誰しもが「生きている事」を考えているとは言えませんよね・・・・・

今の目の前の事を一生懸命に生きているだけで精一杯ですもんね・・・・

それも大切な事だけど・・・・・

身内が亡くなったり、知り合いが亡くなったり、震災や事故のニュースを見て亡くなった人に気持ちを寄せて初めて「死ぬ」と言う事を身近に考えたりします・・・・

そんな時に初めて「生きる」という事にも思いや考えが及んだりします・・・・・

それか、生きてる中で、大きな壁にぶつかった時とかですね・・・・

多くの人が「命」と「意識」を別物だと考えていたりします・・・・

だから、病気になった時も・・・・・その「体」と「心」を別物として考えています・・・・・・

だからバランスとるのも難しくなってしまうんでしょうね・・・・・

そんな考える機会があった時には是非自分に提起してはどうかなと思います・・・・

私の積み重ねた哲学の中の定義では・・・・

本来、生まれてくる時には魂(本質生命体・意識)が、その魂の目的を果たすための肉体と環境を選んでやってくるんだと考えます・・・

肉体であっても定義はいろいろですし、環境も親や親の状況もいろいろです・・・・・

痩せていたり、太っていたり、顔カタチ、身体的事情・・・・・環境もそれに加え精神的事情にもです・・・・・

全て自分のためにミッションクリアするために選んでいます・・・・

例えば、私が「痩せたい痩せたい」ともがいていて、全然痩せない・・・・となると、その体を選んでるんだから痩せないんです、それが私にとってベストなんです。。。でもそのもがいている時には沢山の気づきを得ます・・・・だからもがくのが悪い事ではなく、そのプロセスが必要だっただけです・・・・

その間に得た気づきに気付かない人はいますけどね・・・・・たまに(^^;)

そして生きている間に見える世界にドップリ浸かり、肉体の心や体を動かし、魂とははずれた生き方を知らず知らずしてしまう・・・・・

そうすると、魂の居場所がなくなるんです・・・・

最初には魂が居眠りしてたりしている人もいました・・・・・

いつしか肉体から離れ、肉体の横から眺めている人もいました・・・・・

あっ!私、人の魂(それも私の一部)と繋がり、通信するんで分かるんですが・・・・(スイッチが入るとね)

肉体の中にいても気づきもしないし、導きにも無視するし・・・・・・

身勝手ってやつですね・・・・・肉体だけ先走りして好き勝手にし、自分さえ良ければとなったり・・・・よく言う「小我」ですね・・・・・

そうこうしているうちに魂は回収されていくかもしれませんよね・・・・・

宇宙は大きな魂です・・・・私達はその一部・・・・

あまりにも身勝手な魂は宇宙に戻されてしまうのでしょう・・・・

その戻り方は・・・・これも深い話になりますが・・・・・

単に命を持って行かれる(奪われる)というこの世で言うマイナスのイメージだけの事だけではありません・・・・・

そして意味も在るからです・・・・・・

すべてが「愛」だから・・・・・・です

気づくきっかけが毎日の中にきっと存在しています・・・・

「生きる」「死ぬ」って事を毎日繰り返してるんだから・・・・・

そう思いながら感謝していると・・・・・気づきもその答えも出てきます・・・・・

肉体が生きているんだと思っている人で、これを機に自分に提起してみてはどうでしょう・・・・・

勘違いか思い違いか今までの擦り込みか・・・・・