今までは気づかなかったんだけど・・・


伊弉諾神宮の陽の道しるべの石碑を見てて、大概行ってきたなぁ~~と、思いをはせてると、まだ行ってない諭鶴羽神社を友達が見つけた


 写真はネットから拝借しました


すると、その日に行くつもりの黒岩水仙郷のすぐそばだという事で、行く事にした


大分狭い道だと説明にあったので、無事に行けるかを案じながらもどんどん車を走らせて行った・・・・・結構狭い


そしたら・・・・もう後10分程かと思うところで、3人のおじさん達が立ち話してた


私もそこでちょっとタイヤを切り返さないといけなかったので、ちょっと止まって、ついでに「何かあったんですかぁ~~」と尋ねてみた


そしたら・・・・もうちょっと行ったら雪で3台の車が立ち往生してるというではないですか


おじさん曰く、「スタットレス履いてるから大丈夫やと思うけど、気をつけや」と


そのおじさん達も今降りてきて助っ人を待ってると・・・・


そらあかんでしょう


行ったところで、その3台と絡まなあかんしどんな状態か分からんし・・・・


上はUターンできる状態じゃないんやろうと即座に思ったので、たまたまここやったらUターン出来るわと・・・・・・すんなり諦め降りる事にした


でも下りながら考えるに・・・・あのおじさん達がいなくて、あのまま頂上に向かってたら大変な事になってたかもしれないと思うと、ゾッとした


オジサマ・・様様です


神様ですね・・・


この山は自然崇拝から始まり、修験道の山として一大道場と隆盛した所で誇った時代があったらしいけど・・・・


神社自体も神仏習合や時代背景に何度も創建と焼失を繰り返し衰退していったみたいです


やはり・・・・形を祀るのと、自然崇拝とは本質が違うのでどこかで歪みが生じてくるんでしょうね


その山自体が何か物申していたのが伝わってくるようですね


昨日に記した・・・今回の日帰り旅は自然神の世界への気づきだと書いたけど・・・・


山もそうでしたか・・・・そうですよね・・・・


山も厳しい・・・・・・・簡単な気持ちで神域に入るもんじゃないという事なのかな


それに・・・人間の信仰の精神の本質を嘆く叫びなのか・・・・そんな波動が伝わってきたような


車で神域に入るのもほどほどにしとこうかな


間近で眺めさせてもらって、拝ませてもらう・・・・・そして、エネルギーを融合する


それが本来の信仰の姿かな


わざわざ神社の鳥居をくぐり、拝殿に向かって拝まなくていいと、ずっと言ってる自分なのに・・・・・


信仰の精神と祀る本質のところが大切だと言ってるというのに・・・・・


そうだよと・・・・・念押されたみたいです


常日頃の信仰心と祈る心を忘れるなと自分でも念押しておこう


感謝です