ご縁を感じながらも中々たどり着けなかった



私の祖父がここを訪れた時に私の名前をこれにしようと閃いたという



小さい時から「お前の多賀子というのは、お多賀さんからとった名前やで!」と、おじいちゃんから言われていた



それ以上の謂れとか何でと思うこともなく素直にそうなんだとすんなり受け入れ、ずっと記憶に残っていた事にも何となくこの神様の道を巡るようになってから納得したように思う



そうだと言っても中々来ることが無かったのよね



淡路島の伊弉諾神宮へ2度行った時も、ここの多賀大社との縁があることを知り、なんか嬉しく思った



多賀大社は伊弉諾尊と伊弉冉尊の親神様そして、色んな神様を産んだと言われ、私達の親でもあると言われてるみたいです



その伊弉諾尊と伊弉冉尊が「淡路にお静まりになった」淡路島か「淡海にお静まりになった」琵琶湖かという見解の違いはあるという説



いつもの様に、古事記と日本書紀には色んな事が書かれ、言い伝えも多いようで、ほんとのところは?という感じですが、まあという事が大事なんですよね私は



色んな神社を巡ってると、「多賀宮」ってお社があるところが多いのに気付き、その度に縁を感じ喜んでいる自分がいるんです



おじいちゃんありがとうさん



行ってみると、結構綺麗な大きい立派な神社です










周りの参道もお土産屋さんもあり、整備されてて、拓かれた感じ



来ることによって、自分の脳裏にイメージが残り、いつでも繋がってる実感がわく



自分のいにしえのルーツに感謝が一瞬で時空を超える・・・・ひとっ跳びであるのだ~~~



そんなこんなにニヤニヤほころぶ私・・・・・実感は後からじわじわやってくるのか