面に広がり
ました。
40分くらいで飛行機が下降し始めたので、窓から外を
見ると・・・・・・・!

なんと言う!初めての景色に圧倒され、声も出ませんでした。
上空から見たプロビデンシア島の風景なのですが、
なんとも例えようがありません。
はじめて見た色、模様、恐ろしい程でした。
あえて表現すれば次のようになります。

深い青に一箇所だけ別の色があります。それは赤と
茶色と緑と薄いコバルトブルーです。
島の真ん中は茶色で所々赤いのです。赤土だからです。
島の周りは鮮やかな緑です。島の外には浅い海が広がり、
うすーいコバルトブルーに輝いています。ところが、
そのコバルトブルーの外側に、もう一度茶色と緑があるのです。
その外側はふかーい青なのです。
この島は環礁(島を囲むように陸の輪ができている)を
持っているのです。島全体が、なにやら水中生物のように
見えます。宇宙の何処かのガス星雲にも見えます。
色が鮮やか過ぎて恐ろしいほどなのです。異次元の世界です。

景色に見とれているうちに、セスナ機は徐々に高度を
下げ、色と模様だったものが、徐々に現物の山やヤシの木
の姿になってきました。

着陸して機外へ出ると、熱風と共に、焦げた匂いが私を包みました。
木の焦げた匂い、土の焦げた匂い、熱帯特有の匂いです。
飛行場と言っても、広い土の地面に掘っ立て小屋が1軒あるだけです。

掘っ立て小屋をくぐって外に出ると、とても古い1トン程度の
トラックからおじさんが出てきて、私を手招きしています。
彼に聞くと、彼はホテルの人ではなく、旅行会社から頼まれて
私をホテルまで乗せて行く事になっているそうです。
アルバイトのような感じでした。島で自動車を見たのはこの1回
だけでした。
飛行場の付近が1番賑やかな街なのですが、郵便局の他、
商店が1件か2件あるだけです。

空港から海岸沿いに細い道を10分程トラックに揺られて行くと、
目的のホテルがありました。ホテルと言っても、民家を改造した
ような作りでフロントも何もありません。日本で言う民宿です。
到着してホテルの女主人と少し会話を楽しみました。
女主人の名前はカローラで、私が日本のポピュラーな車の名前と
同じだと教えると、とても喜んでいました。
客は私1人だそうで、食事は朝食のみ出す、他は外で食べて欲しい
と言われました。私1人なので、朝食は食べたいものを出す、何が
食べたいかと聞かれましたが、私は何でも良いと答えました。

女主人に、この島の楽しみ方を聞くと、「先ずは1日ツアーに参加
した方がいい」と言うので、さっそく頼んでもらいました。
その日は適当にあたりを散策し、近くの食堂で適当なものを食べ、
投網で浅瀬の小魚を捕る漁師を見ているうちに夜になり、夜は
海岸のバー(といってもヤシの木の下でビールを売る若い男性が
いるだけ)で少し飲んで寝ました。

翌日、私の泊まったホテル(民宿)の前を、1日ツアーが通ると言う
ので外で待っていると、海の方から私を呼ぶ声が聞こえます。
「タオカー」と呼んでいるのです。
よく見ると、10人くらいが乗ったボートの船頭が私を呼んでいる
のです。
てっきり車が来ると思っていた私は慌てて海岸に走り出しました。
近寄ってきた船の上では、観光客らしき人がみんなニコニコしな
がら私に手を振っています。
サンダルを脱いで、浅瀬をジャブジャブと走り、船に飛び乗りました。
この日も雲ひとつ無い快晴で、海の青さがとてもまぶしかったです。

船は島を1周し、要所要所で船を降り、写真を撮る時間を与えたり、
泳ぐ時間を与えました。
船には若い女性が2人乗っていて、私によく話しかけました。
どうも私に興味があるようなのです。2人ともコロンビアの本土から
旅行に来たようです。
彼女等は明日馬に乗るので、私にも来ないかと勧めました。
よく判らないけど楽しそうなので行こうと思いました。そして何時に
どこへ行けば良いのかを教えてもらいました。

