Tao House

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神の使者から『奇跡講座』に出会って、十数年。
日々をACIMに過ごそうと、聖霊と一緒に訓練中です。

拙著『ACIMで行こう!』『 ACIMで行こう!2』ともに、 紙の本のAmazonでの新品の取り扱いがなくなりました。 在庫はございますので、下記HPをご確認ください。


Tao House ・個人セッション ・紙本販売 


 

そもそも病院に行ったのは、不整脈が止まらなくなったからでした。

去年の検診で「心配ないタイプの期外収縮だから大丈夫」と言われたのですが、とはいえあまりにもバクバクだったので、改めて検査しました。

そのついでに「血管年齢も計りましょう」ということになり、血液検査の結果を教えてもらう日に計ってもらったところ、

「うーん、血管年齢78歳ですね。コレステロールもこれくらいだったら普通は大丈夫なんだけど、この状態だとねえ。薬、追加しましょうね」

と言われました。


「え? 78歳?私、57歳ですが?先生、これどういうことでしょうか……私、どうしたらいいんでしょうか」

「青魚食べるといいですよ」

「いや、食べてますよ??」

それ以上、何も聞けず、何も言われず、診察室を出てきました。



いやいやいやいやいやいやいや……

もともと血圧高いので、食事にはそれなりに気をつけてます。運動もしてるし、体重も適正ですよ?確かにお酒は飲みますが、量はコントロールしてます。で、血管年齢が実年齢+20歳って、何それ、どうすればいいの???青魚しか方法ないの?


帰って来てからもしばらく茫然自失の状態で、二、三日はほとんどまともに食べられませんでした。少しずつ調べてみたら、血管年齢の検査は不整脈があると正しく測れないという先生と(計った時、多分不整脈が出てた)、いや関係ないという先生が半々くらいで、

「いや、その結果どうなの?」

という話もあって、まあそこまで落ち込まなくてもいい話かもしれない、ということがわかって、ちょっと元気が出ました。

で、ちゃんと調べようと思ったら別の検査もあるようですが、検査したからといってよくなるものでもないし、悪い結果が出てトドメを刺されたらもう立ち直れなさそうだし、やめました。


『奇跡講座』学習者ですから、体はない、ということは知識レベルでは納得しています。

でも、もう、辛くて辛くて仕方ない。

一体何が辛いんだろう、と少し俯瞰してみてみると、何が嫌って、いつ血管が詰まったり破れたりするかわからない状態で、それに怯えながら、食べ物にも行動にもビクビクしながら生き続けなきゃいけないのが嫌、と思っているのがわかって来ました。

もし何かあったら、救急車呼んで、病院行って、娘にも迷惑かかるし、いやそれより母はどうするんだよ。

食塩は1日何グラム?必要なサプリは?セカンドオピニオンをとる?病院変える?……そんな考えに自分の思考を乗っ取られるのが本当に嫌!


そうやってみてみると、死ぬのが嫌、というより、死に至る一連の流れが面倒臭い!!!!と思っているみたいです。


もちろん死ぬのも嫌です。

特に、娘を残して死ぬのは本当に辛い。

この世の未練はほぼこれだけだな、と今回しみじみと思いました。

時々、仲のいい学習者仲間とそういう話になると、

「いや、私たちなんかに育てられるより、聖霊にそだててもらった方が、子どもたちも幸せよ」

なんて冗談を言ったりしますが、そう言ってる側から悲しい気持ちになってしまう。

でも、聖霊がちゃんと育ててくれるから大丈夫、と信じてもいます(ぽんぽんなんか、もうとっくに成人したしね)


めんどうくさいとか、死にたくないとか、自我が勝手なことを叫んでいるのを、少し俯瞰して眺めていると、

「いやいや、もうこの歳になったら、血管以外にも何があっても不思議じゃないよ。それ以外にも、交通事故だって、天災だって、気候変動だって、戦争だって、なんだってあるよ」

と、もう全方位に不安を感じ続けるようにできている自分の心の仕組みに、

「まめだなあ……」

と驚いたりもします。


そもそも最初の受診理由である私の不整脈は、更年期からくるストレスが原因になっているらしいので、こうやってストレスが増えてしまったらよくなるわけがありません。もう、バンバン飛んでいるわけですが、先生がおっしゃるには、

「まあ、これくらいだったら大丈夫でしょう」

だそうです。


もうちっと何か、気の利いたことを言えねぇのか、このやろう!!

と思うのですが、この先生も私の投影ですから、私はここからも何かを学ぶのでしょう。


何年か前にも検診の結果で打ちひしがれて、セラミックの詰め物を噛み砕き、脇の下にしこりをつくり、体重を三キロほど減らしたことがありました。

今回は詰め物は今のところ無事ですが、やっぱり体重は二キロ落ちてしまいまして(まあ良いんだけど、ちょうど落としたかったからさ)、78歳という数字を思い出してはため息をついていますが、でもまあ、多少なりとも俯瞰する視点が保たれていたのは進歩だったかなと思います。


歳を重ねれば、この先も、体の問題は嫌でもついて回るでしょうけれど、心の訓練の場になれば良いですね。

この体を聖霊に存分に使ってもらえるように、心地よくメンテナンスを続けていきたいと思います。