地球の中で意識やエネルギーが振動起こす、そして干渉し合う。そこに現象と事実が在るだけです。
ただの事実、ただの現象。
自分自身の中で起こっている事実、
自分と他者の干渉しあう事実。
自分と社会で干渉しあう事実。
それらと時間軸で干渉しあう事実。
それをどう感じる自分がいるか。
それをどう考える自分がいるか。
事実があるから気づく。
事実が体験そのもの。
それを無い事にしたり、
それを無視したり、
その事実から逃げたり、
事実と向き合う事によって自分を知り、発見する。
体験で自分を知り自分を発見する。
そこに時間軸が影響するとタイミングやきっかけや
トラブルなども起こるかもしれないけど、
それも事実。
事実だけを見過ぎてもいけないけど、見ないのもいけない。
事実をはき違えるのもいけない。
事実をどう捉えるか、そこからどう判断するか。
事実が正しいとか間違いだというのではなく、
それは価値感なので、変わるもんだから。
自分がどう判断して進むか…。
もちろん組織に入ると簡単な事ではないかも知れないけど、
今やこれからの時代、風の時代、パーソナルの時代、個性の時代
それらの繋がりを広げて行くという時代なのかなって思ったりする。
傲慢になるのはどうかなと思うけど、きっと繋がる。
個性を押し潰しながらの時代では無いという事。
組織の中でも事実を捉えるという事の共有。
人に従うというのではない、事実に従うという事なのかなと…。 (^.^)
私自身もこの「事実の共有」で人間関係が壊れて行く事を数多く体験して、
考え悩み、時に苦しみ、人との関わりがものすごく嫌になった時期もありました。
自分が間違っていた事もあったかもしれないけど、
時系列で考えると明確な事でも
感情が入ると事実が事実でなくなる。
常にリコーダーが必要なのかと思い悩んだ事もありました。
大概事実が分からなくなる人程自信もって本質から外れて行きます。
感情的になる人程事実を共有する事が難しかったりします。
「言った言わない」とかの水掛け論もそうですよね。
どんどん本質や論点から外れて行く。
中には手がらも知らぬ間に取っていく人もいます。
話し泥棒の人もいます(^^;)
ちょっと話がズレましたか?
事実の共有している間に人が話しているのか、人が提案したのかも見失うのですね (^^;)
事実の共有でも我見失う事だけは無い方が良いなと思います。
そんな時によく「KY」とかと言って空気を読まない人と言いましたね。
事実の中でも混乱を招きます (^^;)
そこにも事実が在るだけなんですよね、
そこに居る人達がその事実を共有しているだけ、
我見失う事なく事実を捉え、自分の考えを知って発見したい。
そしていつでも自分の意思や見解を伝えられるようにもなりたいですよね。
たまに私は、自分やその時間を共有している人を自分の横(左肩の上)で見て聴いていると感じる時があるんです。
自分の分身で、自分の魂だと感じているんですが、
一体化で感じない時もあるんですが、
そこに居る感覚である時はある意味安心します。
私の事も客観視(俯瞰)してくれていると思うからです。
間違いも正してくれると思い安心するからです。
だからと言って、その感覚が私に何か強制したり得する事を教えてくれるという事はないんです、見守ってくれているだけです。
間違いも全て自分の意思で修正するもんですから。
間違いというのは間違いではなく、
事実の捉え方を変えて行くだけです。
ちゃんと事実を把握する事を教えてくれていると思っています。
事実を捉えて判断する。
そんなスピードも循環や変化のスピードも速くなっているようですから乗っかって行きましょうね (^.^)
まだのんびり過ぎるぐらい吞気な私ですが…
見ている目の前の景色(事実)捉えます !(^^)!