翌朝、教えてもらった所まで、バイクの後ろに乗せてもらって
行きました。村人がタクシー代わりにバイクに乗せてくれます。
島の中では、どこに行くにも30円くらいでバイクの後ろに乗れます。

着いた所は、牧場のような所でした。昨日の彼女等が私を笑顔で迎え、
さっそく馬を選ぶよう促しました。馬主人のアドバイスで馬を選び、
さっそくまたがり、何の説明も受けないまま一行はスタートしました。
彼女等2人、私、他に4-5人の客、そして馬主人、10人弱の行軍です。

私は、それまで馬に乗ったことがほとんどありませんでした。
(国内観光地の引き馬程度しか経験しておりません)
それがいきなり1人で馬に乗り、どこへ行くかも知らされずスタート
したのです。実は、このツアーはほとんど丸一日続くツアーだった
のです。朝8時頃スタートして、戻ってきたのは夕方の7時くらい
だったと記憶しております。
日本だと何だかんだとうるさい規定があり、何時間以上乗らなければ
次のステップに行けないとか、ヘルメットをかぶったりいろいろな
プロテクターを着けるようですが、ここではジーバンにTシャツ姿で
いきなり乗馬です。
説明も何も無く、習うより慣れろみたいな感じでした。
最初はおぼつかない格好で、オドオドしながらの行軍参加でしたが、
次第に慣れてきて、夕方ごろには馬を思いっきり走らせることも
できました。不思議な体験でした。

最初しばらくは普通の道路を歩きで進んで行きましたが、参加者の
中に馬を走らせる人がいて、私の馬も釣られて走り出した時は死ぬ
思いでした。どうやって馬のスピードを落せばよいか判らず、困って
いたら馬主人が私と平行して馬を走らせ、馬をとめる時は手綱を
ぐいっと引く、走らせる時は手綱を絞り、このように、とジェスチャーで
教えてくれました。そして私にムチを手渡し、これでシリを叩くと
もっと早く走ると説明するのですが、私には無用と思っていました。
馬が走らないようにする事で精一杯でした。

普通の道路から山道に入り、しだいに険しい所をどんどん登って
行きました。ここで馬主人は1つだけ注意をしました。それは
木の枝にぶつからないようにという事でした。最初私は何の事を
言っているのか判りませんでしたが、実際に木の枝にぶつかりそうに
なって初めて馬主人の言ったことが判りました。馬上に乗った
人間の頭の高さより、馬の頭の方が低いので、馬が横に張り出した
木の枝の下をくぐりぬけた時、馬上の人間は頭を低く下げないと
木の枝にぶつかるのです。これで転倒して大怪我をする人がいます。
私もあわや落ちそうになりました。

さらに山の中に入っていくと、そこにはもう道は無く、石ころが
ゴロゴロと転がる荒れた斜面でした。ここは無理だろう、と思って
いると、先頭から順に石をまたいで、馬を進めます。
石は大きなもので直径70-80cmくらいあります。高さもそれ
くらいです。そんな所でも馬は進むのです。これは私にとって
大きな驚きと感動でした。
馬は自分の足の長さ(胴の高さ)までのものは簡単にまたぎます。
私のランドクルーザーでは絶対に入れない所も、いや、キャタピラー
付きの車であろうが人口的な乗り物ではとうてい入れない場所でも
馬なら行けるのです。いざとなったら最後は馬なのですね。

