私も自分の母親へ毎年贈っています
しかしながら変わったひねた性格している母親に贈るとなるといつも悩まされます
行きたいところもないし行きたくない・欲しいものもない・言葉だけでいいと言って、その言葉をかけても何かひねて言葉を返してくるし
ややこしく、めんどくさい
ダイレクトな言葉の掛け合いはできないのか・・・さえ思うときが多々あり
普段から頻繁に気を回してくれるのがいいときっと思ってるんだろうけど、私にも私の生活がありまして、あっという間に過ぎていくし、忘れているわけじゃないけど、気を回して当たり前だという母親に対しての反抗も多少あるのかもしれない
我が親ながらとても難しい人なんです
でも愛情はたっぷりある人で家族や孫たちに関しては過剰なぐらいに気を回し、色んな事考え、色々してくれるんだけど、それがすべて正しくまわらなかったらまたそれに腹立て、「せっかく○○してやったのに!」とか思って、勝手に我慢してしまう・・・・やっかいなんですよ そしてその自分の世界が家族の極々ちっさい世界なもんで、きっとしんどいんじゃないかなぁ~~って思ってしまう
自分よがりな自分の概念の中だけで人の事も勝手に思い込み、決めつけてしまう、その上人付き合いが苦手で友達もいないので広がるわけもなく
子供側からするとちょっと重すぎる
言葉で並べるとどんだけあかん人かとも思われるんだろうけど、本人は今のところそんな自分だけど満足しているというか、そんな性格だからしょうがないって言うんですよね
そんな自分に我慢しているところもあるみたいだけど
ここまで言うと、どんだけ親不孝な娘か・・・・なんてみんな思うだろうなぁ~~~
でも長年付き合う中で、親子の縁も切っても切れるものでもないんで、私こそ自分が変わろうと何とかするけれど、ほんと難しい課題です
決して嫌いじゃなく、むしろ好きな方で、頂いた愛情は深く心にも刻まれている
ただいつもそれに理由がついてくるから悲しくなる
無償の愛って難しいもんで、母親の心の奥にもたくさん傷があるんだろうといつも思う
まあ親孝行だとも偉そうに言えないけど、そんな親の事でも十分認めて見守ろうと思う気持ちは正直なところで、こればっかりはどんな人間であろうと、その人の人生や個性はその人のもので、やっぱり自分がそれに気づき、自分が変わろうとしないと例え親でも子でもどうしようもなんですよね
現実はその親がいてくれて、自分がその親の元に生まれて育ててもらったという事実があって、それが自分の人生の一つのステージにしか過ぎないって事なんだよね
今となってはそんな母親だからこそ学んだことは凄く多い
なので感謝以外の何もでもない
そんな事も少し昔に伝えたこともあったけど、中々伝わることもなく、感謝も伝わらないんかとへこんだときもあった
なので、私も先ずは自分を大切にしようと考えるようになり、自己満足であったとしても人へ贈り物をする時にも一生懸命その人の事を考えながら選ぶことにして贈っている
その人の受け取る状況によっては受け取る気持ちも変わると思うので、率直な気持ちはいつかはいい形で伝わるだろうし
少しでも貴方の事を思う時間が私の中にあったよって伝われば幸いなことで
一生懸命考えて贈ってその人の手に渡ったらどう受け取ろうが後はもう何も考えずに、受け取ってもらえたと思って感謝しようって決めてるんです
そんなこんなで、ここ何年かの母の日や母親の誕生日には、母親の考えとか行動を勝手にリサーチして、母のライフスタイルにこんなんプラスしたらどうかなとかこれやったら食べるかなとか、今の世間の話題性からとか・・・・ほんと2,3ヶ月は考えます
そこで、今年は2ヶ月ほど前にテレビのお取り寄せでやってた京都錦市場の「大國屋」の『ぶぶうなぎ』
箱入り、煎茶・ほうじ茶・あられ・ウナギ一尾のセットです

確か、ウナギは好きやったなぁ~~お茶漬けも好きやしなぁ~~味がもしお好みじゃなかってもお茶漬けでつくだにみたいにして食べたら大丈夫かなぁ~~~京都出身やから錦市場のお店だと言ったらいい話題にもなるし、そんな事考えながら、それを買うためだけに京都錦市場まで娘のバイト終わりを待って夕方からドライブしてきたのです
その結果・・・・
過程も話しつつ、今それだけ買いに行ってきたよ~~~って喜び話したにも関わらず・・・
(まるで、小さい子がお母さん頑張ったよ!どう?って言ってるみたいだったけど)
「へ~~っご苦労さんやなぁ~~」って鼻で笑われた
まるでそこまでした私がアホみたいに・・・・
もう一回言い直して聞き直した・・・・良い言葉期待したわけではないけれど、他に言葉はないのかといつものごとくへこんでしまった
まあそんな私の気持ちやら行動やらを娘が一部始終見て感じてくれてるだろうことに私の気持ちは十分救われたのでいう事ないのです
家に息子も待っているので、すぐに帰り、我が家の母の日に浸って幸せを感じた一日でした
何はともあれ、色んなカタチの『感謝』を感じる日なんですよね・・・・母の日
