人との会話の時・・・・・人が何か言われている、教えられている時なんかには・・・・
あ~~そうだなと納得する時があります・・・・・
人が失敗した時なんかも、あのようにしたらこのように失敗するんだなと冷静になれる・・・・
他人事に対してはある意味簡単に客観的になれるもんなんです・・・・・
でも・・・・
今のこの世の中、色んな意識や波動やエネルギーが大気に混ざり合っています・・・・
そんな時に自分を棚に上げていると、知らない間に影響されてしまっている事もあります
そんな時に影響されないようにするには「人に客観的になる」のも大事なんですが、自分にも客観的になる事を磨いて行かないといけません・・・・・
自分を棚に上げていては自分に置き換えて色んな事を考えることも出来ません・・・・
人と話していても、人の事を例にとって話したりしてみても・・・・
自分の事だと気づかない・・・・常に他人事
自分だったらどう思うか、自分だったらどう考えるか、自分だったらどうするか・・・・
まあ考えてるだけでは駄目なんで必要なら自分にやってくるんでしょうが・・・・・
その提起に対しての自分の意見も持っておくことは概念を広げるに器を大きくするにも必要でしょう・・・・
そんな時に・・・・・自分に何か起きた時には冷静に対処できるでしょう・・・・
自分を棚に上げている人は・・・・・
中々冷静な対処も出来ないし・・・・
それ故に・・・・自分に矛先が向いてくると・・・・・
感情的になってしまうのでしょう・・・・・
まあその時をきっかけに自分の肉体と魂が共に生きることが出来ればそれがタイミングですよね
その時の感情を見つめ向き合い手放しスッキリする・・・といった感じでしょうか・・・・(*^^*)
そういう私だって他人事の様にいつもこんなスピリチュアル的な話をしていますが・・・・・
話として書いている事は全て自分の体験から得た事ばかり・・・・です
昔の事だったりするし、最近の事だったりする・・・・・その一つ一つの体験が点と点で繋がったり、納得したり、腑に落ちたりしながら自分哲学となって確信した時に有識者や先人の聖者と呼ばれる人の体験や知恵や知識と繋がります
その体験している時には傷ついたり、感動したりしながらでも得た事を客観視して分析して確認体験してっていう何気ない繰り返しから得るものばかりです・・・・
そうやって普段の出来事を自分事にしながら人生やっているんでしょう・・・・・