きれい事と現実という話をしていましたが乙女のトキメキ

 

昭和な私の時代は親のいう事は絶対で、まあ時に反抗する人もいたでしょうが、少なくとも私は絶対でしたスター

それが正しいとか間違いという事も分からなかったし、親は正解だと思って信じてた乙女のトキメキ

 

ただちょっとおかしいなとか違和感とか不満はあったやろうけど、不満は口答えとして叱られ自分が間違っているんだと思い込み、不満ばかりを抱え込んでたんだと思う!!

本当の正解なんてあるのかなって、子供ながらに思ってたかどうかも分からないおやすみ

 

善い人になる、悪い事をしない、

正しくありなさいと言われても正しいが分からないから、ただ大人に怒られないように、人のご機嫌ばかりを伺い、

自分を表現する事が苦手な時代だった

結構そんな人多かったと思う。

昭和のほとんどの人が人はみんな善い人だと思う性善説に!

 

中には身近にヤンキーとか不良なんて人がいたので親があんな人間になったらアカンよというのと、ただただ怖かったから自分とは全く違う別世界としか思わなかったし、近づくことも無い。

まあ大人になればそれも自己主張で、自己表現で、親とか社会からの自立だと今なら思うけど、その本質なんてその時には考えもしなかった。

 

仕事するようになって、いろんな世界を知るようになり、いろんな人間も知った。

興味津々でいろんな性格に興味が湧いた。

 

そんな時でもまだ自分に興味も無かった

ただ大人になって広い海原に出て行っていろんな人がいるんだなと。

人生の中で忙しい時、お客さんと接する時間が多かったので

ある意味一線引いた人間関係だったので、自分に関わらない限りどってことのない興味だけの世界だった。

 

二十歳前に彼ができて、まあその人と結婚したんだけど、

いわば初めて密に関わる他人!

知らない世界を知るのも楽しかったけど、

今考えるとホント次元の低い世界観を教わった人だと思う。

自分もそんな頃は未熟で世間知らず、次元も低かったと思う。

そんなに好きではなかったけど、善い人に違いないと信じ込もうとしてた。

まあもちろん優しかったけど、ホントの優しさだったかというとそうではなく、思いやりがなかったなとおやすみ

でもそれが次元が低いと分かるまでには時間かかったキラキラ

 

親から聞かされてた様に善い人になるとか、性善説を信じ込んでたもんで、

正しいとか間違いとかの判断すらできなかったかもしれない。

この人に向き合いながら前を見て進みながら、

自分の世界観をもつようになりながら、

やっと違う世界があるんだと、次元の低い世界もあるんだと教えてもらったように思う。

でもそうじゃないと、私の考えや世界観も偏っていたんです。

全てが性善説ではありえない、

全てが良い人ではありえない、

全てが性善説では自分も良いか悪いかも気づかない。

 

自分の心地よさも、自分を信じる事も、自分に優しくすることも、自分を思いやる事も気づかない。

それに気づいた事は私の人生にとって最大の気づきで、感謝でしかないキラキラ

凄い長い年月、自分の居心地なんて考えたことも無かったけど、

自分が居心地良い場所にいて、自分が快適に過ごせて、

そんな場所と人の中にいるって、いろんな世界を知らないと選択できない歩く

 

これってまだまだ生きている限り続くんだと思う、

居心地良いところにいて楽しく過ごせる場、それを選択しながら歩んでいく事って、人生の終わりにも繋がる事だと思うキラキラ

 

人が死んだら天国か地獄へ行くと思っている人が多いと思うけど、

天国も地獄も自分の想像の世界、

生きている間に自分が作っていく道の続き。

常に選択しながら生きていたら、その続きが死後の世界。

 

ふと違うかもって思ったなら、その違うって事を払拭して生きたら道も変わる。

不安や心配や怖れがそうさせているとしたら、その本質を払拭する。

これもきれい事への道かなと。

現実の世界なんて3次元で低い次元なんです。

でもその低次元の世界も知らないと高次へと進めない。

その3次元の世界を生きているうちから綺麗な道へ変えた方が良いのかと歩く音符