さらに45度程度の急斜面もジグザグに登り、山頂で一服、この
あたりで既に人馬一体感が出来上がっており、下りはのんびりと
楽しむ事ができました。そして最後に海岸に出て、砂浜で自由に
馬を走らせる事ができました。
海岸についた頃には、馬は自分の意思ではなく、私の指示に従って
動くようになっていました。
試しに馬を思いっきり走らせましたら、スピードがものすごく速く、
しかも、速度が上がるにつれ、馬の着地から思いっきりジャンプして
次の着地までの上下の動きが激しくなり、前のめりになったり、後ろに
振り落とされそうになったりで、本当に恐ろしかったのです。
でも私は、「どうせ転倒しても砂だからたいした怪我はしない」と覚悟を
きめ、一度も使わなかったムチを馬の尻に当てました。すると馬は
さらに速度を上げ、恐ろしい程になりました。私の目には涙が
いっぱいに溢れ、前がにじんで見えました。
速度としてはたぶん時速40-50kmくらいしか出ていなかったと思い
ますが、自動車と違って上下のバウンドがすごく、直に風を受けますので、
時速100kmは出ているのではないかと感じました。いわゆる早足とは
違います。競馬のような本当の大またの走りですから、素人には本当に
恐ろしいほど迫力がありました。
そうこうしているうちに夕暮れになり、集合場所の馬屋に着いた時には
日はどっぷりと暮れていました。
恐ろしかったけどすごく面白かったので、次の日も朝から一日中馬に
乗りました。
1日中馬に乗って、料金はたしか3000円くらいでした。これも日本では
考えられませんね。
私はこの体験以降、他の国でも馬に乗るようになりましたが、日本では
一度も乗ったことがありません。高いからです(笑)。

初めて馬に乗った日、夜は海岸でダンス・パーティーがあり、私も
誘われていたのですが、初めての乗馬でとても疲れていて、民宿に
帰ると、すぐに寝てしまいました。翌朝、馬主人が私に寄って来て、
「彼女たちが朝方までタオカを待っていたよ」と意味ありげな笑みを浮か
べながら教えてくれました。
無理しても行けば良かったと後悔しましたが、もう遅いのです。
乗馬2日目は最後の日であり、次の日はサンアンドレスに戻らなければ
なりません。

ところが偶然、彼女等も次の日にサンアンドレスに戻り、そこで1泊すると
言うのです。
彼女等は2人ともアビアンカ航空のスチュワーデスだったのでした。
私たち3人は同じホテルに泊まろう、という事になりました。
彼女等の休暇は明日で最後なので、最後の夜をサンアンドレスで思う存分
楽しもう、という事になりました。
そして、次の日、同じホテルに泊まった私達3人は・・・・・

長くなりましたので、この続きはまた別の機会とします。

エジプトには2度と行きたくない

旅の思い出は、人それぞれですから、ここで私が言う事は、
1つの参考事例として捉えて頂ければ幸いです。
また、どこの国にもいい人とそうでない人がいます。
たまたま、そうでない人に多く出会うとその国の印象が
悪くなり、「嫌な国だ」と思うわけです。
その事を充分ご理解頂いた上で、私の体験談をお聞き下さい。

エジプトには1度行きました。
地図を頼りに、ガイドブックに書いてあったホテルを探しました。
ようやく見つけてホテルに入ろうとした時に、若い男の人が
私に寄って来て、「お泊まりですか?」と訊ねました。

私が「はい、そのつもりです」と答えると、その男の人は、
「あいにく今日は満室です。よろしければ、姉妹ホテルに
ご案内しましょう」と言いました。
「すぐ近くです」と言って先導する彼の後ろを私は歩きました。
ところが数歩歩いたところで嫌な予感がしました。
「もしかしたら、この人はこのホテルとは全然関係ない人で、
客を横取りしようとしているのではないか・・・」

私が、「ちょっと待ってください」と言って、最初のホテルに戻ろうと
すると、妙に熱心に止めます。「行っても無駄ですよ」と。
ますます疑わしく思い、彼を無視して最初のホテルに入って
いきました。フロントに訊ねると案の定、部屋は空いてました。