しかしながら変わったひねた性格している母親に贈るとなるといつも悩まされます
行きたいところもないし行きたくない・欲しいものもない・言葉だけでいいと言って、その言葉をかけても何かひねて言葉を返してくるし
ややこしく、めんどくさい
ダイレクトな言葉の掛け合いはできないのか・・・さえ思うときが多々あり
普段から頻繁に気を回してくれるのがいいときっと思ってるんだろうけど、私にも私の生活がありまして、あっという間に過ぎていくし、忘れているわけじゃないけど、気を回して当たり前だという母親に対しての反抗も多少あるのかもしれない
我が親ながらとても難しい人なんです
でも愛情はたっぷりある人で家族や孫たちに関しては過剰なぐらいに気を回し、色んな事考え、色々してくれるんだけど、それがすべて正しくまわらなかったらまたそれに腹立て、「せっかく○○してやったのに!」とか思って、勝手に我慢してしまう・・・・やっかいなんですよ そしてその自分の世界が家族の極々ちっさい世界なもんで、きっとしんどいんじゃないかなぁ~~って思ってしまう
自分よがりな自分の概念の中だけで人の事も勝手に思い込み、決めつけてしまう、その上人付き合いが苦手で友達もいないので広がるわけもなく
子供側からするとちょっと重すぎる
言葉で並べるとどんだけあかん人かとも思われるんだろうけど、本人は今のところそんな自分だけど満足しているというか、そんな性格だからしょうがないって言うんですよね
そんな自分に我慢しているところもあるみたいだけど
ここまで言うと、どんだけ親不孝な娘か・・・・なんてみんな思うだろうなぁ~~~
でも長年付き合う中で、親子の縁も切っても切れるものでもないんで、私こそ自分が変わろうと何とかするけれど、ほんと難しい課題です
決して嫌いじゃなく、むしろ好きな方で、頂いた愛情は深く心にも刻まれている
ただいつもそれに理由がついてくるから悲しくなる
無償の愛って難しいもんで、母親の心の奥にもたくさん傷があるんだろうといつも思う
まあ親孝行だとも偉そうに言えないけど、そんな親の事でも十分認めて見守ろうと思う気持ちは正直なところで、こればっかりはどんな人間であろうと、その人の人生や個性はその人のもので、やっぱり自分がそれに気づき、自分が変わろうとしないと例え親でも子でもどうしようもなんですよね
現実はその親がいてくれて、自分がその親の元に生まれて育ててもらったという事実があって、それが自分の人生の一つのステージにしか過ぎないって事なんだよね
今となってはそんな母親だからこそ学んだことは凄く多い
なので感謝以外の何もでもない
そんな事も少し昔に伝えたこともあったけど、中々伝わることもなく、感謝も伝わらないんかとへこんだときもあった
なので、私も先ずは自分を大切にしようと考えるようになり、自己満足であったとしても人へ贈り物をする時にも一生懸命その人の事を考えながら選ぶことにして贈っている
その人の受け取る状況によっては受け取る気持ちも変わると思うので、率直な気持ちはいつかはいい形で伝わるだろうし
少しでも貴方の事を思う時間が私の中にあったよって伝われば幸いなことで
一生懸命考えて贈ってその人の手に渡ったらどう受け取ろうが後はもう何も考えずに、受け取ってもらえたと思って感謝しようって決めてるんです
そんなこんなで、ここ何年かの母の日や母親の誕生日には、母親の考えとか行動を勝手にリサーチして、母のライフスタイルにこんなんプラスしたらどうかなとかこれやったら食べるかなとか、今の世間の話題性からとか・・・・ほんと2,3ヶ月は考えます
そこで、今年は2ヶ月ほど前にテレビのお取り寄せでやってた京都錦市場の「大國屋」の『ぶぶうなぎ』
箱入り、煎茶・ほうじ茶・あられ・ウナギ一尾のセットです

確か、ウナギは好きやったなぁ~~お茶漬けも好きやしなぁ~~味がもしお好みじゃなかってもお茶漬けでつくだにみたいにして食べたら大丈夫かなぁ~~~京都出身やから錦市場のお店だと言ったらいい話題にもなるし、そんな事考えながら、それを買うためだけに京都錦市場まで娘のバイト終わりを待って夕方からドライブしてきたのです
その結果・・・・
過程も話しつつ、今それだけ買いに行ってきたよ~~~って喜び話したにも関わらず・・・
(まるで、小さい子がお母さん頑張ったよ!どう?って言ってるみたいだったけど)
「へ~~っご苦労さんやなぁ~~」って鼻で笑われた
まるでそこまでした私がアホみたいに・・・・
もう一回言い直して聞き直した・・・・良い言葉期待したわけではないけれど、他に言葉はないのかといつものごとくへこんでしまった
まあそんな私の気持ちやら行動やらを娘が一部始終見て感じてくれてるだろうことに私の気持ちは十分救われたのでいう事ないのです
家に息子も待っているので、すぐに帰り、我が家の母の日に浸って幸せを感じた一日でした
何はともあれ、色んなカタチの『感謝』を感じる日なんですよね・・・・母の日