飲み会だけではなく、人と話すの大好きな私 (*^^*)

差しで話すのも好きだし、多くで飲むのも好き。

結構人の話しも傾聴できると思う (^.^)

自分が話すのも好きだし、みんなが喋ってるのを見てるのも好き

まあみんなが喋ってるのを見てたら相槌うちながらつい入っちゃうけど!!

本来は、大勢の中では端っこで眺めてるのも好き (*^^*)

 

多分幼い頃からそんな感じだと思う (^.^)

でも幼い頃は人見知りで内弁慶だったので、家ではよく喋ってた!!

何ならよく食べよく寝てよく喋りって健康優良児、運動嫌いなだけ (^.^)

外へ出ると、遠くからみんなを眺めてて目立たない子供だった。

 

昨日の話の最後に話した「心を開く」というキーワード。

飲み友達でも話し相手でも心を開いてくれる人なら尚嬉しい!!

多分幼い頃の自分も心の開き方が分からなかっただけなんだろうと思う。

家では母親に聴いてもらうという感じで話してたか、

一人で喋って、一人で歌って、一人で笑ってたかもしれない (;'∀')

 

中学生までは自信持てなくてまだ引っ込み思案だったけど、

高校時代ぐらいから自分でも変わろうとしたのか自分から心開いて行ったと思う。

地元制で一期生でレベル高く目指そうとはしてたようだけど、人集める誰でも入れてたような高校でもあったので、受験で少し自信が持てたのかな (^^;)

自分でも違いが分かるぐらい自己開示して行ったと思う (^.^)

 

近年ではよく自己承認欲求が強い人が多いと言われてます。

自己承認欲求と自己開示、似ているようで違いますよね。

 

自己承認欲求は人に認めてもらおうと人に求める。

自己開示は自分の意志から心を開くという!

 

自分から心を開いて行ってはガツンと壁にぶち当たり傷ついたりしてたんですが、

それは毎度言うように私は自己肯定感が低かったせいで、自尊心も低かったからだと、

後にそんな事に気づいたわけだけど、

 

家庭でどんなカタチでも愛はもらっていたんだろう、それが重くても傾いてたとしても、だから母親の世界観を信じ切ってたのかも知れないので、そのまま壁にぶち当たっていたんでしょうね、

その割には心が弱かった、心に自信がなかった!

 

だから心開いても「あれっ?」って感じで、何だか周りの空気が違うぞと!!

そんな高2の時にはダイエットして随分容姿も変わり先ずは心を開くにも自信もっていいよといろいろ自分を整えて行ったのかなと思う。

それでも自身の自己肯定感の低さが謙虚さも保ててたのかなと思うので、人に求めるほどにならなくて良かったかなと (^^;)

高校時代はただ自己開示しながらぶっ飛んでいったようにも思う!

 

美容師になるとサービス業でお客さんとの対話も必要になって来る。

そんな時には人の話も聴くけど、自己開示も上手くしないと相手との信頼関係も築けない。

 

かと言って自分の話ばかりしていても相手は鬱陶しいもんでもある。

バランスだなと !(^^)!

その空気は読める方だと!

 

そんな中で相手がどんどん自身を自己開示してくれると嬉しくなって行くんでしょうね (^^;)

 

そこに魂を感じるようになりました (^.^)

自己承認欲求が強い人は心開く事もないまま身勝手に人に自分を認めて欲しいと圧が掛かって来る

飲んで喋ってても中にはそんな人もいるけど、

まあ良いかと!!最近はそっと見守る事も出来るようにはなったけど、

楽しいのは断然魂の会話だなと (*^^*)

 

自己開示……こそ、魂の解放に繋がっていくのかなと !(^^)!