昨日の話ではないですが偉人や先人の残した言葉それが人々に響くのは何も凄い言葉とか素晴らしい言葉という事だけではないと思います
その人の生き様の内から出ている言葉だと思うのです
それが語彙の選択が正しいとか凄いという事でもないと
慣れてくると話せるようになったりすると思うし
内なる言葉が人生と共に内にこもっている場合もあります
出す事によって自分自身も認識する時もある
スピリチュアルな勉強していても知らないフレーズもいっぱいある場合も
それでも認識はあったりする
昔にスピ仲間で勉強会を開いていた時
自分の言葉で、自分の体験や思いや考えを話してくださいと課題を出していました
何気ない話をしている時にも自分の考えを言えるように、
どんなコミュニティに自分がいたとしても自分の意見が自分の言葉で話せるようにです
無意識に言葉に内の考えがすんなり出るようにのトレーニングです
それでもどうしても気のおけないメンバーの中でいたとしても見栄や体裁やといった外向けの感情や心理が邪魔してしまうんですね
それの練習だというのに
どこかから調べてきた辞書のような言葉で説明しようとかカッコよく話そうとか
その時の態度まで変わります、緊張もするんでしょうが、あくまでも練習です
こんなスピリチュアルの世界も自分が信じているのならそれを普段の生活に活用していく事をしていくと思います
その考えをどこまで自分の言葉で話せるか
ただこのスピリチュアルの世界が知ってるだけの世界じゃないはずなのに
信じていないのならそれまでですが、信じたいのなら探究もするでしょう
自分の内側には無限の知恵や知識があるという事も奥深く進めば分かるんでしょうが
残念な思いをした事を思い出します
内から出てくる言葉は体験からも出てくる言葉でもあるけど、
普段の体験を自分の体験として重ねて見れない人はいつまでもそれが自分の言葉にはならないのかなと感じます
生まれてきてこの方の全ての体験は自分の財産です
それを全部言葉で説明した時には、その体験と共に感じて来た自分の心も分かるはず
そこには人生の語録がいっぱい詰まっていると思います
それが自分の言葉になるまで話してみれば良いかもしれませんね
人生の道のりの語りが全部カッコいい言葉になって我が子供達にだけでも届くかもしれません
私はそうしようと思います (^.^)
自分の人生が自分の誇りだと我が子だけにでも伝えたい (*^^*)