何度も「古い意識」と言ってるけど

古い意識は年齢が歳いってるという意味では無いですよ

きっと分かる人は分かってるとは思いますが

まあうちのオットになんて向かって言ったら「歳いってるって言ってる様なもんやんけ!」「歳いって当たり前じゃー」とかって一言放って怒って終わりです

だから頭が年取ってるんじゃないのって言いたいところですが、理解が届かない人に無理やり言っても無駄なんで言いませんよ (^_^;)…

理解や解釈は「活用」する人に伝われば良いなと思う事です

活用して初めて知識や知恵は活かされる

前にも言いましたが古本屋に大事に並べられている古書みたいなものでは勿体ない

年齢重ねると高齢者だ、最近では老害とまで言われて邪魔者みたいに言われたりするけど

言われた高齢者たちにも責任が在るのでは?

ただ歳とって偉そうになるだけではどうなのか?

ただで歳いってるわけじゃない、どれだけ人生重ねてきたか、経験を積んできたか

それを独り占めしてると意識だけが凝り固まって古書となってしまうのでは?

たまにPTAとか地域活動してると、学校側が地域の人達へ助っ人を要請してきたり

地域の行事で高齢者と子供達の交流会を開いたりして昔の遊びを通して楽しんだり

そんな様子を見ていると、知恵とか知識とかが共有されているところには愛が在るなぁ~と感じるんですよね

どちらもが幸せな感じ

ずっと前にテレビの情報ですが

定年した老年の方が今一度社会に参画しようと、そんな制度あって、保育所でのお手伝いの資格です(保育士の資格ではない)

その方が言っていました

実際に資格を取って、保育所で小さな子供たちと走り回って触れ合ってると、身体は少々疲れるけど、子供達に学ぶ事が多くてびっくりしたと。

そこには肉体の年齢の差はあれど、精神的な差は感じないと…

子供は端から同等に接してくる…こちら側が同じ目線に立てるかどうか

今までの会社に従事てきた気づきになかった気づきだと

成果からの満足ではなく、心からの満足を感じると。

子供は無邪気だから自分までが素直になれたんでしょうね

これって素敵な事だと思いますよね

社会では通用しませんもんね…ただの無邪気って

多分こんな話も、ちょっとひねくれてると、そんなの一部の人だよと、そこに入ってみないで言うかもしれないけど

多分向かう心とか、向き合う意識の違いだと思います

たとえ、我が孫や孫の友達と触れ合ったり、向き合う気持ちでも違うと思います

じゃあ孫がいない人は?なんて言われるかもしれないけど

お隣りさんやご近所や、地域の交流に参加してみるだけでも気持ちが変わるかもしれません

自分の向き合う心が、年齢を重ねると意固地になったり、身勝手になったりするのかも知れません

私がコミュニティ活動を共にしている人の中で70歳過ぎている人でも素敵だなと思う人がいます

凄く柔軟で色んな角度から意見を出されるけど、知恵もだし、行動にも移し、みんなの為だったり、統率力だったり、パワフルに活動されています

会議の時にも人の意見を聴くのも上手いし、それの解釈も通ってるし

メチャ尊敬しています

こうやって地域で生きながら活かされながら歳いって行くのも良いなぁと思っています

私なんかはそんな理由もあって地域活動に参加しているのもあります

高齢者になった時に、お金が無くて何も出来ないというよりも、

地域でボランティアの様にお花育てたり、行事を手伝ったり参加したりして、その時の為に体も心も元気で保っていたりしたいなと

そんなところへ参加できる柔軟な心になっていたい

お金に比べられない幸せもあるんじゃないかなと思ったりして (^_^;)…

そんな事言いながらもう何年も地域活動にドップリ浸かっています

最初は子供為のPTAだった事も今では自分の為

自分の肉体も心も知識も共有したいなと…あんまり知識は無くても

人と人を繋げる接着剤役みたいなものも良いなと

そして子供達にパワーもらっている私

古い意識もサラッと流されてしまう感じですね (^.^)