私的な考えとしては・・・・・と偉そうに言ってみますが


究極の小我・・・でしょうか



でもその前に、凄い行を行われたことに関しては、本当に尊敬の意を表したいと思います



普通の人間には絶対出来ない事




まあしようとも思わない事




以前に完了された方も話されてたけど・・・自分自身が高僧であるという確信を得たいが故にすることです


自身のためであると











先に言った私的にという事だけど




お釈迦様は、本来大乗仏教をこの世に伝えたかったんだと・・・・




皆が平等に幸せになり、この世を全うする中で悟りなさいと・・・・




そのために、心を明らかにし、自由になりなさい・・・・




それを世に広く伝えるためにリーダーを育てようとして、数人の僧にこの悟りを伝授していった・・・・



そのうちその僧たちは自分自身が修行することに目覚め、自分自身が悟りを開くことだけに努力しすぎてしまって、普通の人達との間にお釈迦様の本来の意識と違う格差が広まってしまった・・・・




これが小乗仏教の始まり・・・・





普通の人達は、僧侶に依存し、成仏するためにはお坊さんにすがるしかないというすり込みが無意識に働くようになり、自分で悟りを開くのは、凄い苦行をしないと駄目だという認識にまでなってしまった



こんな事までして、悟りを開きなさいとはお釈迦様は言っていない




普段の生き方、意識の持ち方次第で悟りって開けると私は考えてる





この世の見える世界(顕在意識の世界)がそれを私達に教えてくれてるんだと思う




ほんと言葉に書くって難しいね





本来はもっと簡単な事





難しくしたのはこんな大変な行を成し遂げてしまったお坊さんにも責任があるんよね・・・・・きっと



もうそろそろ、偉い人が凄いとか、頭いい人が偉いとか、お金持ちが凄いとか、先生と呼ばれる人が偉いなんていう神話が崩れてきている今の世の中・・・・・




個人の意識のレベルに光が当たりそうな世の中になりつつあるよね




それが精進で、悟りに繋がる・・・・




この前、普通のおじいさん(79歳)がテレビで言ってた・・・・・




趣味多才で、変わってると言われる自分、でも好きな事をし、人と違う事をし、日々精進したら、それが成長だと




まだ成長なんだと驚いたけど・・・・・




良い生き方だなと共感した




これも一つの悟りなんだよね




与えられた命、自分の人生を楽しみ、納得する




多分、今回の千日回峰を成し遂げた(まだ途中やけど)僧侶も自分自身の人生で言うと、誰のものでもないこの方の人生の因果で、それの因果をある意味納得できる出来事なのよね




何を真似るかというと、、、、




この方が行った行の間、自分の内側を見つめていたという事だと思う




自分の外側の世界を絶ち、内側だけに意識を向ける・・・・




その内側に何を求めたらいいか迷うので、この宗派である天台宗の不動明王だけに意識を向けるためにその真言のみを唱えまくる




多分私たちやったら「ありがとう」でもいいかもね




そう言えば、昔、プロレスラーの須藤元気さんも「ありがとう」を何万回も唱えながら自転車の旅して、悟ったって言ってたよね




それでいいんじゃないかな




私もたまにお釈迦様とかキリストさんとか宇宙意識とかのメッセージを受け取る・・・・・




そこへ向いて精進あるのみだね




感謝です