
自然も生きてる
今回も御嶽山の噴火がありましたね
それに際しての関係各位様にとっては心痛お察しします
登山家でもなんでもないので行ったことはないですが、民謡の木曽節は今でも口ずさめるほどにちゃんと出てくるこの名前
結構長い間休火山だと思われていたこの火山も、昭和54年に噴火あってからどんどん噴火警戒レベルがあがってきているらしい
この時あたりから火山活動認識も変化していったみたいですね
多分その「認識する」という事が大事なんじゃないかなとも思いますよね
地震に関しても山崩れに関しても・・・
そんな事考えだすと何にでも当てはめられるぐらい
日本人は温泉大好きで、最近は掘る技術も高まってきたんでそこらへんのスーパー銭湯なんかもできてるけど掘り過ぎてて大丈夫かな~~とか、地下鉄も地下駐車場も掘ってるけど・・・・・いつかどこからか爆発しないかなとか、地割れしないのかなとか、なんて思う時がある
ハワイもどんどん日本に近づいて来ているという事も聞いた
自分の立ってる位置だけみていたり、その周りの景色を感じて生きてるだけだったら難なく過ごしてしまう毎日でも、常々大きな自然の中に生きてる私達はこんな自然にのみこまれることなんかはほんの一瞬簡単な事で、今一度あらゆるところに自然を感じることを認識するとともに考えないといけないのかなと思う
私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょうね
私自身はこれといって決まった宗教を信仰してはいないし、誰か特定の人物を崇拝していることはないけれど、宗教心だったり、道徳心だったりということは常々心に留めておきたいと思っている
なので、「神様」って言葉も使うもよし、使わざるも由っていう人間です
あえていうなら、昔の神道で伝えられていたみたいに、神と人間は同等?同立っていったところでいうと「神道」の考えに共感するぐらいです
後は・・・自然信仰ってところぐらい
古代の人達にとっては、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷だったと思う
自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えてくれる
人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代の人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます
その中で私達の先人達は、自然をも超越した完全無欠・全知全能の神を望まないで、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望んだのか
先日行ってきた熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ったんでしょう
今回噴火した御嶽山もお山信仰でも有名であったといわれています
先人たちはどこにでも神様を感じていたんでしょうね・・・・純真な魂で
それから時代とともに文明・科学が発展していき、目の前に見えるものの世界に囚われていく心がどんどんその超越した自然に向かわなければいけなかった意識の次元を下げていきつつあるのも嘘ではないかもしれません
そうすると、そんな神聖な場所でも守る人、向かう人などの人間の意識の次元がどんどん低くなってしまうと、相反してその場が次元のバランスをとろうとどんどん次元が上がり細かくなり絶対全に進めば、こういう神聖な場が近くなるようで遠い存在になっていくかもしれませんよね
私達が思っている神様はやっぱり見えるものの先にあると信じる心が、いつも神様が側にあることを感じさせてくれるんでしょう
私自身、独身時代には考えもしなかったこの神様・仏様・ご先祖様
結婚を機に考えさせられることの壁にぶつかり始めて
まるで赤ちゃんが育っていく時によくある「なんで?」「どうして?」の連発で・・・素直に何でも吸収し、咀嚼し、納得し、確認し、自分の信念とするってことを続けてきた
それからは、ほぼ順番に・・・経験を伴い、ご先祖様の世界・仏の世界・神様の世界・・・神様を超える意識の世界・・・そこから超意識の世界へと進んでいった
それを確認するかのようにいつも旅行に行っては色んなメッセージを受け取ってきた
自然信仰への理にたどり着いたのも確認できたように思った
それでもって、今その自然と同等・同立・共存・・・って課題に向かってるのか
たどり着く先・向かう先は分かっていても、それを自信もって進んでいっていいよということだろう・・・そこでの体験が始まっていく気がする
こんな町に生まれ育った私が今更厳しい自然の地へ放り出されることは無いかもしれないし、あるかもしれないし・・・
何が向かってくるかは分からないけど意識と共に進んで行こう
自然と共存していく中で、自分の肉体の次元を上げていこう
何ができるか分からないけど
まず自分の意識を・認識をかえていく事から始めよぅていうことを神様が教えてくれてるんだ・・・きっと
そして自然と共存していることを認識するとともに、その向こうに向かう心を教えてくれるのが神様だと思って進んで行こう
感謝です