彼の姿はもうどこにもありませんでした。

その後、私は気を取り直してギザのピラミッドを見に行きました。
世界最大のピラミッドはどのくらい大きいのだろうかと期待して
行きましたが、ピラミッドは思ったほど大きなものではありません
でした。写真の写し方で広大に見えるのです。
ギザのピラミッドの周りには、有名なファスト・フードの店が
立ち並び、その周りは店ばかりです。
スフィンクスは驚くほど小さく、下から写さないと大きくは見えません。
私は札幌に住んでおりますが、札幌名所の時計台も
似たようなものです。高地の「はりやま橋」、長崎の「めがね橋」と
並んで、日本3大がっかり名所とされております。(一説には
時計台、はりやま橋、沖縄の守礼門)

ギザのピラミッドの付近をぼんやり歩いていると、青年が寄って来て、
エジプト人がかぶる帽子のようなもの(ホッカムリ)をくれると
言います。私が断ると、私の頭にかけてくれました。布切れを
頭にかけて、その上から輪のようなものを頭に乗せ、はさむのです。
私は何度も断りましたが、プレゼントだといいます。観光客に
サービスするボランティアだと言います。
私は本当は欲しくなかったのですが、せっかくの好意だと思って
彼のするままに帽子をかぶせてもらいました。

かぶりおわると、彼は金を催促しました。さっきは無料だと言った
のではないかと問いただすと、なにやら日本で言う「カンパ」だと
言います。帽子はただですが、お礼にカンパをよこせと言うのです。
変な理屈です。

私が断ると、彼は急に仏頂面にまり、私にかぶせた帽子を、いきなり
力強くひっぱりました。私は前のめりになり、危うく転ぶ所でした。
彼は私をケチだとか、カンパするのが当たり前だ、とか激しく罵りながら
逃げて行きました。

初日から連続で嫌な思いをしたので、私もぐったりと疲れて、ホテルで
休んでいましたら、今度はホテルの人が高いツアーを熱心に勧めます。
おまけにひどい腹痛を伴う下痢と嘔吐をして、散々な目に会いました。

1人旅をずーっと行なってきて、今までもいろいろな事がありましたので、
多少の事にはメゲない私ですが、エジプトだけはガックリと疲れました。

エジプトにもきっと、「いい人」もいるのだと思います。
しかし、カイロなどの観光地には、年中次々と「おのぼりさん」が来るので、
騙す人が多いのだと思います。
初めてススキノに来た人が、悪い客引きに捉まり、さんざんボラれたら、
札幌は悪い人ばかりだと思うのと似ているのだと思います。

それは判っているのですが、エジプトにはもう2度と行きたくありません。
仕事でも、金を積まれても行きません。私の体験はそれ程にひどいもの
でした。他の国ではここまでひどい体験はできません。

私が「地球の歩き方」を使わない3つの理由

大学時代、初めて渡米した時は、「地球の歩き方」を持って行きました。
初めての海外旅行で、大変役に立ちました。
以来、常に「地球の歩き方」を持って海外へ出かけたものです。

しかし、十数年前から「地球の歩き方」は持たなくなりました。
理由は色々ありますが、重要な事から順に列挙すると次の通りです。

1.情報が古い、情報が間違っている、詳しくない
 名所だけを旅するには充分ですが、少し奥へ行くには情報が少なすぎたり、
 間違った情報が多いです。
 特にホテルの値段などでは、あまりにも情報が古くて、ホテル側も
 あきれるほどです。
 旅行者の投稿を検証せずに載せているからだと思います。
 *最近は見ていないので判りません。

2.「地球の歩き方」に書いている場所に行くと、日本人ばかりと会う
 特にホテルでは日本人ばかりと会い、外国人との出会いが減って
 しまうので外国人との交流や見聞を広めるチャンスを失います。

3.「地球の歩き方」に書いている場所に行くとボラれる
 私の偏見かも知れませんが、日本人は争いを避け、しかも海外
 での滞在期間が極端に短い為、容易に金を出す人が多い
 ようです。その為か、「地球の歩き方」を持っている人は、しばしば
 カモられるような気がします。
 実際、地球の歩き方で紹介されている店やホテルよりも、すぐ近くの
 別の店やホテルの方が安い事がよくあります。

