このお正月にお邪魔している友達の家は奈良県の御所市・・・・
葛城山の麓なんです
この山肌を見るの好きです
今回帰りの午前中に、一人で近くにある一言主神社に行って来ました
車で5分位の所です・・・・・
ブログの先輩のulalaさんの記事をいつも拝見してて、ここの神社の情報を得ていたので、近いし一度行ってみようといつも思っていました
いつもulalaさんは年末に一陽来復のお札をもらいに行くそうで、そして、一言主大神がひとつだけお願いごとを聞いてくれるという神社だそうです
もう30年以上この地に来てるというのに縁に気づくのが遅くてごめんなさいという感じですね
今さらながらご縁に感謝しに行こうと思いました
スッキリした杉の木が立ち並んでいました

樹齢1200年の大木「乳銀杏」おっぱいがよく出ますようにだって・・・・もう必要ないけどね・・・お乳は愛のエネルギーやからそれ頂きます

丁度、祝詞を挙げておられたのでご一緒に
ご神鏡の位置が良い感じ・・・・意味ありますね

ご祭神は、古事記や日本書紀の中にもある大国主命の息子、事代主命(ことしろぬしのみこと)です
国譲りを迫られた大国主命がその是非を尋ねたのが事代主命で、事代主命がこれを認めたために、国譲りは実現したそうで・・・・・
こんな物語は諸説あるみたいで・・・・・神に縁深い奈良県、初めの大和の國と言われた奈良県でからこそ土地の人にとったら神様を敬う心は深かったんでしょうね
その古事記によると・・・・(雄略記)
天皇が百官を従えて葛城山で狩をされたとき、天皇らと全く同じ服装をした男ら一行と出会った。それを見た天皇が、「この国には自分をおいて王はないのに、同じ格好をしたお前らは何人か」と問うと、全く同じ答えが返ってきた。そこで、天皇は怒って、百官の弓に矢をつがえさせると、男の従者達もみな矢をつがえた。
天皇が「まず、そちらから名を名乗れ、互いに名乗った後で矢を放とう」と問いただすと、男は「吾は悪事(マガコト)も一言、善事(ヨゴト)も一言で言い放つ神、葛城の一言主の大神なり」との答えが返ってきた。
それを聞いた天皇は、「恐れおおいことだ、大神が現身(ウツシミ・現実の姿)をお持ちとは気づかなかった」と申して、自分の太刀や弓矢を始め百官の衣服をも脱がせて献上し、拝礼された。
一言主の大神は悦んで献上品を受け、天皇が帰るときは、泊瀬の山の入口まで見送られた。
そんな事らしいが、日本書紀やその土地の言い伝えでも色んな説があるようですね
ふと私もどんな感じのメッセージがやって来るのかなと意識を合わせてみたら・・・・
「全ての答えは自分の中にあり」・・・・という事だった・・・・・
多分、この古事記や日本書紀の諸説を読んだ事の中にもあるように・・・・・真意というか本質は・・・神様は自分の中にいて、同じ姿の中(この世に現れた権現)にて答をだされ、そのなかには悪い事も良い事も表裏一体一つなんだという事で、その答えが神の答えなんだという事を伝えたかったんだなと感じました
そうして自分の決めたことに自信をもち、信じて行く事が大成する事となると伝えたかったんだなと思いました
神様は本来一つです、自分たちもその分身・・・・どれだけの神様に縁あってメッセージ頂いても本質の大切なメッセージは全て繋がっています
それをどんなカタチでどんな方向から悟っていくかという事自体が人生の意味なんですよね
そのために色んな出来事を自分自身が映像化している事がこの世なんですね
常々この地へ足を運んでいた縁をしっかり受け取ってたんだと感じました
少し嬉しい気分で帰路に就く事が出来ました
今年初めて神社参り・・・・初詣でした
感謝です
葛城山の麓なんです
この山肌を見るの好きです
今回帰りの午前中に、一人で近くにある一言主神社に行って来ました
車で5分位の所です・・・・・
ブログの先輩のulalaさんの記事をいつも拝見してて、ここの神社の情報を得ていたので、近いし一度行ってみようといつも思っていました
いつもulalaさんは年末に一陽来復のお札をもらいに行くそうで、そして、一言主大神がひとつだけお願いごとを聞いてくれるという神社だそうです
もう30年以上この地に来てるというのに縁に気づくのが遅くてごめんなさいという感じですね
今さらながらご縁に感謝しに行こうと思いました
スッキリした杉の木が立ち並んでいました

樹齢1200年の大木「乳銀杏」おっぱいがよく出ますようにだって・・・・もう必要ないけどね・・・お乳は愛のエネルギーやからそれ頂きます

丁度、祝詞を挙げておられたのでご一緒に
ご神鏡の位置が良い感じ・・・・意味ありますね

ご祭神は、古事記や日本書紀の中にもある大国主命の息子、事代主命(ことしろぬしのみこと)です
国譲りを迫られた大国主命がその是非を尋ねたのが事代主命で、事代主命がこれを認めたために、国譲りは実現したそうで・・・・・
こんな物語は諸説あるみたいで・・・・・神に縁深い奈良県、初めの大和の國と言われた奈良県でからこそ土地の人にとったら神様を敬う心は深かったんでしょうね
その古事記によると・・・・(雄略記)
天皇が百官を従えて葛城山で狩をされたとき、天皇らと全く同じ服装をした男ら一行と出会った。それを見た天皇が、「この国には自分をおいて王はないのに、同じ格好をしたお前らは何人か」と問うと、全く同じ答えが返ってきた。そこで、天皇は怒って、百官の弓に矢をつがえさせると、男の従者達もみな矢をつがえた。
天皇が「まず、そちらから名を名乗れ、互いに名乗った後で矢を放とう」と問いただすと、男は「吾は悪事(マガコト)も一言、善事(ヨゴト)も一言で言い放つ神、葛城の一言主の大神なり」との答えが返ってきた。
それを聞いた天皇は、「恐れおおいことだ、大神が現身(ウツシミ・現実の姿)をお持ちとは気づかなかった」と申して、自分の太刀や弓矢を始め百官の衣服をも脱がせて献上し、拝礼された。
一言主の大神は悦んで献上品を受け、天皇が帰るときは、泊瀬の山の入口まで見送られた。
そんな事らしいが、日本書紀やその土地の言い伝えでも色んな説があるようですね
ふと私もどんな感じのメッセージがやって来るのかなと意識を合わせてみたら・・・・
「全ての答えは自分の中にあり」・・・・という事だった・・・・・
多分、この古事記や日本書紀の諸説を読んだ事の中にもあるように・・・・・真意というか本質は・・・神様は自分の中にいて、同じ姿の中(この世に現れた権現)にて答をだされ、そのなかには悪い事も良い事も表裏一体一つなんだという事で、その答えが神の答えなんだという事を伝えたかったんだなと感じました
そうして自分の決めたことに自信をもち、信じて行く事が大成する事となると伝えたかったんだなと思いました
神様は本来一つです、自分たちもその分身・・・・どれだけの神様に縁あってメッセージ頂いても本質の大切なメッセージは全て繋がっています
それをどんなカタチでどんな方向から悟っていくかという事自体が人生の意味なんですよね
そのために色んな出来事を自分自身が映像化している事がこの世なんですね
常々この地へ足を運んでいた縁をしっかり受け取ってたんだと感じました
少し嬉しい気分で帰路に就く事が出来ました
今年初めて神社参り・・・・初詣でした
感謝です