昨夜の記事の前には……自分の正解を探すという話をしていますが、
今の世の中の人類すべてがそんな風に考えているとは思いません、
多分気づいていないだけなのかなと思いますが、
人間って本来一人で産まれひとりで死んでいく生き物![]()
誰かに頼りたいし、依存したいし、執着したい、そんな風になってしまう生き物でもある。
それは本来、自分を知りたいから、自分の正解を知りたいから、自分が自律するためでもあるからだと。
だから人との関わり合いが始まる。
近年ではマイノリティーという少数派という言葉が強く言われるようになってきましたが、それまではいつも言ってしまいますが昭和時代の昭和意識で「みんな仲良く」という常識が強く、
人に合わせてしまうし、
人と同じ方が安心するのでしょう、
人と違うと不安になり、心配になり、孤独の恐れの心に負けてしまうから。
それが、一人で産まれひとりで死ぬという本来自分自身も気づいている世界の呪縛でもある![]()
どちらかに偏る必要も無いのについみんなと同じという安心を選んでしまうのでしょう。
自分の正解を知ると自律も出来て、自立できると人をも尊重できるだろうに。
自他尊重というのは自分のエネルギーでも、人へも広がりもして自分の中でも広がるので、緩い大きな細かい光にもなる![]()
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そんな中庸が程良い![]()
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私もそんなバランスを考える。
でもそのバランスは、時に優柔不断になったりして、自分が嫌になる時もあった。
こんな優柔不断な人間で良いのかと真面目に悩んだ時も
何でも良いし、どうでも良いし、どれを選んだって良いし、
そんな事も思ってる。
人に意見をしながらも自分の意志を表現しながらも、愚痴を言いながらも、
ある意味どうだっていいと思う時もある。
人とトラブってまで自分の意志を通そうとも本当はしたくない、どっちでもいい。
何が食べたいって聞かれてもなんだっていい!!
でも段々嫌な事だけは言おうとするようになったけど、それでもなんだっていいと思うし、どうだっていい!!
そんな自分がどうなんだと思った時期もある、
優柔不断っていったい何だと!!![]()
正解を探すけど、本当はどっちだっていいじゃないかと!!
まあある時からその優柔不断な自分もそうやって理解してやった![]()
どっちだっていいんだ!!
そう思うと、嫌な事だけ言おうとかよりかは好きな事を言おうと変わって行ったような、食べたいものを言ってみようとか、やりたいことを提案してみようとか言えるように![]()
中庸も人によって難しいだけかな
両方を知れば良いだけで、両方のバランスを自分が取れば良いだけで、
優柔不断だって自分の心の見える世界と見えない世界、
見えない世界と見える世界も境界線って無くて、「曖昧な世界」
その曖昧な世界も曖昧を楽しむか、曖昧を苦しむかはその人の意識次第![]()
その自分の中の両方を知って両方を理解してバランスを取れば良いのかと。
そうすればもっとどうでも良くなって、楽しんでいる事に気づくかも![]()
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苦しみだって後になれば笑って話せる事になるのと同じで、
なんであんなに苦しいと考えたんだと、そんな未熟な自分を可愛いやつだなと愛おしくなるんでしょう![]()
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