「地球の歩き方」に代わるガイドブックに「ロンリー・プラネット」があります。
これは特にヨーロッパの長期(貧乏)旅行者が愛読しており、情報がものすごく
多いですし、しかも正確です(場所にもよりますが)。
特にホテル情報の量、鮮度、精度はすばらしいです。
「ロンリー・プラネット」を持って旅をすると、長期滞在型のヨーロッパ人と
出会う事が多く、友達になれることが多いです。
全て英文なので、私も充分理解できない事もありますが、文章の前後から
類推してどうにか活用しています。

最近は、「ロンリー・プラネット」を一冊持って行くか、逆に何も持たずに
(事前情報も一切持たずに)いきなり現地に入り、人に聞きながら
情報を集め、冒険するスタイルが増えています。 

旅先で会う中国人

今年(2010年)は、計4回の海外渡航をする事になっています。
既に3回は終了し、あとは12月のタイ行きを残すのみです。
全てが遊びではありません。内2回は仕事です。
仕事で海外へ行く機会も増えてきております。

ちかごろ、海外で中国人に会う事が多くなりました。
中国人には、どこにでも行く勇気と好奇心があるようです。
それは結構なことで、安全地帯しか行かない日本人は
見習うべきです。
しかし、最近海外で会う中国人は横柄な人が多いのです。

今年4月に訪問したインドネシアでは、コモド・ドラゴンで有名な
コモド島に向かう為に、バリ島からフェリーを乗り継いで、
東へ東へと進んで行きました。
途中、スンバワ島東端の町サピ(サペ)に泊まった時にも
1人の中国人男性と会いました。

私は貧乏旅行を旨としておりますので、飛行機を除く公共の
交通機関は得意ですが、このような旅のスタイルで日本人に
会うことはありません。日本人に会うとしたら、飛行場で会うくらいです。
しかし、世界中の辺境地域で中国人とは度々会います。

その日、夜遅くサピに到着し、港近くの安宿を見つけ、
とりあえずはチェックインしました。
何でもいいからと思い、近くの食堂で夕食を摂り、宿に帰ってくると、
玄関前に座っている人がいました。何か私に話しかけているように
見えましたが、暗かったのでよく判らず、現地人が何かを
言っているのかと思っていました。何を言っているのか判らないので、
適当に無視していました。

私が玄関前でタバコを吸っていると、その人が私のほうへ寄って来て、
「人が挨拶をしても、オマエは挨拶をしないのか」と、下手な英語で
怒って言いました。
私が、気づかなかった旨(英語で)伝えて、改めて挨拶すると、
「オマエは、なに人か?」と聞くのです。
日本人だと答えると、「なんだ、同じじゃないか、オレは中国人だ」と
言って、さらに怒った顔をして、そのまま自分の部屋に入って行きました。

日本人同士でも、状況によっては挨拶などが通じない場合があります。
ましてや、お互い母国語でない者同士が、英語で初対面の挨拶を
したのに、相手が気づかなかったからと言って、怒る事はないだろうと
思いました。
私なら、「気づかなかったようだ」と思い、近くに寄って笑顔で話しかけるか、
少しタイミングを変えて、また話しかけると思います。
もしかしたら、英語が一発で通じなかった事に対する単なる照れ隠しなのか、
それとも自分の英語が上手なのをアピールしたくて怒ったのか。
普通なら怒る場面では無いはずです。

10月(つい最近)はメキシコに行って来ました。
メキシコといっても、サンディエゴのすぐ南、国境沿いの町ティファナです。
合衆国からメキシコに入るのはすんなりでした。
しかし、メキシコから合衆国に入るのに、3時間ぐらい並ばせられました。
ティファナ国境を陸路で超えた事は、過去にも4-5回ありましたが、
こんなに長い列を見たのは初めてです。

