Tao House

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神の使者から『奇跡講座』に出会って、十数年。
日々をACIMに過ごそうと、聖霊と一緒に訓練中です。

拙著『ACIMで行こう!』『 ACIMで行こう!2』ともに、 紙の本のAmazonでの新品の取り扱いがなくなりました。 在庫はございますので、下記HPをご確認ください。


Tao House ・個人セッション ・紙本販売 


 

🔸最初にお知らせです🔸
年末にパソコンと携帯を一気に変えたところ、トラブルでFacebookにログインできなくなってしまいました。
いろいろ試したのですが、現在も退会や凍結の手続きができない状態です。

もしコメントなどくださっていた方がいらっしゃいましたら、お返事もできず申し訳ありません。

 

クローバークローバークローバークローバークローバー

 

もうすぐGWですね。

桜の時期からこの時期にかけては、木々も草花も、刻一刻と色合いを変えていき、昨日行った公園に翌日行くと、

「昨日誰かが色を塗り替えて行ったかな……」

と思うような変化があったりもします。

庭のミントも、朝見て、

「そろそろ使えるかな?(とか言いながらそんなにハーブは使わないんだけど)」

と思い、夕方もう一度見たら、

「え、伸びてる?」

と思ったりします。

 

実は、2月の末に、母が転倒して入院してしまいました。

「大腿骨頚部骨折」で、介護経験のある方なら、

「あー、あれか……」

と皆さんがいう、そう、まさにあれです。

家の中の母の行動範囲にはだいたい手すりをつけてありましたが、唯一、台所からリビングまでの通り道にはありませんでした。そこにさらにつまづきやすいホットカーペットがあるので重々気をつけなければ、と思っていた、まさにそこで転んでしまったのでした。

あの時、母が私に、

「ゴミ箱どこ?」

と聞き、私が、

「ああ、さっきゴミ捨てして、こっちにあるよ。じゃ、そっちに持ってておいて」

と答えてしまい、まんまと手が塞がった状態で2、3歩歩いた結果の転倒でした。

母を転ばせてしまった、という強い罪悪感があるかというとそうでもないのですが、でも、

「ああ、なんであの時……」

という悔しさはあります。

 

ただ本当に運のいい人で、折れ方がとても素直にポッキリといったものですから、ほとんど痛がることもなく、手術も、

「簡単でしたよー。傷も出血もちょっぴりだったしね」

と言われ、ことなきを得ました。

手術のリスクについて散々脅されて(これはお医者さんの義務だから仕方ないわよね)、私の方が気分的に倒れそうになりましたが、無事乗り越えてくれてよかったです。

病院を無事退院して、先月にはリハビリ病院に転院しました。

ただ、かなり進行気味だった認知症が進んでしまい、骨折したことも手術したことも覚えていません。私のことはどうも妹だと思っているらしく(しかし、孫のことはわかる)、

「まあちゃん」

と呼ばれます。ちゃうで。

このあと家に戻れるかどうか、微妙なところです。

また転んだら困るしねえ……。

 

で、その病院が絶妙に交通手段のないところにあって、私も自分の健康のために、ほぼ毎日、せっせと歩いて面会に通っています(自転車嫌いなんだよね)。

私自身は、前回のブログでも書かせていただいたとおり、この年明けに不整脈の検査に行ったら、動脈硬化を言い渡されました。同時に腎臓の数値も悪化していて、そのことについては先生はなにも触れなかったのですが、お節介なYouTubeさんが「その数値は慢性腎不全って言うんだよ!動脈硬化があると腎臓に負担がかかるからね!」と教えてくれて、改めて打ちひしがれたりしている次第です。

 

そんなこんなで58歳にして初めて叶った一人暮らしは、母の老いと自分の老いを同時に見つめながらのスタートという、なんとも楽しくないものになってしまいました。

一人でご飯を食べるって憧れてたんですが、やってみるとあんまり楽しくなくて。

「ああ、私あんまり長生きできないんだろうな。動脈硬化だと、大動脈解離とか心不全とか脳梗塞とかになるのかな。痛そうで嫌だな。いや、腎臓の方が先かな。でも長生きしても滑ったり転んだり、記憶がおかしくなったり、大変なことしかないよな」

と、ズブズブと沼にハマっていきます。

娘も全然帰ってこないし、帰って来たら来たで、

「ああ、この子の未来は大丈夫だろうか」

などと不安が募って、急に黙り込みたくなったりします。

なんかこう、楽しく暮らす方法を見つけないと、と思っていますが、そういうもんでもないんだろうな。これは慣れかもしれません。

 

こうなってほんとに、

「コースやっててよかった……」

と思います。自分が心から信頼できる思考体系により掛かれるというのは、こんなにも安心できるものなのだと、改めて思っています。

私は体ではないのだから、体について、生について、老いについて、病について、死について、あれこれ考える必要はありませんし、このあれこれと見事に悪いことを連想するのは、私の脳の機能の傾向で(主に左脳でしょうが、これがほんとに高性能で持て余しています)、これを放置すると、その想像の通りに起こることはあまりないけれど(これは体験上そう思います)、思ってもいない角度からダメージを喰らいます。つまり私の連想ゲームは具体的な出来事においてはだいたい外れるのだけど、抽象的なレベルにおいては自分の波動に相応なものが起きるようです。

 

ただ、だからと言って、

「ああ、悪いことを連想してはいけない!」

っていうと抑圧になるので、その連想ゲームが始まったら、それを流れるままにしながら、信頼できる思考体系の方に寄りかかって、その連想ゲームを赦し続け一段落したら、そっとお茶でも差し出すような気持ちで眺めてあげる。

このやり方を知っているおかげで、どうにか乗り切れそうな気がしています。

 

 

ついサボりがちのワークですが、不整脈でドキドキし始めると、思い出したりします。

今日のワークは、

L.293

すべての恐れは過ぎ去り、ただ愛のみがここにある。

 

動脈硬化にも腎機能の維持にも、歩くことはとてもいいのだそうです。

あまり自然に恵まれない場所に暮らしていますが、それでも母の病院に行く道々の、桜の時期からこの新緑の時期の自然の移り変わりを、来年、これが見られないとしても、ああ、去年たくさん見たよねって思えるように、楽しんでおこう、といつもよりもじっくりと楽しみました。

この間読んだ漫画で、餓者髑髏の八掛を主人公に見られたある素敵なお婆さんが、

「メメント・モってるのよ」

って言ってて、気に入っています。

何歳であっても、メメント・モるのは、今、ここにい続けるためのよい練習のような気がします。