昨日の記事の中でのテーマで「無意識」という……音符

無意識って本質でもあるし、魂でもある。

 

生物上では精子と卵子が結合して細胞が肉体を作っているけど、

そこに命というもの、また、意識というもの、また、魂というものが宿るのです。

肉体に宿り肉体を借りて生きている人間、親や社会や環境や状況に育てられた心や性格!

 

それが良いとか悪いとかという概念ではもちろん話さない。

その良いとか悪いというのも個人や社会の価値観でもある。

そう言われてしまうとこんな話だって嘘だろうと思うのも人それぞれの価値観。

 

自分って何だろう、命って何だろう、人間って何だろう、生きるって何だろう……そんな事を考えないとその方向の答えだって、インスピレーションだって降りてこない。

まあ肉体でこの3次元のこの世を無意識に生きてるんでしょう、今のところはほんわか

いづれ生き方とか心とか身体とか死とかは誰でも考える時もやって来るんでしょうイエローハーツ

 

癖も無意識で、行動にも言葉にもその人の癖だったり本質が現れているキラキラ

表面的な表現である性格や表面化された心が現れた時には向き合うし、

向きあえば必要な性格は認めたり心は温め、不必要な性格や心は改めたり手放したりする。

その手離した先が無意識キラキラ

一般的に仏教でも煩悩を手放しなさいと聞いた事があるだろうけど、その先という事と同じ。

100年以上も昔、心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱していた分析心理学で、「集合的無意識」という概念があるのですが、

人間の各個人の無意識を越えた先にその集合的無意識があり、それは魂の源とも潜在意識の源とも言われていたり、人間が寝ている間に意識は無意識を越えてその集合無意識へ戻ると言われているんです。

宇宙でもあって、エネルギーチャージしたり、潜在意識とコンタクト取ったり、

寝ていてもすぐ目が覚めたり、この世の悩みや考え事があると中々深い眠りにつけなかったり、

個人意識の個のままで意識が上昇すると孤独が怖れとなり直ぐにその集合無意識から戻って来るからだと。

まあこんな何百年前からも学者が研究し提唱したとしても今の世のどれだけの人にどう伝わっているか、

こんな話だって何かの拍子に興味が出たり魅かれたりしないと気にもならない気づきもしない事キラキラ

凄く大切な事だと思うけど、この世の意識でこの世を有意識で生きていると無意識には中々なれないものです、

近年ではストレス社会と言われるぐらい、社会に悩まされることが多い。

それも見える事ばかりで、仕事やお金や情報や人間関係。

子供の頃には無邪気に考える事も少なかったはずだけど、それだって現代は子供の頃からストレスを多く抱えている。

大人の社会がストレスが多いと子供たちにも大きく影響するのは当たり前かなと!

 

そんな有意識でしか生きれない社会、

人に気を遣い、社会のルールに縛られ、

疲れるのも分かる気がする。

 

その有意識は歪んだ価値観、偏った価値観、先入観でもあるし、体裁でもあって、社会に混ざろうとする真面目さゆえだったり、いろいろ。

 

そのいろいろな有意識を手離した先に無意識がある。

無意識というのは価値観を越えた概念。

 

手放すには自分と向き合い、自分軸で生きるしかない。

先ずは自分ファースト、先ずは自分に優しく、先ずは我がままに。

その中で無意識になるという。

自分の無意識を見つける。

無意識の中に生きる。

それが魂の生き方キラキラ