テロ対策とやらで、最近ESTAを導入したばかりの合衆国ですが、
メキシコ国境の警備や入国審査も以前より厳しくやっているようです。
私は列の一番最後まで行って、まじめに並びましたが、3時間近く
並んで、やっと入国審査の建物の前まで来たあたりで、中国人の
集団が横入りをしてきました。
合衆国の人は、礼儀正しく並ぶ事が正しい事だと信じていますので、
中国人に注意をしていましたが、中国人はいすわり続けました。

そして、ようやく私が入国審査の建物に入ろうとした時に、
係員から、「列の最後尾からもう一度並びなさい」と言われました。
横入りの中国人だと思われたようでした。
「私は最後尾から並んでいた、もう3時間近く並んでいる。
私は日本人だ、中国人ではない」と必死で説明しましたが、
係員は私が何を言おうと無視し、無表情で列のずっと後ろの最後尾を
指差していました。
私は必死で食らい付きました。押し問答をしていると、既に建物の中に
入って行ったメキシコ系米国人と思われる青年が、わざわざ戻ってきて
「この人はさっきから並んでいた。私は知っている、横入りではない」と
説明してくれました。
係員が私に向き直って「Are you sure?」と聞いたので、私は満身の力を
込めて、「I am very sure!」と答えて、建物の中に入ることができました。

全ての中国人がこのような態度ではない事は充分承知しておりますが、
たまたま最近出合った中国人が、わがままな態度をとるので、
中国人に対する印象がだんだん悪くなっております。

半分は、かつての日本人もそうであったのと同様、国際社会のルールに
慣れていない為に生ずる誤解かもしれません。

警察には気をつけよ

先進国では考えられない事ですが、そうでない国では警察が一番危ないです。
私が実際にコロンビアのカリという町で遭遇した体験談をお話します。

コロンビアには既に過去3回行った事がありました。最初はよく判らないで、
首都ボゴタに行きましたが、まったく楽しくない町でした。
コロンビアの中では、ボコタだけが別の国のようなものです。治安がよく、
高原に位置しているので気温もそれほど高くなく、快適な都会です。
でも、私にはそのような都会は似合わないのです。

で、ボゴタを去って適当に旅を続けました。人に聞いて、サン・アンド・レス
という島に行きましたが、ここはファミリーや恋人たちのバカンスの島で、
1人旅の私は浮いた存在でした。さらに離島のプロビデンシアという
ところに足を伸ばしました。サン・アンド・レスからセスナ機で1時間、
人口3000人のこの島は、かつてプロビデンシア号という冒険の船に
発見されたらしく、以来、島民は英語を話し、独立した文化圏を持っています。
後にコロンビアがニカラグアから買収して、現在はコロンビア領になっている
ユニークな島です。ここはとても良かったです。機会があれば、後日
詳しく書きます。

このようにコロンビア内をうろつき回った末、最後にたどり着いた
カルタ・ヘナという町が気に入って、以後3回、カルタ・ヘナを訪問しました。
カルタ・ヘナは治安がよく、災難に遭遇した事は一度もありません。

何回かコロンビアを訪問しているうちに、カリという町に興味を持ち、
とても行きたくなりました。私の好きなサルサが盛んで、ゲリラ組織の
配下の町で、治安が悪く、かつて銃撃戦で多くの死傷者を出した町です。
でも、コロンビアのサルサ歌手のほとんどが、カリを讃える歌を歌います。

これは死んでも行くしかないと思い立って、通算4回目のコロンビア旅行に
カリを選んだのです(前置きが長くてすみません:笑)

カリに着いた当初は緊張していましたが、到着5日目ころから慣れて来て、
心に緩みが出てきました。夜毎バーでサルサと酒びたりの生活をしました。

ある夜、コロンビアの青年が私のところに寄ってきて、
「マリファナ、マリファナ」と言うのです。
断っても断っても、しつこくマリファナを勧めます。人懐っこい青年で、
カリのコロンビア人には珍しく英語を話したので、1人旅の私には
いい話し相手でした。

彼はそのうちに、マリファナを見てくれと言いました。きっと物に自信があり、
見るだけでも見て欲しいのだと思いました。

彼はポケットの中から、マルボロの箱を取り出し、ここではまずいから
トイレで見るように促します。私は酒に酔っていた事もあり、
興味心から、ついうっかりそのマルボロの箱を受け取ってしまったのです。
そして彼の手引き通り、バーの中にあるトイレに入り、箱の中を見ました。
太いジョイント(マリファナを紙で巻いたもの)がマルボロの箱にびっしり
入ってました。恐ろしくなった私は、トイレから出て、彼に箱を返そうと
思いましたが、バーには既に彼の姿はありません。

その直後、制服の警官3人と、上司らしき私服の人が入ってきて、
私はその4人に羽交い絞めにされました。私服の上司らしき人は
早口の片言の英語で、何やら言っています。
私のポケットの中のものを出せと言っているようなのです。
羽交い絞めが外され、私がポケットの中からマルボロの箱を出すと、
今度は早口で、「中を見せろ」と言っているようです。
中を見せながら、さっきの青年の話をすると、私の言う事を無視して、
屈強な制服警官2人が両脇から私の腕を掴み、私服の指示で私を
店からひきづり出しました。
さっきまでニコニコしながら私にビールを出していた店の女も
急に冷たい顔に変わっており、知らぬフリです。
外にはパトカーが止まっており、後部座席に押し込まれた私は、
両脇をしっかりと掴まれながら、私服の早口の尋問を受ける羽目に
なったのです。酔いが一気に覚めました。現実だとは知りながら、
何か映画でも見ているような変な気分でした。

私服は繰り返し繰り返し、3年とか何とか下手な英語で言っています。
「イン ディス カントリー!」と言いながら、マルボロの箱を振りかざし、
「スリー イヤー」と言っているので、マリファナ所持は3年の刑だと
言っているのだと気づきました。
そして、そのような事をいいだけ言った後、3000ドル払えば保釈
できると言い出しました。ジェスチャーで判るのです。
3000USドルか、と尋ねると、「オフコース!」と言うのです。
3000ドルと言えば、約30万円です。そんな大金は払えません。

私は、酔っていたし、大変緊張もしていたのですが、直感で、
「この警察は、私を逮捕したいのではない、金が欲しいのだ」と
気づきました。保釈は裁判所が決める事です。警察はただ私を
警察署に連行すればいいはずで、取調べは普通、警察署で
行ないます。金が欲しいだけだと判ると、急に道が開けたような
気分になりました。「どうにかできる」と感じました。

そして、恐らくさっきの青年はグルだろうという事にも気づきました。
きっと、あのバーもグルでしょう。
そうなったらもう安心です。私は恐れ入ったような顔をしながら、
のらりくらりと私服の尋問を交わし、都合の悪いところは
意味が通じていない振りをして、話しを長引かせました。

苛立った私服は、「じゃ、半額に負ける。今だったら1500ドルで
手を打つ」と言ってきました。保釈金を1500ドルに負けると言った
時点で警察の負けです。

結局1時間かけて、80ドルに負けさせました。本来払う必要のない
金ですが、彼ら警察に付きまとわれるが厄介なので手を打ったのです。
金を払わなかったら、彼らは何日でも私を追い回すでしょう。
簡単に80ドルまで下げさせた訳ではありません。途中(恐らく)実弾の
入ったピストルを頭に向けられながらの交渉でした。やわな人には
向きません(笑)。

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今年、インドネシアに旅をしましたが、バリ島で知り合った日本人青年
(サーファーらしい)がバリの郊外で似たような体験をしたようです。
バリ島でも似たような手口で、日本人から金を巻き上げる警察が
いるようです。

教訓:マリファナには近づかない、持たない。警察に気をつける。
    マリファナを売ろうとしている人は警察の手下かもしれない。